極秘調査(3)

 エルとの遭遇は思わぬ時間を要したが、それによって気づけたこともあった。


 エルが内通者である可能性を考えた時に、イリスはエルの様々な情報を頭の中に思い浮かべた。それは立場や実力、弱点などの客観的情報が大部分を占めていたが、性格のようなイリスの主観が大いに入った情報も含まれていた。

 その情報を元にイリスはエルの是非を判断したのだが、判断材料に性格を含むと、イリスがこれまでに接してきた王城内の人間全てが容疑者から外れることになる。


 つまり、イリスはこれまで王城内の人間と接する中で、その人物のどこかに怪しさを感じたことが一度もない。


 それは単純に内通者が怪しさを隠すのがうまかったから、と言われてしまえばそれまでだが、そうなってくると発覚の仕方が気になってくる。それだけ自身の素性を隠すのがうまい内通者にしたら、今回の発覚の仕方はあまりに稚拙だ。帝国と内通者、どちらのミスかは分からないが、それまでの慎重さからは考えられない行動と言える。


 もしかしたら、これは罠なのかもしれない。イリスはその可能性に行き当たり、王城内の廊下で立ち止まった。イリスの周辺にいる人間の中に内通者がいるとしたら、この内通者の発覚自体が罠の可能性は十分にある。


 可能性自体は十分にあるとは思うのだが、問題は罠の内容だ。自身の存在を知られてでも、王国を陥れることのできる罠など、イリスには想像もつかない。想像できない以上、回避もできないので、もしも罠なら状況はどう足掻いても悪い方向にしか転がらない。


 それなら一度、罠以外の可能性を潰し、罠の可能性を焙り出すことで、完璧な防衛とまでは行かないにしても、身構える程度のことはできるようにしておこう。

 王城内の廊下の中央で置物となり、今後の方針を定めたイリスは、もう一つ存在している可能性から調べることにした。


 それがイリスの周辺にそもそも内通者がいない可能性だ。


 騎士であるイリスも王城内の人間全てを把握しているわけではない。顔や名前しか知らない相手もいれば、顔も名前も分からない相手も中にはいる。

 特にメイドのような使用人や王城の警備を担当する衛兵には、そのように把握し切っていない相手が多く、それが衛兵だとしても、イリスが顔を知らない相手なら、すれ違う時に警戒することもあるくらいだ。


 その中に内通者がいたとしたら、イリスがその行動の怪しさに気づけるはずもない。これまでに怪しい行動を取っていた可能性があるのなら、今回のように杜撰としか言いようのない発覚の仕方をする可能性も等しくあるはずだ。


 そちらから調べて、罠である可能性が潰れたら、それに越したことはない。罠である可能性は後でブラゴに報告してから考えることにして、先に罠以外の可能性を潰すにしよう。


 そう思い、ようやく廊下の中央から動き出そうとしたのも束の間、イリスは再びの疑問に足を止めることになった。


 そもそも、内通者の存在に気づかなかった理由が接点のなさだとしたら、イリスが近づくことで内通者の捜査を相手に気取られる可能性がある。これまでに接点がなかったのに、急に接点ができる不自然さはどう頑張っても隠せないことだ。


 せめて、一定の信頼ができる相手に一定の協力を得られたら、その怪しさも誤魔化せる可能性はあるが、使用人で協力を求められる相手は、現在この国にいないベルくらいだ。


 この状況でどうやって動くのが正解か。イリスは再び置物になったまま、小首を傾げた。全然方法が思いつかない。


 そうしていたら、流石に廊下の中央で動かないイリスを邪魔と考える者が現れたようだ。イリスの背中をぽんぽんと叩き、注意するように声をかけてくる人物がいた。


「ちょっと通れません」

「ちょっと進めません」

「あ、えっと……」


 特徴的な抑揚の似通った声が聞こえ、イリスは振り返って考え始めた。


 顔に仕草、声から服装に至るまで、何もかも瓜二つの二人のメイドは、ベルの同僚でイリスも何度か逢った覚えがあった。

 唯一とも言える違いは、ぐいっと背伸びすると近づく髪の色だ。片方は赤、もう片方は青をしていて、そこからイリスはそれぞれの名前を思い出そうとする。


「えっと……ネガさんと…ポジさん……?」


 青、赤の順番で二人を指差し、少し恐る恐る名前を言ったイリスの前で、ネガとポジが不快そうに眉を顰めた。その表情を見た瞬間、イリスは顔を真っ青に染めた。


「えー、イリス様?覚えてないの?」

「えー、イリス様?分かってないの?」

「ご、ごめんなさい!」


 人の名前を間違えるなど、騎士であるとかどうとか関係なく、人として最低だ。いくら二人が双子で似通っているからって、その名前を言い間違えるなどあってはならないことだった。


 謝罪の言葉と同時に頭を下げて、必死に謝ろうとするイリスの前で、小さなくつくつとした笑い声が聞こえてきた。その声に不信感を覚え、イリスが少しずつ顔を上げてみると、そこではさっきまでの表情が嘘のように、笑いを堪えた様子のネガとポジが立っている。


