新たな問題(2)
ノックの一つもなく、自分の部屋に入るように、ソフィアの部屋の扉をアスマが開けた直後、ベルがアスマの後頭部を小突いた。小突かれた頭を押さえながら、「何するの?」とアスマが文句を言ってくるが、人の部屋にノックもせずに入る方が問題だ。
実際、急にアスマ達が入ってきたことで、部屋の中に一人で待っていたソフィアが驚いた顔をしていた。入ってきた人物がベル達であることに安堵しているようだ。
「ほら、急に入ってきてごめんなさい、とソフィアに謝れ」
「急に入ってきて、ごめんなさい」
物心ついたばかりの子供のように、丁寧に頭を下げるアスマに、ソフィアは苦い顔をしていた。何を言えばいいのか分からないのだろう。自分が同じ状況でも同じ表情をするはずだと思い、ベルはソフィアに同情する。
「王女殿下、お一人ですか?」
部屋の中を見回しながら、シドラスが呟いた。ソフィアは頷き、部屋までガイウスが同行してくれたことを伝えてくる。
「ただすぐに戻ってしまったわ。兄さんを一人にはできないって」
「そういえば、ハムレットはどうだったの?」
「貴方の言う通りだった。兄さんは私を狙ってないって、それで…」
続けて何かを言おうとしたが、すぐにソフィアは止まってしまった。ベル達が不思議そうに見つめていると、その視線に気づいたらしく、急に真っ赤な顔をしたソフィアが小さくかぶりを振り始める。
「ううん。何でもない」
ソフィアは消え入るように答えてから、空気を変えるように小さく咳払いをする。その行動でソフィアからの報告は終わりのようだと察したらしく、シドラスが今度は自分達の方で分かったことをソフィアに伝え始めた。
「こちらは取り敢えず、騎士の中に反乱分子か、その協力者がいる可能性が高いと分かりましたよ」
「騎士の中に?どうして、それが?」
「エルさんの教え子が殺害されたのですが、その犯人が騎士かもしれないのです。場所が魔術道具街なので、そこで違法な武器の取引現場を目撃され、殺害した可能性があります」
「そうなると、結構絞られるわね」
ソフィアの呟きにシドラスは頷いていた。これまではソフィアの命を誰が狙っていたか特定できていないことから、王城に住む全員を疑う必要があったが、そこに反乱分子の存在が加わると、その特定はそれまでよりも簡単になる。
「ただし、王女殿下を狙った理由がまだ判然としません。犯人が反乱分子だとしたら、その凶刃は国王陛下に向く可能性の方が高く、周囲の体制を変えたいのなら、十二貴族がもう少し狙われてもおかしくありません」
「騎士が犯人かもしれないのなら、ソフィアと逢っている可能性ってあるよね?ソフィアは騎士の誰かに恨まれる可能性とかないの?」
アスマに聞かれたソフィアはかぶりを振った。確かに反乱分子を利用することで、個人的な怨恨を晴らそうとした可能性は十分にあり、アスマの質問は珍しく的を射ていると思ったが、それは外れていたらしい。
「私と関わりがある騎士はラキアだけだったから。だけど、ラキアはもういないし…」
寂しそうに呟くソフィアの姿を見て、ベルはつい視線をシドラスに向けていた。その視線に気づいたらしく、シドラスは珍しく迷うような表情を見せたが、ゆっくりとかぶりを振る。伝えるタイミングはここではないということのようだ。ベルは今でもいいと思うのだが、それを無視してまでベルが伝えるべきことでもない。この場は黙ることにした。
「取り敢えず、私達が関与するのはここまでかもしれません。これ以上は国の重要な問題になりますし、私達が残る理由もないはずです」
「ええ~、嘘~。帰るつもりなの~?」
「殿下をいつまでも他国に置いておくことはできません。セリスさんが今は報告しているはずなので、その返答を待ってからになりますが、本来は帰還命令が出るはずです」
「シドラスはそれでいいの?」
「いいの、と聞かれると言葉に迷いますが…」
アスマからの質問に言葉を濁らせたシドラスを、ベルは率直に珍しいと思った。いつものシドラスなら、四の五の言わずに帰ると言いそうだ。
「珍しいな?」
