監視された生活(2)

 本物のギルバートや殺されたユリウス、食堂で逢ったロップスと、若い貴族に多く逢ってきたが、基本的にそれは珍しいパターンだろうとベルは思っていた。血統主義と呼ばれるくらいに貴族が贔屓されるように、貴族の中でも年齢や血筋による贔屓はあるはずで、当主の血筋で年齢の高い人物が当主を務めることが普通であるのだろうと何となく考えていた。


 しかし、マーズの貴族の屋敷でベル達を迎えた人物は、とても若い人物だった。セリスと同じか、少し下くらいだろうか。ベルの実年齢の半分も絶対に生きていないと確信できる若さだ。


 先に話していた通り、マリアは屋敷に到着した段階で別れることになったのだが、コーダはベル達の監視もあるので屋敷の中にまでついてきて、ベル達と一緒に屋敷の住人に出迎えられることになった。


「ようこそ」


 そう言ってから、出迎えた男がコーダとベルを通過してから、アスマに目を向けた。


「貴方がギルバート卿かな?」


 見るからに若いアスマがギルバートであるとは思えないが、他の二人の格好は衛兵やメイドのものであることから、アスマ以外に該当する人物がいない。その考えを察することができたが、それを一切表情に出さない男の様子に、ベルは少しだけ怯え始めていた。嘘を吐くには厄介な相手かもしれないと思い始める。


「そうだよ」


 アスマがいつものように返答すると、男はゆっくりと手を伸ばしてきた。


「私はエンブ。マーズの貴族の当主を務めている。よろしく」

「うん。よろしくね」


 交渉と言うのに一切態度を崩さないアスマに、ベルは内心怒っていた。その態度ではギルバートではないと知られなくても、悪い印象を与えてしまう。ギルバートの名前に泥を塗る行為であり、正すべき状況なのだが、ここで注意するとそれこそ泥を塗りかねないので、ベルは何も言えなかった。


「正直なところ、乗り気ではなかったのだけれどね。今は他に忙しいから。ただソフィア殿下のお名前を出されては断るわけにもいかない。話くらいは聞こうかと、それくらいの気持ちだ」


 アスマと握手をしながら、エンブがそのように言い始めた。アスマに向けられた表情は軽く微笑んでいるが、目元に笑った雰囲気は感じられない。笑顔の中の視線は鋭く、アスマを好意的に思っていないと伝わってくる。

 それも仕方ないことかとベルは思った。本当にギルバートがウルカヌス王国で商売を始めるのなら、エンブは商売敵になる。いくら事前に話し合いがあったとしても、それを好意的に思うはずがない。


「まあ、仕方ないよね」


 アスマは苦笑いしながら頭を掻いていた。事前にエンブの反応はシドラスがいくつか予測を立てて、アスマに説明していた。今のエンブの対応も普段のアスマなら驚いていたかもしれないが、今のアスマなら不必要な驚きもなく、ちゃんと対応できたようだ。その対応が正解だったのかは分からないが。


「ところで、そちらは?」


 アスマとの握手を終えたエンブが、アスマの背後に立っていたコーダを手で示した。他国の貴族の護衛に衛兵がつくことはない。その護衛の部分も本来はベルが賄うべきだからだ。コーダがそこにいることを不思議に思うのも仕方がない。


「私はお二人のお目付け役でして」

「お目付け…?」


 コーダの説明にエンブは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに納得したように顔を明るくした。


「ああ、そうか。知らせは来たよ。王城でユリウス卿がなくなったとか。なるほど。そういうことか…」


 不敵に笑ったエンブの表情にベルは思わず背筋を伸ばした。一瞬だけだが、とても冷たい視線を向けられた気がして、心臓がバクバクと激しく鳴っている。


「まあ、兵士がいても問題ないよ。仕事柄慣れているし、叔父も近しいところだ」

「叔父?」

「王城で逢わなかったかな?ボウセンという騎士だ」

「え!?叔父さんなの!?」


 王城に到着した際にあった騎士の片方。ガイウスではない方の騎士の顔を思い出し、驚いたベルの隣で、アスマが驚きの声を上げた。「聞いていなかったかな?」と聞いてくるエンブに、アスマは大きく頷いている。


「まあ、本人も話さないことの方が多いし、聞いていなくて当然か…それより、移動しようか。商談を始めよう」


 エンブの表情が変わり、それまでの明るい雰囲気がなくなったことで、ベルは思わず息を呑んだ。流石のアスマも緊張し始めたのか、隣を見てみると横顔が強張って見える。


「テンキ」


 エンブが自分の背後に立っていた従者らしき男に声をかけた。その男が軽く会釈をしている間に、エンブは屋敷の奥に歩いていってしまう。


「私についてきてください」


 テンキと呼ばれた男がそうベル達に声をかけてきて、エンブから少し遅れた位置を歩き始めた。その後ろをついていきながら、不意にベルはエンブが直接アスマを出迎えたことに気づいた。わざわざ、当主が出迎えるほどにアスマを重要な客と思っているのかと考え、その考えが更に緊張感を増していた。



