竜の裁量(10)

 ベルの身体やタリアの兄について、アクシスに相談した日の夜のこと。ベル達との話を終え、残された仕事を終わらせると言って、広場から離れたアクシスが帰ってきた。

 手には極太のロープが握られ、のそのそと歩く後ろから二台の馬車がついてきている。


 アクシスの帰還は外の様子を窺うまでもなく、広場の中にいる人なら全員が気づけた。それほどまでの足音を立てながら帰ってきたアクシスを目にして、最初に声を出したのはミカだった。


「おかえり!」


 元気な声を上げて、ミカがアクシスに駆け寄っていく。


「ただいま」


 アクシスはいつもと変わらない口調で答え、握っていたロープを一気に引っ張った。アクシスの後ろを歩いていた二台の馬車が大きく音を立て、広場の中に転がるように入ってくる。


「直ったのですか?」


 アクシスを出迎えるように家の外に出てきたシドラスがそう聞く。視線はアクシスの引っ張ってきた馬車に向いている。


「ああ、これで問題なく走れるはずだ。後は馬の方だが、魔術が間に合ったこともあって、ゆっくりと歩くところから始めても、明日には出発できるだろう」

「それは、本当にありがとうございます」


 馬車の修復に加え、馬の治療までやってくれたと分かり、シドラスは感激した様子で御礼の言葉を口にしていた。


 アクシスからベルの身体についての情報やタリアの兄についてのことを聞き、サラディエを訪れた目的は達成された。馬車や馬が無事で、アレックスやトーマスの怪我も無理をしない程度なら問題ないというのなら、翌日中にはサラディエを発つこともできる。


 これでベル達はいつでも帰れる、という状況には一応なったが、それはあくまで手段に限定した話で、まだ帰るには残された問題があった。


 第一、連絡したライトから何かしらの報告が届くことは当然のようになく、こちらに向かっているのかどうか分からない状況だ。うまく報告が伝わったかも分からない。

 まずはライト達がこちらに向かっている可能性を考慮し、その到着を待つ必要があることから、すぐに出発することは難しかった。


 それに加え、問題はもう一つ残されている。そのことを家の外に出たベルが考えていると、同じようにアクシスを出迎えるために外に出たアスマが馬車を発見し、目を丸くして呟いた。


「えっ? もう直ったの?」

「ああ、これで十分に帰れるはずだ」

「ちょっと待って。じゃあ、もう帰るってこと?」


 アスマが不安そうに呟いて、頻りにベルやシドラスの顔を確認してくる。その様子にシドラスはかぶりを振って、帰れない一番の理由を伝える。


「ライトに連絡した手前、ここから先に帰るということはできません。せめて、ライトの到着を待って、事情を説明してからでないと」

「あ、ああ、そうだよね……良かった……」

「アスマはまだ帰りたくないのか?」


 安堵したように胸を撫で下ろすアスマを見て、ベルはそのように聞いていた。それを聞いたアスマは勢い良く頭を振って、ベルの方を見るや否や、力強く首を縦に振ってくる。


「やっぱり、ハクのことは放っておけないよ」


 真剣な表情と口調でアスマはそう答え、ベルは強く納得した。アスマならそう言うだろうと思っていたことだし、ベル自身も放置できない問題だと認識していたことだ。


 アスマを助けるという点から見れば、このまま問題を放置して、サラディエを離れるということは最適のようにも思える。ハクを探し回って、アスマが狙われる危険性を高めるくらいなら、さっさと離れた方がいいだろう。


 だが、そうして残されたハクはどうなるかと考えたら、簡単にはそれを良しとは言えなかった。アクシスやミカもハクのやっていることを知ってしまった以上、ハクとの間に生まれた隔たりは言うまでもない。


 このままベル達が立ち去っても、その家族の間に生まれてしまった摩擦は残り続けるはずだ。ハクが家族を思って取った行動によって、家族が離れ離れになってしまうことをベルは望んでいない。


「ハクさんの気持ちは改めて確認して、説得したいとは思いますが、現在どこにいるのか分かっていないところが気になりますね。話をしようにも、話せる環境がないといけませんから」

「森の中なのかな? それとも、外に出たのかな?」

「アクシスも場所が分からないんだよな?」


 ベルがアクシスに確認を取ると、アクシスは首肯し、森の中を見回すように頭を動かした。


「森の中に隠れているとしたら、すぐに分かるはずだ。すぐには感知できない場所……例えば、魔術で影響を与えた空間に引き籠っているか、森の外に出ているか。少なくとも、ただ探し回って見つかる場所にはいないだろうな」