「いえ、殿下の正体が殿下と知られることなく、本国に帰る予定でしたが、それが今回は叶いませんでした。帰還した際には何らかの処罰を受ける可能性が高く、その場合は甘んじて受けますが、挽回のチャンスがあるとしたら、それに頼りたい気持ちもあるのです」
「挽回?」
「ウルカヌス王国内の問題の解決に、私達が協力したとなると、それはウルカヌス王国に一つの貸しを作ったことになります。特に王女殿下は次期女王になられる御方ですから、貸しを作っておくことで円滑な外交が可能になり、本国とこの国の良好な関係に繋がる可能性があります」
「その評価で、アスマがアスマとバレたことを帳消しにしたいのか?」
「完全にできるとは思いませんが、せめてものお詫びに」
シドラスのことだから、自分が処罰を受けることよりも、セリスが一緒に処罰を受ける可能性を危惧し、それを防ぐ方法を考えていたのだろうが、それにしても、ソフィアの前でそれを説明するかとベルは思った。複雑そうな表情をするソフィアとエルに、何を言ったらいいのか分からないが、シドラスとしてはそれを口に出しても、ここから叶うことはないと思っているのだろう。
「まあ、そのようなことを考えても、明日になれば帰還命令が本国から届くと思います。それよりも、それまでの王女殿下の護衛をどうしましょうか?」
「護衛…?ああ、それなら、ガイウスが後で来ると言っていたわ」
「そうなのですか?それでしたら、そちらにお任せしましょう。私達は自室に戻りましょうか」
アスマは拒否しそうな雰囲気だったが、ベルはシドラスに頷き、そのアスマを引っ張るつもりで腕を掴んだ。アスマもシドラスだけでなく、ベルも相手になると分が悪いと判断したのか、不用意に怒られたくなかったのか、嫌々頷いている。
「あっ…その…」
そこでソフィアが急に呼び止めるように声をかけてきた。ベル達が怪訝げに振り返ると、言葉に迷ったらしく、小さくパクパクと口を動かすソフィアと目が合う。
「どうしたんだ?」
「あ…いや、その…何でもないの…気にしないで」
不思議なソフィアの行動は気になったが、本人が気にするなと言っていることを聞き出しても悪い。ベル達はソフィアの部屋を後にして、自室に戻ることにした。
☆ ★ ☆ ★
報告と共に届けられた物を確認し、エンブは苦い顔をした。既に同様の品物をいくつも見ていたので、それが間違いなく、同一の物であることはすぐに分かった。
「反乱分子が取引している違法な武器と同じだな。これが市場に?」
エンブに質問されたテンキは報告のためにまとめられた書類を見つめながら、その言葉に頷いた。
「店に売った人物の特定はできていませんが、取引の際にこれを店に渡したことが分かっているようです」
報告書に添えられていた一枚の紙を渡されたエンブが、その紙を鋭い視線で見つめ始める。
「うちで使用している契約書と似ているな」
「はい。ただ似ているだけで、紙の素材等は大きく違います」
「確かにそうだ。だが、問題は…」
エンブは契約書に似せられた紙の一部を睨みつけた。良く観察してみるが、それはエンブがこれまでに何度も見てきたものと同じ形をしている。
「間違いなく、ここに押された印章は本物だ」
「ですので、店も本物と勘違いしたようですね」
「どういうことだ?」
エンブが契約書をテーブルの上に投げながら、ベッドに腰掛けた。王城に足を踏み入れた以上、ユリウス殺害の一件から、王城の外に出ることは難しい。エンブもこれらの報告を王城の一室で聞くことになり、詳細を調べに行くことはできそうになかった。
契約書に押された印章はマーズの貴族が取り扱っている物と全く同じだ。それはその印章を用いている一人であるエンブだからこそ確信でき、だからこそ疑問だった。
「マーズの貴族の中に犯人がいるのでしょうか?」
「いや、それなら、紙の方が説明できない。印章を持つくらいの人間なら、白紙の契約書くらいは手に入れられるはずだ。下手に外部で作るよりも、その方が特定は難しくなる」
「そうなると外部の人間が?」
「その可能性の方が高いが、だとしたら、印章が本物であることの説明がつかない」
そう呟いてから、一つの可能性に気づいたエンブが頭を掻いた。
「まさかとは思うが、印章をなくした人物がいるのか?」
