王女の過去
目移りの激しいアスマの舵取りに苦戦したが、ベル達は何とか王城に帰ってくることができていた。マーズの貴族の屋敷に向かい、そこから帰ってきただけとは思えない疲労感に、ベルはついに自分は死んでしまうかもしれないと夢を見るくらいだ。流石にもう少し早く到着すると思っていたのか、想像以上の時間のかかり方に、コーダも途中から苦笑いを浮かべるしかできていなかった。
「では、王城に帰ってきたことを報告してきますね」
王城に到着した直後、コーダがそのように告げてきた。あくまでベル達が逃げないように監視するのがコーダの役割だ。王城に帰ってきた段階で、その役目も終わったということだろう。ベルとアスマが頷くと、コーダは軽く会釈をして、王城の中に入っていく。
「では、私も戻ります」
コーダを見送ってから、マリアがそのように言ってきた。ベルもそれを見送ろうとしたが、その前にアスマが急にマリアを呼び止めてしまう。
「あっ、ちょっと待って」
「どうかなさいましたか?」
「マリアさんはこれからどうするの?」
「私の今日の仕事は皆さんの案内だけですので、このまま自室に戻ろうかと思っています」
マリアのその発言にベルは驚いた。ベル達を案内することが今日の仕事と言っているが、メイドの仕事がそれで完結することはない。王城に仕えるメイドは王城内の清掃を始めとする様々な雑務が仕事であり、案内だけで終わることはないからだ。ベルは例外的にアスマの世話という名の犠牲になることで、それらの仕事を免除されることはあるが、それは本当に例外的な話であり、マリアも同じ扱いになったとは考えられない。
マリアの言葉通りに、マリアがこの後にこなすべき仕事がないとしたら、それは前提的にマリアが担当する仕事は今日なかった可能性がある。
要するに、マリアはベル達を案内するために、わざわざ休みを取ったか、休みを消費した可能性があるということだ。
その可能性にベルは気づいてしまったが、アスマは気づいた様子がなく、「それなら」と話しを勝手に進めていた。
「ちょっとマリアさんに聞きたい話があるんだ」
「何でしょうか?」
「昔のソフィア…殿下の話を聞かせてくれないかな?」
マリアは本来なら休みのようだから、今日のところは解放してあげようと言いかけていたベルも、アスマのそのお願いに言葉を止めた。それがアスマのどの感情を発端としたお願いか分からないが、昔のソフィアに関する話はベルも気になっていた。幼少期のハムレットとの関わりや、ソフィアについていた騎士のことは触れた程度で、重要な部分が何も分かっていない。
「よろしいですが、話せない内容ももちろんあります」
アスマが聞いたことは王女の個人情報に当たる内容だ。話せる内容と話せない内容があることは当たり前だった。アスマもそれくらいは分かっていたのか、マリアの言葉に頷いている。
「それでは…」
マリアが少し周囲を見回し、城の一階部分を指差した。
「そこに談話室があります。そこに移動しましょう」
ベルとアスマが了承すると、マリアの案内で二人は王城一階にある談話室に移動することになった。いくつかのテーブルとソファーの並んだ部屋には、ベル達が到着した段階で誰もいない。先に部屋の中に入ったマリアが一つのテーブルを手で示し、そこに座るようにベル達に促してくる。ベルとアスマがその手の先にあったソファーに座ると、その向かいにマリアが腰を下ろした。
「昔の殿下のお話しということですが、具体的にどのようなお話がよろしいですか?」
「どんな話でもいいよ。昔はどういう子だったとか、ハムレット…殿下とどういう仲だったとか、そういうのかな?」
「幼少期の殿下ですか…」
そう呟きながら、マリアが少し遠い目をした。昔を思い出すために、自分の記憶の底を覗き込んでいるような目だ。ベルとアスマが大人しく待っていると、マリアはぽつりと零すように話し始める。
「殿下は今も昔もあまりお変わりはありません。聡明で大人しく、とても不器用な方です。ただ昔はもう少し明るい御方でした」
「明るい?」
今のソフィアは十分に明るいと思ってしまい、ベルもアスマも不思議そうな顔をしてしまった。その顔を別の意味で捉えたのか、マリアは肯定するように頷いている。
「特に国王陛下やハムレット殿下などのご家族の前では、良く無邪気に笑っておられました。ですが、その笑顔もいつの頃からか、あまり見られなくなりました」
「それはどうして?」
「きっかけはいくつかあったと思います。最初は殿下に魔術師としての才能があると分かった時でした。その時から、殿下は虚繭であるハムレット殿下にお逢いすることが少なくなっていきました」
「その前は良く逢ってたんですか?」
「良く逢っていたどころではなく、毎日のように一緒にいました。ハムレット殿下は昔からお身体が弱かったので、あまり外で遊ぶようなことはありませんでしたが、王城の中で殿下をお見かけする時は、必ずと言っていいほど、ハムレット殿下と一緒にいる時でしたから」
その話を聞いた途端、ベルはソフィアの気持ちが分かった気がした。自分に魔術師としての才能があり、ハムレットにとって毒になると分かってしまったら、それから近づけなくなるどころか、これまでの全ての時間がハムレットに悪い影響を与えていたのかもしれないと怖くなる。ソフィアがハムレットに逢わなくなったのは、ハムレットを傷つけるかもしれない可能性と、ハムレットを傷つけたかもしれない可能性に耐えられなかったからだ。
