急落する王都(4)

 イリスは招かれたホテルの一室で、ベネオラとたわいのない雑談に興じていた。楽しげに近況を話すベネオラとは対照的に、イリスは心の中で迷いを抱えたままだった。


 帝国軍人の話をベネオラから聞き出し、イリスは今すぐにでもパンテラを調べたいと思っていた。

 イリスの捜査には王国の命運がかかっているかもしれない。その捜査を進展させるピースがパンテラにあるかもしれないと思えば、誰でもそうなるだろう。


 だが、イリスは目の前のベネオラも無視できなかった。


 今は楽しげに話しているベネオラだが、ほんの少し前までは見るからに動揺を抱えていた。恐らく、本人も正体に気づいていない気持ちだろう。その動揺の正体が分からないから、吐き出し方も分かっていない。


 それを見せられて、ここにベネオラを放置できるほど、イリスは鬼畜ではなかった。パンテラに連れていっても大丈夫と思えるほどに、今のベネオラが動揺を処理できたとも思えない。


 内通者の捜索のためにもパンテラに向かいたい気持ちはあるが、その気持ちの前にベネオラと話さないといけない。

 そう思ったのが少し前のことで、それからイリスはどう話を切り出したらいいのか迷い続けていた。


 ベネオラの動揺の正体はパンテラでの様子から、イリスは何となく見当がついている。そこに対する質問を並べて、ベネオラがどう答えるかもイリスには想像がつく。


 ベネオラは賢い子だ。相手が自分の返答でどのように思うかまで考えた上で発言することができる。

 それは気遣いができると言える一方で、自分の本心を隠す傾向があるとも言える。


 グインという血の繋がりがない父親がいて、そこに全幅の信頼を置いているとしても、どこかで遠慮する部分はあるのだろう。

 それがベネオラの良いところであり、悪いところでもあるとイリスは思った。


「あの?大丈夫ですか?」


 不意にベネオラがイリスの顔を覗き込み、イリスは我に返った。ベネオラに話をどう切り出すか悩んだ結果、考え込み過ぎたようだ。ベネオラは少し心配した表情をしていた。


「やっぱり、仕事が忙しいですよね?お父さんの無茶を聞いてくださってありがとうございます。私は大丈夫なので、お仕事にお戻りください」


 少し不安そうな笑みを浮かべるベネオラを前にして、イリスは「いや」と言葉を言いかけた。


 確かにイリスの仕事は忙しいと言える。事態は急を要している。一刻も早く、捜査を進める必要があるのは事実だろう。

 だが、今のイリスの悩みの本質はそこではなく、目の前のベネオラ自身だった。


 それを言うかどうか悩み、イリスは逡巡した。イリスの中で考えがまとまりかけようとするが、それを待つ時間はない。

 ベネオラに言葉を投げかけるなら今しかないと思い、イリスはまとまり切らなかった言葉を口にした。


「ベネオラちゃん。グインさんのこと好き?」


 咄嗟に口から飛び出した言葉を聞き、言われたベネオラだけでなく、イリスも驚いていた。何を言い出すのだろうかと自分自身で思ってしまう。


「どういう……?」

「いや、あれだよ!変な意味じゃなくて、お父さんとして、どうってことで……」

「ああ、そうですよね。好きですよ、お父さん」

「……だよね」


 会話の切り出し方として、明らかに間違った方向から歩み始めてしまったイリスは後悔するが、既に始まった会話を別角度から新たに始めることは難しく、イリスにそれができるとは思えなかった。


 ここから始めるしかないと思い、イリスは覚悟を決めて、ベネオラの心境に飛び込むことにする。


「その好きなお父さんに恋人ができたかもしれないって聞いて、ベネオラちゃんはどう思ったの?嫌だと思った?」

「え?急に何ですか?」

「ベネオラちゃんがそういう顔をしていたから」


 内面を聞き出そうとしても、うまく隠そうとするベネオラだが、その実、外面は内面を映し出していることが良くある。振る舞い切れない部分もベネオラのいいところだ。


 そこを指摘したら、流石のベネオラも隠そうとはしないはずだとイリスは思い、それは正解だった。

 ベネオラは少し恥ずかしそうに頬を触ってから、ちょっと悲しげに笑みを浮かべる。


「別に嫌だと思ったわけじゃないんですよ。ただ何となく、モヤモヤとして……」

「それは嫌とは違ったの?」

「はい。お父さんが幸せになることはとても嬉しいんです。ただ多分、不安なんだと思います……」


 ベネオラはゆっくりと俯いて、自分の手を見つめ始めた。その表情は笑っているが、その笑みはとても寂しげだ。


「お客さんはたくさん来てくれるけど、私の家族はずっとお父さんだけで、近くにいる人はお父さんくらいで、私の隣にいる人はお父さんだけだったんです。だけど、お父さんに恋人ができたら、きっとお父さんの隣にその人が立って、お父さんが少し離れちゃう気がして……」