「やっぱり、そうか……だとしたら、見つけるのは難しいな……」


 場合によっては、このままフェードアウトしようと考えているのだろうかと思い、ベルは若干の不安を覚える。自分自身がそうだったように、ハクもこの森を立ち去ることを考えているなら、この森の外に出て、そこで行動を起こそうと思っているかもしれない。


 もしそうだとしたら、ハクがアクシス達から離れるだけでなく、アスマがこの森を立ち去っても、ハクに命を狙われる危険性があるということだ。問題は更に膨らみ、ここで起きていること以上に厄介なことになるかもしれない。


「先輩達は昼間、ハクさんを探していたんですよね? その時はどういう風に探し回ったんですか?」

「昼間は探し回ったというか、殿下を保護した現場から始まって、ハクさんが移動したと考えられる場所を回っただけだから、それで居場所が分かるとは思っていなかったんだ」

「あれだよな? あそこにあった魔術を見たんだろう?」


 ベルとミカがハクを取り押さえ、シドラスがアスマを保護した現場から、ハクは逃走する際、近くにあった穴の中に逃げ込んでいた。その中には何かしらの術式が描かれていて、ハクが魔術を使ったことは分かったが、その魔術の内容は専門家不在の中では分からなかった。

 その確認をエルやソフィアを連れて行ったのだろうと思い出し、ベルはそのように聞いていた。


「はい。その場所から、他の場所に移動したことが分かり、同様の穴があるなら、そちらに移動したのかもしれないと歩き回ることになったんです」

「あんな穴が他にもあるのか」

「アクシス曰く、森の動物の寝所だそうで」

「あそこに動物が」


 ベルがアスマを保護した際に見た穴を思い出し、そこに森の動物が収まる姿を想像した。この森に入った後どころか、入る前から動物の姿を見ていないので、その光景を目撃する機会はなかったが、そこなら落ちつくのだろうかと思う。


「ああ、というか、あれが動物の寝所だから、ハクは動物を追い払ったのか」

「恐らく、そういうことではないかと思われますね」


 ベルとシドラスが森から動物の姿がなくなった理由を考え、納得するように話し合っている隣で、ふとアスマが驚いたように声を出した。


「えっ……? そう、なの……?」


 そう呟いたアスマの表情は驚きの他、どこか暗さすら感じさせるものを滲ませていて、普段のアスマとは大きく違う表情にベルもシドラスも疑問を覚える。


「どうした?」

「何かあったのですか、殿下?」

「い、いや、その動物がいなくなったのって、俺が原因じゃないの?」


 恐る恐る聞いてきたアスマを見て、ベルとシドラスは怪訝げに眉を顰める。


「どういう意味だ?」

「どうして、そのように思われたのですか?」

「いや、だって、ハクが言ってたんだよ。森の中から動物が消えたのは、俺がここに来たからだって。皆、魔王に怯えて逃げ出したんだって」


 アスマは不安そうに言われたことを思い出しながら口にしていたが、その言葉を真っ先に否定したのはベルやシドラスではなく、アクシスだった。


「そんなはずはない。魔王は魔力こそ凄まじいが、敵意はなかった。だから、俺は魔王の来訪を歓迎し、受け入れたんだ。敵意のない存在を動物達が安易に怖がるとは思えない」

「ということは、俺の所為じゃないってこと……?」

「ああ、そうだ」


 アクシスからそう明言されたことで、アスマは胸を撫で下ろしていた。密かに気になっていたのか、深く息を吐き出し、心の底から「良かった」と口にしている。


「だが、そうだとしたら、どうしてハクはそんなことを言ったんだ? アスマに罪悪感を懐かせようとしたのか?」

「気になりますね。単純な嘘ということならいいのですが、もしもハクさんが本当にそう思っているとしたら、私達の考えが間違っている可能性が出てきます」

「つまり、森の動物が消えたことにはがあるということか?」

「そういうことになりますね」


 ベルとシドラスが浮上した新たな可能性について話し合う中、その会話を聞いていたアクシスが顔を上げ、遠くを見つめるように目を向けながら、小さくベル達に届かないほどの声で呟いた。


「別の原因……」

「アクシス? どうかした?」


 その様子に気づいたアスマが声をかけ、アクシスは我に返ったようにベル達を見てくる。


「いや、何でもない。別の原因という奴があるのかと考えていただけだ」

「森の動物が綺麗にいなくなるくらいの原因ですからね。アクシスとしては気になりますよね」

「まあ、そうだな」


 そう答えるアクシスの表情が少し曇っているように見え、ベルは本当にそうなのかと疑問を懐いた。


 とはいえ、それを追及しても躱されるイメージしかなく、ベル達は様々な問題の解決を翌日に持ち越すことにして、今日は再びミカ達の住む家に泊まることになった。

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