不慮の襲撃(1)

 学校を飛び出し、魔術道具を仕入れに行ったのかと思ったケロンだが、流石に授業を放棄してはまずいと思ったのか、まだ学校に残っていた。自分の担当する授業を終え、王城に戻るかケロンを探そうと思ったエルが、学校内でその姿を発見する。ケロンも授業は終わりのようで、これから帰るところのようだったが、エルが呼び止めると足を止めていた。


「先生!どうしたんですか!」


 押しつけるようなケロンの元気さに、どこか安堵するエルがいた。


「まだ学校にいたのですね?」


 エルが聞くように呟くと、ケロンが苦笑を浮かべながら、照れ臭そうに頭を掻き始める。


「本当は学校を出ようとしたんですけど、まだ授業があるから止められちゃって」


 当たり前のことだが、その当たり前がちゃんとあって良かったとエルは思った。これでケロンに聞かなければいけないことを聞けると思いながら、エルは真剣な表情を作った。


「一つ。ケロンさんにお聞きしたいことがあるのですが?」

「何ですか?」

「魔術道具街に出入りしているという話は本当ですか?」


 エルの問いを聞いた瞬間、ケロンの表情は見て分かるほどに曇った。それは言葉による返答がなくても、出入りしていることが分かる反応であり、その危険性をケロンが理解している証拠だ。その表情に流石のエルも険しい表情を作るしかない。


「あそこはこの国の中でも特に危険な場所です。ケロンさんが一人で行って大丈夫な場所ではありません。他にも少ないですが、魔術道具屋自体はあるはずです。魔術道具を求めるなら、そちらに行ってください」

「ごめんなさい…」


 草木が枯れて萎れるように、ケロンは分かりやすく落ち込んでいた。それは怒られたからなのか、魔術道具街に行けなくなったからなのか分からないが、悪いことと分かっていて、それを咎められたのなら、それを繰り返さない子だとエルは知っている。その姿に少しはホッとしながら、再度釘を刺しておくことにした。


「魔術道具を好きな気持ちは素晴らしいですが、それを理由に危険を冒すことはやめてください。ちゃんと他に手段はあります。今後は魔術道具街に絶対に立ち入らないように」

「はい…もう魔術道具街には行きません…」


 反省した様子のケロンに、エルは一先ず安心だと思った。いつまでも同じことを言っても仕方がない。説教はこれくらいにして、エルはケロンに帰るように促す。


「話は以上です。ちゃんとお家に帰ってくださいね」

「はい…分かりました、先生…」


 ケロンが少し落ち込んだ様子で学校を立ち去っていく。その姿に少しだけ申し訳ない気持ちになったが、エルの言っていることは間違っていない。申し訳なさを覚える必要はないと思うことにして、エルもケロンのように学校から出ることにした。


 急いで王城に戻って、エルには確認しなければいけないことがたくさんある。特に今朝知ったユリウスの殺害事件について、エルは詳細を知らないまま、王城を出ることになってしまった。

 取り敢えず、ソフィアは無事だろうかとエルは考えながら、魔術師学校を後にした。



   ☆   ★   ☆   ★



 名前はケイトと言った。自室に戻ることにしたセリスに、ノエルがつけたのが、その女の衛兵だった。セリスよりも若い衛兵で、ノエルが選んだだけあって、仕事に対する態度は真面目なようだ。その緑色の瞳で、セリスの身体に穴が開くのではないかと不安になるほど、ケイトはセリスを見つめてきている。


「自室にお戻りにならないのですか?」


 ようやくと言ったところか、ケイトがセリスの行動に対して、そのように聞いてきた。自室に戻るとノエルに言ったセリスだが、その本心ではノエルの行動を監視したい気持ちがあった。特にユリウスが殺害された今、疑わしい部分の多いノエルは襤褸を出す可能性が高くなっているはずだ。近くで監視することで、ノエルがソフィアの命を狙っている人物、もしくはその人物と関わりがあるのか見えてくるかもしれない。

 そう思うのだが、ケイトを監視につけられたことで、自由な行動ができない。自室に戻っても仕方がないと、セリスは迷っている途中だった。


 幸いなことに、ケイトがついていることで、王城内をある程度歩いていても、歩いているだけなら疑われることもない。ケイトも自室に戻らない点を訝しんでも、セリスが歩いているだけなら、それを必要以上に追及もしてこないはずだ。セリス達は犯行の疑いがあるだけで、実際にユリウスを殺害したと確定しているわけではないので、その部分で荒々しさを出してくることはない。

 この状態をうまく利用することで、セリスは何かを調べられないかと考えていたのだが、その何かが簡単に見つかるのなら、ソフィアやエルは苦労していなかった。


 流石にこのまま歩いていても仕方がないので、そろそろ自室に戻ろうかとセリスが考え始めた時に、ようやくケイトが言ったのが、先ほどの言葉だった。


「身体が鈍ってしまうと思い、少し多く歩いていただけです。そろそろ戻ります」


 セリスが笑顔を崩すことなく言うと、ケイトはできるだけ真面目な表情のまま、セリスの言葉に答えるように頷いた。その表情の硬さを見て気づいたのだが、どうやらケイトは緊張しているようだ。実力の分からないエアリエル王国の騎士を見ることになり、少し不安に思っているのだろう。いくらセリスが剣を所持していないとしても、自分がちゃんと戦えると決まったわけではない。


