寵児の巣立ち(4)

 ベルはアスマやシドラス、イリスと共にアクシスの前で件のネックレスを掲げて、アクシスからの講習を受けていた。


「特定の場所で、その魔術道具に魔力を込めれば、精霊の方から接触してくる」

「特定の場所?」

「精霊と接触しやすい場所がいくつかあって、その場所でなければ、その魔術道具は効果を発揮しない」

「それって、どこにあるんだ?」


 そこまで教えてもらわないと困ると思いながらベルが聞くと、アクシスはゆっくりと顔を上げて、どこか遠くを眺め始めた。


「ここから近い場所となると、更に東に行った場所になるが、人の移動手段では少しかかることになるだろう」

「ちょっと遠いのか?」

「私なら一飛びで行けるぞ?」

「どれくらいか分からん」


 アクシスの感覚で言うところの近いが、自分達の感覚で言うどれくらいの遠いに変換されるか分からないことから、そこに向かうのはあまり現実的ではないとベルは思った。


「ここから更に東となると、ウルカヌス王国の領土からも出ることになりますから、下手に踏み込むと国際問題になりかねませんね」


 そこでシドラスがそう言い始めて、本格的にベル達はアクシスの言う場所に向かうことを断念する。


「他にないのか? その特定の場所というのは?」

「記憶は曖昧だが、ここから西に向かった地にもあるはずだ。どのくらい離れているかは分からないが、お主達の国の中かもしれない」


 エアリエル王国の領土内にも該当の場所があるかもしれない。アクシスの提示した可能性を聞いたことで、ベルは一先ず安堵することにする。


 もしも、アクシスの言う場所が全て簡単には行けない場所なら、自分一人だけで向かった方がいいかもしれないと思い始めていたところだ。アスマ達を巻き込まなければ、ある程度は観光の体で向かえるだろう。


 それで本当にベルの身体が元に戻るかは分からないが、可能性が高いというのなら、それくらいはしてもいいかと考えていたので、エアリエル王国の方にあるかもしれないという可能性は純粋にありがたかった。


「精霊との接触は昔から人間達も調べてきているはずだ。お主達の国には、何か残されていないのか?」

「どうなんだろう? 帰ってみてから調べてみるか?」

「それがいいかもしれませんね。テレンス様の書庫等には何かありそうですから」


 詳細はエアリエル王国に帰ってから調べることにして、取り敢えず、現状分かる情報はアクシスから聞けたことで、ベルは満足していた。ガゼルの提示した可能性から、アクシスを訪ねてこの地までやってきたが、実際に情報が手に入るかは分からなかった。

 それがもしかしたら、身体を元に戻す方法が分かるかもしれないというところまで迫れたことにベルは深く安堵していた。


「それでいつ帰ることになるの?」


 そこまでの話の流れからアスマが疑問に思ったのか、そう聞いていた。シドラスは少し考えながら、瓦礫の山となってしまった家の方を窺う。


「馬車や馬は?」

「何とか巻き込まれずに済みました」


 シドラスに聞かれたイリスがそう答えると、シドラスは納得したように頷いて、アスマの方に目を向ける。


「この様子なら、本日中には出発できますね」

「ええ? そんなにすぐなの?」


 アスマはまだサラディエが名残惜しくなっているのか、残念そうにそう言っている。その様子にベルとシドラスは思わず呆れた顔を浮かべてしまう。


「もう一日くらい、いいんじゃない?」

「いえ、殿下。残念ながら、例の魔導兵器を持ち出してしまった手前、これ以上の滞在は深刻な問題を生みかねません。王女殿下にご迷惑をおかけしないように、できるだけ早く立ち去った方がいいと思いますよ」

「う、う~ん……確かに、ソフィアに迷惑はかけられない……」


 シドラスの説得にアスマは唸り出し、納得するかどうかの瀬戸際で苦しんでいるようだった。流石のアスマもソフィアに迷惑をかけてまで、自由を貫きたいという考えはないようだ。それは大変良かったとベルは親のような気持ちで安堵する。


「あの、お父様」


 そこでベル達の会話の隙間に割って入るように声が聞こえ、ベル達の視線は自然とそちらに向いていた。その場にはハクが立っていて、アクシスに真剣な目を向けている。


「少しお話をよろしいですか?」

「どうした?」


 そう聞きながらも、ハクの雰囲気が真面目なものになっていることに気づいたのか、アクシスの声のトーンは少し落ちていた。深刻さすら感じさせる様子に、ベル達は自分達がここにいてもいいのかという気持ちに襲われ始める。