「それを外部の人間が入手したということですか?」
「かもしれない。取り敢えず、印章を持っている人間に片っ端から当たるように指示を。印章を今も所持しているか聞こう」
「分かりました。明日の早朝、知らせておきます」
首肯したテンキを見てから、エンブは再び届けられた武器を眺めていた。反乱分子が取り扱うくらいに、出所の分からない違法な武器。それが一般に流通することになった経緯が、エンブには分からなかった。それは調べても分からなかった流通経路の特定に繋がってしまい、武器を取り扱っている人物にとって、メリットがないはずだ。
「何かあったのか…?」
呟きながら考えてみるが、どこの誰かも分からない人間の思考が、エンブに分かるはずもなかった。
☆ ★ ☆ ★
アスマ達が立ち去った後、しばらくソフィアの護衛も兼ねて、部屋に残ってくれたエルと交代する形で、ガイウスがソフィアの護衛をしようとしていた。夜の間はガイウスが部屋を守ってくれるようで、ゆっくり休むように言ってくる。
ただソフィアはそこで一つの覚悟を決めていた。ハムレットとの約束で、ソフィアは様々なことと向き合うと決めた。特にちゃんと話すべき相手とは話をすると決意した以上、ガイウスに聞かなければいけないことがある。
その思いから、気を遣って部屋の外で警備しようとするガイウスを、ソフィアは呼び止めていた。部屋から出ようとしていたガイウスは呼び止められたことに驚いた顔をしている。
「どうかされましたか?」
驚いた顔のまま、そのように聞いてくるガイウスが見て、ソフィアは数回深い呼吸を繰り返した。心臓が潰れそうなほどに緊張しているが、それを理由に逃げることはもうしない。
覚悟を決めたソフィアが、扉を開けようとした体勢のまま固まったガイウスに、ちゃんと聞かなければいけないと、ずっと思っていたことを聞いた。
「ラキアはどうしたのですか?」
その問いにガイウスの瞳が大きく揺れたのが分かった。やはり、何かあることは間違いないはずだ。その理由を答えてくれないことにも何か理由があることは分かっている。
それでも、ソフィアは聞きたかった。
「ソフィア殿下には…お話しできません……」
ソフィアから顔を逸らしながら、いつもの冷たい口調でガイウスが言った。その拒絶するような態度に、いつものソフィアなら追及することを諦めていた。
しかし、今はハムレットとの約束がある。ここで引いてしまったら、ソフィアは何も変われないと思い、ソフィアは更に質問を重ねる。
「どうして、話してくれないのですか?教えてください。知っているのですよね?」
いつものように諦めてくれないソフィアに、ガイウスは少し驚いた表情をしていた。そこからの追及に苦しそうな顔をして、ガイウスはソフィアから視線を逸らす。
「お願いします。何も知らないままは嫌なのです」
そう言いながら、ソフィアが頭を下げたことで、ガイウスの方が諦めたようだった。
「分かりましたから、私なんぞに頭を下げないでください。ソフィア殿下は次にこの国を引っ張っていく御方なのですから」
ガイウスの言葉を聞き、ソフィアはすぐに顔を上げていた。思わず頬を緩めたソフィアを見て、ガイウスは更に苦しそうな顔をする。
「このことはこの国の一部の人間しか知りません。ソフィア殿下も一部はお聞きになっていることだと思いますが、全て他言無用でお願いします」
話し始める前にガイウスがそう言ってきたことで、ソフィアはその話に怪しさを覚え、自然とさっきまで緩んでいた頬が引き締まった。何か嫌な予感がすると思った時には遅く、ガイウスは真実を告げてきた。
「私の姉、ラキアは反乱分子の一人として、今は捕まっています」
その一言でソフィアは絶句した。そこからもガイウスの言葉はしばらく続いたのだが、何を言っているのか思い出せないほどに、ソフィアは強いショックを受けていた。
その後、ソフィアが次に正気を取り戻したのは翌朝のことである。眠ったのかどうかも思い出せないが、気づいた時にはベッドで横になっていた。
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