監視された生活(1)

 外の騒がしさは依然として継続していたが、この騒ぎに乗じて自分を狙う人物がいないかと、ソフィアは気が気ではなかった。エルは教育者としての仕事の関係で王城にいない。訪ねてくるとしたらシドラスかセリスのはずなのだが、そのどちらも部屋にはやってこない。


 こうなったら、ソフィアから合流するしかないと思い、ソフィアはこっそりと部屋を抜け出した。その途中で自分の命を狙う人物と鉢合わせれば、危険なことは重々承知だが、居場所を完璧に知られている部屋にいるより、誰が通りがかるか分からない廊下にいる方が安全なのではないかとソフィアは思った。


 そこから、昨晩の大半を過ごしたベルとセリスに与えられた部屋に移動しようと、ソフィアが廊下を歩き出した直後、探していた人物の一人であるシドラスの姿を発見した。シドラスはちゃんと自分の様子を見に来てくれたらしい。そう思ったソフィアが声をかけようとした寸前に、シドラスが誰かと向かい合っていることに気づいた。


 それがガイウスであると分かった瞬間、ソフィアの足は自然と止まる。二人の雰囲気は非常に険悪で、それぞれの視線は睨んでいるという表現が最適なほどに鋭いものだった。


「ここで何を?」


 ガイウスがシドラスに問いかけているのだが、その声は針を仕舞ったように刺々しい。その様子を眺めているだけのソフィアでも、その声に緊張感を覚えたのだが、シドラスはそれをおくびにも見せず、変わらない表情でガイウスを見ていた。


「知り合いであるソフィア殿下が心配だと、ギルバート卿が仰せられたので、私が様子を見てくると約束したのです」

「貴方達は部外者だと考えているが?」

「知り合いを心配してはいけないと?」


 二人の踏み込みそうで踏み込まない会話に、ソフィアは耐えられないほどの緊張を覚えていた。そのあまりの緊張はソフィアの口から水分を完全に奪い去ったほどだ。


「こちらからも一つよろしいですか?」


 シドラスの問いにガイウスは口を開くことなく、少し不機嫌そうな表情で返答した。拒否しないことを肯定と思ったのか、シドラスはガイウスが口を開くことも待たずに、許可を求めた質問を口に出す。


「昨晩はどこにおられたのですか?」


 シドラスのその一言を聞き、ガイウスは露骨に怒りを見せた。その質問を聞いたソフィアも、流石に動揺してしまい、思わず声を出しかけたが、自分の手で口を押さえて何とか耐える。


「昨晩はボウセンさんと共にハムレット殿下の護衛を担当していたが、それは一体どういう意味での質問ですか?」

「深い意味はありませんよ。ちょっとした世間話です」

「そうですか。では、仮に言っておきますが、ボウセンさんだけでなく、周囲の衛兵が私の存在を証明してくれます。もしも、変な考えを持っているのなら、それは私に対する無礼だと私は判断する」

「変な考えなど持っていませんよ」


 穏やかな微笑みを浮かべるシドラスに対して、ガイウスは明確な敵意をシドラスに向けており、ソフィアは割り込める状況ではないと思った。二人が別れるまで待とうと思い、ソフィアはもう一度、自分の部屋に戻ろうとする。


 その寸前、シドラスと目が合った。反射的に動きを止めたソフィアが、引き攣った笑みを浮かべる。その笑みを見つめながら、ゆっくりと口を開くシドラスの姿に、ソフィアは思わず心の中で祈ってしまった。

 話しかけないでくれ、と。


「ソフィア殿下」


 その願いはその一言で簡単に砕かれた。シドラスの一言を聞いたガイウスが振り返り、そこに立っていたソフィアを見つけると、軽く会釈をしてくる。それに会釈を返しながら、ソフィアは軽く深呼吸し、二人の前に歩みを進めた。


「ここで何をなさっているのですか?」

「…………少しお話をしていたところです」


 体裁を整えたソフィアの口調に、明らかに驚いた様子を見せてから、シドラスがそう答えた。ソフィアはその間が気になってしまったが、触れても仕方がない。ソフィアは無視して、ガイウスに目を向ける。ガイウスは先ほどまでの怒りを表情から消し、少し取り繕ったような笑みでソフィアを見てくるが、握られた手を見るに怒りが収まったわけではないようだ。


「えっと…それでしたら、お部屋でゆっくりお話しされますか?」


 ソフィアを呼びに出たくらいなのだから、ソフィアとしてはシドラスに帰られても困る。何とか部屋に連れていく理由を作るためにそう言ったのだが、シドラスもそれを酌んでくれたのか、ソフィアに笑顔を向けてきながら首肯してくれる。


「そうします」


 その返答にホッとしながら、ソフィアはガイウスの反応を待った。ガイウスのこの怒りから考えるに、シドラスと一緒の部屋にいたくはないはずだ。きっと戻ると言うに違いない。ソフィアはそう思っての提案だったが、口を開いたガイウスは意外な返答をしてきた。