 グインにはベネオラしかいないように、ベネオラにとってもグイン以外の家族はいない。グインに恋人ができたかもしれないと聞き、ベネオラは家族が増える想像よりも、グインが自分から離れる想像をしてしまった。


 だから、ずっと不安だった。


 そのベネオラの本心に触れ、イリスはゆっくりと手を伸ばした。ベネオラの見つめるベネオラの手を握り、イリスははっきりとベネオラに伝える。


「大丈夫だよ。私も殿下もベルさんも、シドラス先輩だってベネオラちゃんが好きで、ずっと近くにいるよ。それはグインさんも同じことで、絶対に離れたりしないよ。どんなに遠くにいたって、誰かが逢いに行くくらいベネオラちゃんのことを思ってるから」


 イリスのまっすぐな言葉を聞き、ベネオラは照れ臭そうに笑みを浮かべる。


「そう……ですかね?」

「絶対そうだよ。約束する。だから、ベネオラちゃんが不安に思うことなんてないよ。安心して。グインさんや私を信じて」

「分かり……ました。そうですね。お父さんを信じて、ちゃんとお祝いしたいと思います」


 ようやく明るい笑みを浮かべたベネオラの様子に安心しながら、イリスはさっきまとまり切らなかった言葉を頭の中でまとめることに成功していた。

 ベネオラの気持ちが少し落ちついた今なら、それを切り出しても抵抗が少ないだろう。


 イリスはまとめ上げた言葉を思い浮かべながら、明るい笑みを浮かべるベネオラに言った。


「ねえ、ベネオラちゃん。空き巣を捕まえるのに協力してくれないかな?」



   ☆   ★   ☆   ★



 昨日振りの訪問だが、たった一日で部屋の様子は一変していた。扉をノックするまでもなく、部屋の前には分かりやすく、荷物が散らかっている。

 まさか泥棒かと昨日にも思ったことを思ったが、今回は本当にそれが間違いないと思ってしまうほどの光景だった。


 だが、泥棒ではなかったようで、グインが扉をノックするよりも先にガルシアが部屋の中から顔を出した。


「よ、よう、ガルシア。凄い状況だな」


 グインがガルシアに声をかけると、ガルシアは嫌悪感に満ち満ちた顔でグインを睨みつけてくる。


「またお前か。邪魔だ、帰ってくれ」

「いや、悪い。大事な商談があるんだよな。忙しいのは分かってるんだが、その結果が分かったら教えに来て欲しいと思って。ただ今、店が……」


 そこまでグインが口を開いて、店に空き巣が入ったことを説明しようとした瞬間のことだ。ガルシアが消え入るように小さな声で何かを呟いた。


「……ましい……」

「え?何て言った?悪い。聞こえなかった」

「やかましいと言ったんだ!お前に話すことなどない!邪魔だ!」


 そう言いながら、ガルシアはグインの身体を押し出し、散らかった荷物をまとめ上げている。


 その時になって、グインはようやくガルシアの様子がおかしいことに気づいた。昨日までのガルシアと違って、今のガルシアは明確に急いでいる。時間に追われているような素振りだ。


「どうした?何があったんだ?商談があるんだろう?」

「それなら、もう終わった。何もかもな」

「そ、そうなのか?結果は?」

「結果?そんなものはない。最初から決まっていたんだ。はこうするつもりだったんだ。少しでも、希望を持った俺が馬鹿だった」

「何を言ってるんだ……?どうしたんだ、ガルシア……?何があったのか、落ちついて話せないか?」

「そんな時間はない。俺は一刻も早く、ここから立ち去る」

「立ち去るって……他に泊まる場所とか決まってるのか?まさか、王都を離れるわけじゃないだろう?」


 グインが不安をそのまま言葉として口にした瞬間、ガルシアの手が伸びて、グインの胸元を掴んできた。


「いい加減に黙れ……!お前の価値観で物を言うな……!お前の価値観を押しつけるな……!俺はここを離れる……!それ以外に方法はない……!俺の邪魔をするな……!」


 ガルシアに放り出されるように押され、グインはよたよたと後退った。ガルシアの剣幕に口を彷徨わせながらも、グインは言葉をぽつりと零していく。


「いや、だが、お前は……武器商人になって、この王都でやっていくって、俺はそう思っていたから……」

「夢なら寝てから見ろ。ここにそんな未来はない」


 ガルシアはそう言い残し、グインを拒絶するように部屋の中に消えていった。

 その姿を見送りながら、グインはハンクと最後に逢った時を思い出し、嫌な想像で胸を締めつけられる。


 まさか、またと思い、グインは再度、ガルシアに声をかけたが、ガルシアからの返答は一向になかった。

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