   ☆   ★   ☆   ★



 教室の中にいる生徒は二十名。それらを前にしながら、教壇に立つエルは授業を行っていた。今日の内容は魔術の基礎を構成する一つ、魔力に関する授業だ。特に魔力の性質に関する話を中心に説明していた。


「魔力の性質は地域によって異なると言われています。特に国ごとに大きな差があり、ウルカヌス王国に育った魔術師の多くは、火に関する魔術を得意としていますが、魔術大国として有名なエアリエル王国では、多くの魔術師が風に関する魔術を得意としています。この差は人種の違いという説の他、土地によって住む精霊の数が違い、育った土地に住む精霊の影響を多く受けた結果、得意とする魔術に違いが出るとも言われています」


 エルは説明を続けながら、自分を見つめる生徒を順番に眺めていた。その生徒の多くはエルの話を真面目に聞いているが、中にはエルの話を聞いているのか怪しいほどに、ぼうっとしている生徒もいる。


 授業を終えた直後、エルに話しかけてきたケロンという生徒も、そういう生徒の一人だった。教室の片隅の席で、授業中はほとんど上の空の様子だった。


「先生!ちょっといいですか!?」


 次は他の教室で授業がある。エルは教室を出ようとしていたが、話しかけてきた人物がケロンであったことから、エルは自然と足を止めていた。


「ケロンさん。先ほどは話を聞いていませんでしたよね?」

「あっ、バレました…?」


 申し訳なさそうな顔を一応はするが、謝る様子のないケロンに、エルは苦笑しかできなかった。他の教師なら怒るところだろうが、エルはソフィアに長年教えてきたこともあってか、こういう時に怒ることが苦手だった。


「それよりも先生!見てくださいよ!」


 そう言って、ケロンは何か不思議に曲がった筒を取り出した。それが何かすぐに分かり、エルは苦笑を更に強める。


「また魔術道具ですか?」

「はい!」


 元気良く頷いたケロンは、魔術師学校の中では珍しい下級貴族の出身なのだが、魔術師としての才能よりも、魔術道具に対する関心の方が大きいようで、そこまで多くない家の資金を魔術道具に溶かしては親に怒られ、良くしょんぼりとしていた。


 そのケロンが新しく仕入れた魔術道具が、たった今取り出した曲がった筒らしい。それが何か魔術道具に明るくないエルは分からなかったが、ケロンは自慢するように顔の前に持ってきた。


「見ていてください」


 そう言ったケロンが筒の端に口を当て、その中に一気に息を吹き込む。そうすると、筒が少しずつ柔らかくなり、やがて、自由に曲げられるくらいの硬度になった。


「ほら、こうして魔力に反応して柔らかくなる魔術道具なんですよ。これを活用することで、手錠みたいに使えます」

「それでしたら、普通に手錠を使った方がいいのでは?」

「他にもありますよ」


 そう言ったケロンが自分の鞄に手を突っ込み、中から何か透明な液体の入ったビンを取り出した。一見するとただの水にしか見えないようだが、そうではないらしい。


「これは?」

「これは何と魔力に反応して光る塗料です。これを使うことで、魔力の痕跡が分かります」


 鼻高々に説明するケロンを見て、エルは言葉に困ってしまった。どちらも魔術道具と呼ぶには不十分なもので、どちらかというと魔術道具の素材という印象のものだ。それをわざわざ買ったとなると、何と言ってあげたらいいのかエルには分からない。


「そ、そうですね…何にでも好奇心を持つことは良いことだと思いますよ。魔術道具を極めることも魔術師の道の一つですから」


 困った末にエルがそう言った途端、ケロンの目がキラキラと輝き出した。その目に、もしかしたら、間違ったことを言ってしまったかもしれないと思ったが、既に遅かった。


「分かりました!もっと珍しい魔術道具を見つけてきます!」


 そう言ってケロンが教室から飛び出してしまう。その姿に慌てて声をかけようとしたが、エルの声よりケロンの足の方が遥かに速かった。


 やってしまったかもしれない。そう思ってもケロンの姿が消えた今となっては遅く、エルはちょっとした後悔を抱えながら、とぼとぼと教室を出て、次の教室に向かい始める。


「エルドラド」


 その途中でそう声をかけられ、エルは思わず立ち止まった。声のした方に目を向けると、そこには見慣れた顔ながらも、そこにいるはずのない人物が立っており、思わず驚いてしまう。


「ワイズマン?どうして、ここにいるんですか?」


 エルがそう言ってしまうのも仕方がないことで、ワイズマンという名のこの人物は、エルと同じ国家魔術師なのだが、その仕事は研究者であり、主に研究室で魔術の研究を行っているはずだ。魔術師学校に来る理由がない。


「実は少し話があるんだが、いいか?」


 ワイズマンがそう切り出したことに不穏さを覚えながら、エルはゆっくりと頷いた。

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