似たようなことから逃げたベルは、その気持ちが痛いほどに分かった。
「二人はどういう風に遊んでいたの?」
「私達が良く見たのは、お二人で本を読んでおられる姿でした。他にはお二人で絵を描いている姿も目撃したことがあります。その時はこっそりとキッチンから果物を盗んでいたようで、後々叱られておりました」
昔の二人の悪戯にアスマは笑っていたが、アスマは今もやりそうだと思って、ベルは少しも笑えなかった。寧ろ、アスマが笑っていることが不思議なくらいだ。
「魔術師としての才能を見出だされてから、殿下はハムレット殿下とどんどん疎遠になっていったのですが、その後、国王陛下がついに決断を下されました」
「もしかして、王位継承に関するお話ですか?」
「既にご存知でしたか…はい。ハムレット殿下の体調が幼少期から更に悪化したこともあって、陛下は殿下を次期女王とすることにお決めしたそうです。そこから、殿下は女王になるために、様々な勉強を始めました」
ベルやアスマは知らないが、マリアのソフィアに対する印象から察するに、普段のソフィアは王女として相応しい振る舞いをしていたに違いないことは分かった。ベルやアスマと接しているソフィアが本来のソフィアなら、その違いは大きく、そのための努力は計り知れないはずだ。ソフィアがどれだけの努力をしたのか、ベルには想像もできなかった。
「ですが、それをきっかけとして、殿下は更に周囲の人々と距離を取るようになってしまいました。ハムレット殿下だけではなく、他の様々な人物と一線を引いた対応をするようになったのです」
「何でだろう…?」
アスマは不思議そうに呟いたが、ベルにはすぐに分かった。ソフィアに近づいてくる人物の多くはソフィアの立場を考慮して近づいてくる。仮にその気持ちがなくても、周囲の人はそう考えることが増えてくる。そのどちらもソフィアは嫌ったに違いない。だから、最初から誰も近づけないように、ソフィアは自分から離れたのだろう。
「殿下はどんどん一人になってしまわれました。そこに救いのように現れた人物がラキアという騎士でした」
「ソフィア…殿下はその人のことを慕っていたんだよね?」
「はい。それはとても。ラキア様と一緒におられる時の殿下の姿を見る度に、私は昔の殿下とハムレット殿下の御関係を思い出しました」
自らの護衛として、心を閉ざしていったソフィアが唯一、心を開いた人物。そのラキアがいなくなったと言っていた。それは本当に家庭の事情で片づく話なのだろうかとベルは思った。
「そのラキアという方は、どういう御方だったのですか?」
「かなり明朗快活な女性でした。殿下も最初はいつものように距離を取られていたようですが、その距離をラキア様が気にすることなく詰められた結果、殿下と仲良くなられたように思いました」
当人ではないので、そこで何があったか分からないが、きっと仲良くなるきっかけがあったのだろうとベルは思った。それこそ、アスマとベルのように二人だけに通じることや、それが通じた秘密の時間があったのだろう。そう思ったら、ベルは少し気恥ずかしくなった。
「その御方は家庭の事情で騎士を辞められたとか?」
「そのようにガイウス様がお話になられたとか」
「え?どうして、そこでガイウスさんのお名前が?」
「ガイウス様はラキア様の弟君であられますから」
そのマリアの説明にベルとアスマは驚き、思わず顔を見合わせていた。ソフィアが襲われる少し前にいなくなったラキアの存在と、そのラキアの弟であるというガイウスに対する疑い。それがここで交わり、ベルの中で疑念として膨らんでいく。
ラキアは本当に家の事情で辞めたのか。そこに何か別の理由があったのではないか。その話からはそう思えて仕方なかった。
その後も、しばらくマリアから話を聞き、マリアも昔のソフィアについて話せることは全て話し終えた様子だった。その話にアスマも満足したようで、自室に戻るというマリアを見送ろうとしたのだが、その前にアスマが思い出したように最後の質問をしていた。
「あっ、そうだ。マリアさんに一つ聞きたかったんだ」
「何でしょうか?」
「マリアさんにとって、今のソフィア…殿下はどういう存在?」
「殿下ですか…?」
その質問に珍しく、少し驚いたように見える表情をしてから、マリアは考え始めた。
「殿下は…」
「殿下は?」
「遠い存在になられてしまいました…」
それだけ呟き、マリアは小さく微笑んだ。その瞬間の悲しそうな表情に、ベルは思わず息を呑んだ。
「それでは失礼します」
マリアが再び顔を上げ、ベル達に会釈をしてきたのだが、その時には既にいつもの無表情に戻っていた。その姿を二人は見送ってから、ベルがアスマに目を向ける。
「今ので良かったのか?」
「うん。大丈夫」
そう答えたアスマはアスマなりに何か分かったのか、とても清々しい表情をしており、二人は揃ってシドラス達が待っているだろう自室に戻ることにした。
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