「嘘ですよ、イリス様。正解」

「嘘ですよ、イリス様。当たってた」

「え?え?」


 状況が良く理解できず、動揺するイリスの前で、ネガとポジはしてやったりと言わんばかりにハイタッチを交わしていた。その姿にようやくイリスは自分が揶揄われていたと理解する。


「ふ、二人共……そういうドッキリはやめてください!」


 安堵感を噛み締めながら、イリスが目を剥いて怒ると、ネガとポジは笑顔のまま、軽く逃げるような素振りを見せた。


「だって、イリス様。挨拶がなかったから」

「だって、イリス様。帰ってきてたから」


 そう言われ、イリスは特に二人には挨拶していなかったことを思い出した。

 メイドである二人はベルを挟んでの付き合いがある程度だ。格段親しいと言える間柄でもないことから、特に帰ってきてから挨拶には向かわなかった。


「顔くらい見せてもいいのに……」

「声くらい聞かせてもいいのに……」


 イリスからの認識はそれくらいだったが、二人からすると相当に寂しかったらしく、しょんぼりと頭を垂れる姿を見て、イリスはとても申し訳ない気持ちになった。

 世間話とまで行くかは分からないが、帰ってきた挨拶とお互いの様子を確認するくらいはしておいても良かったかもしれない、と今更ながらに後悔してくる。


『なので!』


 ネガとポジが双子の特権を示すように、綺麗に声を合わせて叫ぶ。


「おかえりなさい、イリス様」

「お久しぶりです、イリス様」


 声と同じように綺麗に合わせて、ネガとポジがイリスに頭を下げる。その姿に何とも言えない照れ臭さと、何かを言いたい申し訳なさに包まれ、イリスは口を開いた。


「あ、ありがとう……」


 それくらいしか言葉が思い浮かばず、これくらいしか言えないのかとイリスは自分に落胆したが、これくらいの言葉でもネガとポジは嬉しかったのか、満面の笑顔で頷いてくれた。


 その二人にほっこりとした気持ちを感じながら、イリスはそれまで悩んでいたことを唐突に思い出す。


 関わりのないと思っていた場所にいるのが二人だ。その二人からなら、イリスが調べたくても調べられないことを聞き出せるかもしれない。

 そう思い、イリスは二人に質問を投げかけてみることにした。


「あの、少し二人に聞きたいことがあるんだけど」

「何ですか?スリーサイズ?」

「何ですか?下着の色?」

「いや、そういうのでは……」


 苦笑しながら否定しようと、イリスはかぶりを振りかけたが、その直前にネガとポジが揃って口を開いて、同じ一言を口にした。


『穿いてません』


「……なく、私が王都を……今、何と?」

「穿いてません」

「着用していません」

「え?下着を?本当に?どうして?」


 ネガとポジの口から飛び出た衝撃的な発言に、イリスは一瞬、前のめりになって聞こうとしたが、その前にイリスは自らに託された使命を思い出し、慌ててかぶりを振った。


「いや、違う!そういう話はいいの!」

「本当にいいんですか?」

「聞かなくていいんですか?」

「……今度、聞きます」

「イリス様、エッチ」

「イリス様、スケベ」


 イリスは顔を真っ赤にし、ネガとポジの発言を必死に否定しようとしたが、それよりも今は本題を優先させるべきだと何とか思い止まり、気持ちを変えるために咳を一つした。


「そういう話はいいんです。私は私が王都を離れている間に、何か変わったことがなかったか聞こうとしたの」

「変わった話?」


 ネガとポジが揃って首を傾げ、きょとんとした顔でイリスを見てくる。漠然と変わった話と言われても困るのだろう。


「何でもいいの。起きた変化とか、変な噂とか。竜王祭で起きたことは聞いたから、それ以外の小さい話で大丈夫」


 首を傾げたまま、顎に手を当て、ネガとポジは揃って考え込み始めたようだった。

 変わった話を求めているが、そもそもあるとも限らないので、これで何かが分かるのか怪しいところだが、もしもメイドや衛兵に内通者がいるのなら、最近の出来事の中で怪しい動きを見せているはずだ。その尻尾だけでも掴めるかもしれない。


 そう思っていたら、ネガとポジが同時に何かを思い出したのか、花が咲いたように途端に明るい顔をした。


「あっ、そういえば」

「最近のニュースが一つ」

「ニュース?どういうニュース?」


 何でもいいから、内通者に繋がる情報を、と思い、前のめりになるイリスの前で、ネガとポジが声を揃えた。


『アスマ殿下に春が来た!』


「…………はい?」


 全く予想もしていなかった話の登場に、イリスはきょとんとした顔のまま、ゆっくりと小首を傾げた。


「ギルバート卿の従者のタリアさん」

「そのタリアさんがアスマ殿下に恋している」

「そういう噂が衛兵の皆さんの間で流行中」

「メイドの間でも流行中」

「……それは……」


 ネガとポジが持ち出した話は、内通者とは全く関係ないと思われるものだった。それを聞いたイリスは少し返答に迷ってから、ちゃんとこの場面で言わなければいけないことを言うことにする。


「具体的にどういう話?」


 自身が仕える主人に春が来たと聞き、イリスの興味は全力で内通者からそちらに向いていた。

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