 その不安を下手に煽っても面倒なことになるだけだ。ここは大人しく、自室に戻ろうと思った直後、セリスは気になる人物を見つけた。


 城門近くに止まった馬車。そこに乗り込もうとしている人物はユリウスの妹のリリィだ。疲弊し切った様子に、兄を失った悲しみが見えてくるようだ。

 それに付き添う形で馬車に乗り込む人物はボウセンだった。恐らく、リリィを家に送るところなのだが、あの状態のリリィだけで無事に家に到着できるか怪しいので、ボウセンがついていくことになったのだろう。


 セリスが気になったのは、その馬車の傍にもう一人、立っている人物だった。ハッキリと見える横顔は比較的若い男のものなのだが、問題はセリスにも見覚えのある格好だ。特にその特徴的な外套はセリスも間近で見た記憶がある。


「あの人物は?」


 セリスがケイトに目を向けると、ケイトはセリスの視線の先を追いかけ、その人物を発見した。


「ああ。あれはハムレット殿下です」

「ハムレット殿下?あの方が?」


 心配そうにリリィを見つめ、その手を取ろうとしたのか、手を伸ばした瞬間にボウセンに怒られている様子の人物をセリスは見つめる。あれがソフィアの命を狙っている容疑者の一人かと考えてみるが、その雰囲気はあまり人の命を狙っているようには見えない。特にその振る舞いや雰囲気はどこかで見覚えがあるものだ。


「ああ、そうか…」


 思わずセリスが呟いたのは、自室に戻ろうと頭を切り替えた瞬間だった。そこで自室にいる可能性のある人物を思い出し、セリスはハムレットに覚えた既視感の正体に気づいた。


 ハムレットはどこかアスマに似ている。魔王と虚繭。正反対の境遇の持ち主だが、その振る舞いや雰囲気はそっくりだ。

 そう思ってしまったことで、セリスの中で疑問は更に膨らんだ。



   ☆   ★   ☆   ★



「ハックション!」


 アスマがお手本のようなくしゃみをした。廊下で人目も憚らずに盛大にくしゃみをしたアスマに、ベルは冷めた目を向ける。


「風邪かな?」


 鼻を啜りながら呟くアスマに、ベルはかぶりを振った。


「安心しろ。何とかは風邪を引かないそうだから、お前は風邪を引かない」

「え?何とかって?王子?魔王?」


 首を傾げたアスマの言葉を聞き、反射的にベルの拳が飛んだ。


「痛い!何で殴るの!?」

「ここでそれを口に出すな!それだから、風邪を引かないんだ!」

「意味が分からないよ…」


 涙目になりながら、ベルに殴られた頭をアスマは両手で押さえている。アスマがアスマであると知られるわけにはいかない環境で、誰が聞いているかも分からない廊下で、王子や魔王と口に出した方が悪いと思いながら、ベル達は自室に戻ってくる。


「どっちに入る?」


 そこでベルはまだ涙目のアスマにそう聞いた。ベルとアスマの部屋は分かれているが、立場的にも一緒の部屋にいた方がいいはずだ。頭を摩りながら、アスマは少し考えて、ベルやセリスに与えられた方の部屋を指差す。


「ソフィアがいるかもしれない…」

「流石に自分の部屋にいると思うが、昨晩はいたからな。そっちを見てみるか」


 アスマの指差した部屋に二人は歩いていく。そこで一瞬、ノックをすることも考えたが、自分達の部屋なのだから、ノックの必要はないかと思い、ベルはドアを開けた。そのまま、ベルとアスマは揃って部屋の中に入っていく。


 その直後、部屋の中央に人が立っていることに気づいた。

 その人物はを着ていた。


『あ』


 ベルとアスマが同時に声を漏らした瞬間、その人物の手の中できらりと何かが光った様子が見え、ベルは思わずアスマに飛びかかっていた。二人して床に倒れ込み、その寸前まで立っていた場所を撫でるように、外套の人物の手が通り過ぎていく。


 その手の中にはナイフが握られている。


「ベル!?大丈夫!?」


 心配した様子でアスマが聞いてくるが、今の攻撃は空中を横切っただけで、ベルは何ともなっていない。それよりも逃げる方が先決だと思い、ベルは返答もすることなく、その場で起き上がろうとする。


「あ、危ない!」


 その直後、アスマがベルの腕を引き、ベルの横を通り抜けるように足を突き出した。どうやら、外套の人物はベルやアスマを上からナイフで襲おうとしていたようだが、アスマの蹴りが腹に刺さり、ドアに背中をぶつけている。


 その隙にアスマはベルを引っ張りながら立ち上がった。ここからどうしようとベルが思った瞬間、外套の人物は自分が背中をぶつけたドアを軽く見てから、ベルとアスマを無視して一目散に窓に向かって走り出した。その勢いのまま、窓から飛び出してしまう。


「逃げた…?」


 驚いたベルが呟いた直後、部屋のドアが勢い良く開かれ、誰かが部屋の中に飛び込んできた。


「何事だ!?」


 そう叫びながら、部屋の中を見回す人物の顔を見て、ベルとアスマは揃って驚いた表情をする。


「この部屋から騒がしい音が聞こえてきましたが?」


 そう言いながら、ベルとアスマの顔を見てきたのはだった。

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