「そうしましょう」


 ガイウスの一言にソフィアとシドラスは少し固まり、きょとんとした顔でガイウスを見つめてしまっていた。ガイウスは二人の反応を気にも留めない様子で、「行きましょう」と声をかけてくる。


「そ、そうですわね…」


 困ったことになってしまったとソフィアが少し後悔しながら、二人の国の違う騎士と一緒に自室に戻っていく。


 その途中で不意に思ったのか、シドラスが不思議そうにソフィアを見ながら呟いた。


「そういえば、どうしてソフィア殿下には騎士がついていないのですか?」

「え…?」


 その問いにソフィアは酷く動揺し、自然とガイウスを見ていた。ガイウスの表情も少し曇り、ソフィアの登場で隠れたはずの怒りが、再び表情に現れている。


「お前には関係のないことだ」


 小さくそう呟いた声を聞き、ソフィアの胸は強く痛む。ガイウスに何かを言おうとして、ソフィアは口を軽く開いたが、それも何かを言う前に閉じてしまった。



   ☆   ★   ☆   ★



「今日はありがとうね」


 朝食を済ませたベル達に本日の案内役が合流し、アスマが最初に言った一言がそれだった。その言葉を受けた人物は軽く頭を下げ、「問題ありません」と簡潔に答える。最初にベル達を部屋まで案内してくれたマリアだ。


「それで、こっちは俺達の護衛を担当してくれるコーダ君」

「多分、護衛ではなく、監視だと思いますよ、ギルバート様?」

「あっ、どうも」


 照れたように頭を掻いたのは、ノエルの指示を受けてアスマ達に同行することになった一人の衛兵だ。食事の最中に軽い自己紹介を済ませたのだが、その性格は極めて明るく、少しニコラスに似ているとベルは思った。


「じゃあ、出発しよう!」


 アスマが天高く拳を突き上げ、遠足のようなテンションを保ったまま、ベル達四人は王城の外に歩き出した。当初の予定では馬車を使うはずだったのだが、事件の影響もあって、逃走の可能性のある馬車の使用は禁止され、四人は歩くことになったのだ。


 目に入るもの全てに目を奪われるアスマを制しながら、ベル達はマリアの案内で歩いていく。コーダもマーズの貴族の屋敷は知らないようで、三人はマリアを見失うことができない。そう何度も言っているのだが、アスマの好奇心は尽きないようで、今にも王都の街中に消えていきそうだ。ただでさえ、いつものアスマに対する接し方ができない場面で、ベルはアスマを止めることに疲労が溜まりつつあった。


「手でも握りますか?」


 ベルの様子を不憫に思ったのか、しばらく考えた末にコーダがその提案をしてきた。流石にそれは馬鹿らしいと思ったのだが、それを勘違いしたのか、アスマが唐突にベルの手を握ってくる。


「そうだね。見失っちゃうかもしれないもんね、ベ…タリアちゃん」

「いや、そういうことではなく…」

「コーダ君も握る?」


 アスマがもう片方の手を上げて、コーダに伸ばしているが、コーダは流石に嫌だったのか、手をぶんぶんと振るいながら、笑って拒否している。嫌だと思うことを提案するなとベルは言ってやりたかったが、そこでアスマは別のことに気づいたようだ。


「あれ?その包帯どうしたの?大丈夫?」


 見るとコーダは腕に包帯を巻いていた。その指摘にコーダは苦笑しながら、腕を見せてくる。


「実は昨日の仕事の途中で切ってしまって。大丈夫と言ったのですが、大袈裟に巻かれてしまったんですよ」

「大丈夫なの?痛くない?」

「ああ、大丈夫ですよ。まあ、ちょっと痛みはありますけど、利き手ではなかったので、そこまで問題はないですね」

「それなら良かったけど…お大事にね」


 アスマとコーダがその会話を繰り広げている間にも、マリアは一言を発することがなかった。そのあまりに無口な様子をベルが気にしていると、アスマがマリアに気づいて、マリアにも手を伸ばしている。


「マリアさんも繋ぐ?」

「いえ、結構です」

「でも、迷子にならないよ?」

「小さな子供ではないのですから、手を繋がずとも迷子にならないでください」


 マリアの意外と辛辣な発言にベルは笑いそうになった。いつものベルの発言と比べると、その一言はまだ優しいためか、アスマはそこまで気にしていない様子で、寧ろコーダの方が驚いている。


「小さな子供だったら、手を繋いだの?」


 何気なく呟いたアスマの一言に、マリアは少し考えるような表情を見せた。ずっと無表情の仮面を被ったように、表情の変化が見られなかっただけに、その変化が見えたことにベルは少し驚いた。