 そのことに気づいたのか、アクシスがハクに聞いてから、ベル達の方を気にするように目を向けてきた。


「場所を移すか?」

「いえ、ここで大丈夫です」


 ハクがそう言い切ったことに、本当に大丈夫なのかとベル達は疑問に思いながら、特別に傾けるまでもなく、自然と耳に入ってくるハクとアクシスの会話を聞く。


「住んでいた家があのようになってしまい、私は私なりにいろいろと考えたのですが、この森を離れようかと思います」

「ええっ!?」


 ハクの宣言を聞いて、真っ先にアスマが驚きの声を上げていた。アクシスのことをあれほどまでに心配し、アクシスと一緒にいるためにアスマを殺害しようとしたほどの人物だ。


 そのハクが森から離れるということに驚くことは仕方ないと思うが、それにしてもアクシスより驚くのはどうかと思い、ベルは思わずアスマを睨みつけてしまう。


「離れて、どうする気だ?」


 アクシスが落ちついた声で聞く。


「私を助けてくださったライトさんについていこうと思います」

「ライトに?」


 先程とは打って変わって、今度はベルがそう口にしてしまっていた。そこでライトの名前が飛び出すとは微塵も思っていなかったので、ハクの決心にライトが関わっている事実に純粋な驚きが漏れてしまった。


 さっき睨まれたお返しと言わんばかりに、アスマがベルを睨んでくる。その視線を送られても仕方ない状況なので、ベルは大人しく口を噤むしかない。


「どうして、そう考えたんだ?」


 アクシスがまたも淡々とした口調で質問し、ハクは少し戸惑った様子を見せながら口を開く。


「全部は分かりません。助けていただいたので、その恩返しをしたいという気持ちはあります。ですが、それ以上に私はあの人についていきたいと思ったのです」


 戸惑うハクの言葉を聞いたベルとイリスが納得するように頷いていた。少々、簡単過ぎるのではないかという考えもあるにはあるのだが、これまで真面に人と接触してこなかったハクのことだ。ただライトが助けたという事実も、彼女にとっては大きなものだったのかもしれない。

 それを否定するほどにベルは愚かではないので、温かく見守ることにする。


「あの、お父様……?」


 ハクはアクシスからの許可を求めるように、どこか怯えた様子すら見える目を向けていた。ハクの言葉を聞いたアクシスはゆっくりと目を瞑り、深く、大きく息を吐き出す。


「もしも出ていくというのなら、一つだけ条件がある」

「条件……ですか……?」


 何を言われるのかとびくびくした様子のハクの前で、アクシスはゆっくりと目を開いて、それまでと変わらない口調で告げる。


「ミカも連れていってあげてくれ」

「え……?」


 アクシスからの思わぬ条件に、ハクだけでなくベル達も驚きの表情を浮かべていた。


「聞けば、あのライトという騎士はミカの兄だという話だ。それなら、ミカも一緒にいた方がいい」

「アクシス? 本気で言ってる?」


 アクシスが血迷ったことを言い出したのではないかと、アスマがアクシスの本心を聞くように質問していた。その言葉を聞いても、アクシスは様子を変えることなく、深く頷いている。


「ドラゴンと人間では過ごす時間が違う。ハクもそうだがミカも、いずれはガイと同じように、森の外を見て欲しいと思っていた。そこでできれば、人間として暮らして欲しいと。それが今だと私は思う」

「でも、アクシスが一人になっちゃうよ?」

「そうです。それではお父様が一人に……」

「何を言っている? お前達を拾うまで、私はずっと一人だった。森の動物すら避けるドラゴンだ。それが今はお前達との思い出がある。森の動物達も心を開いてくれるようになった。もう私は本当の孤独ではない」

「でも……」


 ハクが戸惑いを言葉にして、アクシスの言葉を覆そうとかぶりを振る中、アクシスは優しく手を下ろして、そのハクの頭を撫でるように触れていた。


「幸せに生きるんだ。それが私の望みだ」


 そう言ってから、アクシスの目がベル達の方に向く。そこに立つアスマをじっと見つめて、アクシスは優しく微笑む。


「二人を頼む、魔王」


 その一言にアスマは戸惑った様子を見せながらも、ゆっくりと力強く頷いていた。

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