「それが必要であれば」

「必要じゃなかったら繋がないの?」

「それは…分かりません。昔から、子供の相手は苦手なのです」


 昔から、と言ったマリアの表情に、ベルはマリアと初めて逢った時のことを思い出した。あの時のソフィアの反応を見るに、ソフィアとマリアは以前から知り合いのようだった。


「もしかして、マリアさんは小さい頃から、ソフィア殿下のお世話を?」


 その問いにマリアは小さく頷いた。それを見たアスマの目が急に輝き始める。


「ええっ!?昔のソフィア…殿下のことを知ってるの!?」

「ええ、まあ…」

「昔のソフィア…殿下はどんな感じだったの?」


 アスマの問いを受けたマリアが少し考え、向かう先を指差しながら、「歩きながらでも?」と聞いてきた。それにアスマが頷くと、四人は再び屋敷に向かって歩き出す。


「ソフィア殿下ですが、今も昔もあまり変わりはありません。聡明で大人しく不器用なお方です」

「大人しい…?」

「ですので、殿下がこの国を出られた時は驚きました。そのようなことをなさる方だとは思っていなかったので」


 ベル達の知っているソフィアは今にも王城を抜け出しそうな性格をしているが、次期女王になる身なのだから、その性格は隠しているということなのだろうか。ベルは思わずアスマと顔を見合わせたが、そのことには言及しなかった。


「ですが、殿下は寂しかったのかもしれません」

「寂しかった?」

「魔術師の才能を見出だされ、魔術の勉強を始めるようになってから、ソフィア殿下はハムレット殿下と疎遠になられておられましたから」

「え?ハムレット殿下と仲が良かったのですか?」

「はい。昔は良くお二人で遊ばれておりましたよ」


 昔はソフィアとハムレットの仲が良かった。その事実にベルとアスマは共に驚き、しばらく言葉を失っていた。それが今では命を狙い狙われの関係になるのかと思うと、何とも言えない気持ちになる。


「そういえば、ソフィア殿下の行方が分からなくなる前に、ソフィア殿下の護衛を担当していた騎士が一人いなくなりましたよね。あれも国を出た理由の一つなのかもしれませんね」


 マリアの話を聞きながら、コーダが不意に思い出したのか、そう呟いた。そう言われたことで、ベルはソフィアに騎士がいないことを不思議に思っていたと思い出す。


「ソフィア殿下の騎士が?どうしていなくなったのですか?」

「さあ?俺は良く知りませんね」

「私も詳細には把握していませんが、聞いたところによると、家庭の事情で騎士を辞めることになったとか」

「ラキアさんはソフィア殿下が姉のように慕っていましたから、いなくなって寂しかったのかもしれませんね」


 国を出る前ということは、ソフィアが命を狙われる前のはずだ。そこでソフィアの騎士がいなくなったということは、ソフィアの命を狙うために、騎士を辞めさせられた可能性がある。それができる人物となると、騎士団のトップである騎士団長か、それ以上の人物。その中にソフィアの命を狙っている人物が最低でも一人はいる。


 ベルがそう考え始めた時、マリアが前方に見えてきた建物を手で示した。


「あちらがマーズの貴族のお屋敷です」


 そこはまだ距離が離れているのだが、その屋敷の全貌が分からないほどに広く、大きな建物だった。その大きさに初めて来ると言っていたコーダが口をあんぐりと開けている。


「大きな屋敷ですね…」


 その呟きにベルもアスマも答えなかった。それは大きさに驚いていたわけではなく、しばらく王城に過ごした結果、大きさの基準がおかしくなっていたからだ。その屋敷が大きいと言われても、テンペスト城と比べると小さいとしか思えない。


「もしかして、ギルバート卿のお屋敷もあれくらい大きいのですか?」

「えっ、あ、まあ、そうだね…」


 アスマがギルバートの屋敷を訪れた話は聞いたことがないので、それは恐らく、アスマが適当に答えたことだろう。そう答えるしかない状況なので仕方ないが、場合によってはギルバートに傷を作るかもしれない返答だと思いながら、ベルは再び近づいてくる屋敷を見た。


 これだけの大きさの屋敷ということは、それだけ武器の取引で儲かっているということだ。そこにきな臭さを覚えてしまうのは、ソフィアの命が狙われていることをベルが知っているからかもしれない。


「お屋敷に到着しましたら、私は門の近くで待機することになると思いますので、そこからはお三方で向かってください」

「え?マリアさんはそこでお別れ?」

「帰りの案内はしますが、お屋敷の中に立ち入る権利はないので」

「俺はついていっても大丈夫なんですかね?」

「それは分かりません」


 引き攣った表情をするコーダに苦笑している間に、ベル達はマーズの貴族の屋敷の前に到着する。そこで門の警備をしていた人物に声をかけ、ベル達はアスマを先頭に屋敷に入っていくことになる。


 さて、問題はここからだ。そう思ったら、途端にベルの緊張が高まっていた。

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