隣国の人々(5)

 テーブルの上に並べられた書類を整理しながら、政務のために必要な書類をまとめている最中だった。ミドリの部屋の扉がノックされ、ミドリが声をかけると、神妙な面持ちのガイウスが部屋の中に入ってきた。ミドリに騎士が接触することは普段なく、それもハムレットについているガイウスとなれば、これまでに覚えがない。ミドリはガイウスが部屋にやってきたことに酷く驚いた。


「どうされたのですか?」

「少しミドリ様にお話があるのですが」


 初めてミドリを訪ねたガイウスから話があると言われ、ミドリは瞬間的に緊張した。自分が何か問題でも起こしてしまったかだろうかと考えてみるが、思い当たる節はない。ミドリはこの国にとって部外者だ。重要な役職につけてはいるが、何か問題が起きた際には遠慮もなく切られる。

 ミドリが密かに恐怖していると、ガイウスは思ってもみなかった質問をしてきた。


「先ほど、エアリエル王国からのお客人と何をお話ししていたのですか?」


 ミドリは少し前に廊下で出逢ったギルバート、タリアと名乗った二人の人物の顔を思い出した。そこで交わされた会話を思い出してみるが、その内容は非常に私用なものであり、ガイウスに話すようなものは何もない。


「特に変わったことは話していませんよ?」


 本心からそう言ったのだが、ガイウスはその返答を許してくれなかった。話そうとしないミドリを訝しんだのか、睨みつけるような鋭い視線をミドリに向けてくる。


「話せないような内容なのですか?」

「いえ、そういうわけではありませんが…」

「では、お話ししていただけますか?」


 ガイウスの追及にミドリは疑問を懐いたが、それを聞き返す度胸はなかった。素直に従うことにして、ミドリは二人と行ったグインにまつわる話をガイウスにした。セリアン王国出身の人物が共通の知人にいたため、その人の近況を聞いたと説明し、その上でグインに自分も元気でやっていると伝えるようにお願いして、二人とは別れたと嘘偽りなく話した。その話をガイウスがどう思ったのか分からないが、ただ話を聞き終えてもガイウスの表情は変わらなかった。険しく、何かを考え込むような表情で、その表情にミドリはまだ追及されるのではないかと怯えた。


「そうですか…まあ、そう話すのなら、そういうことにしましょう…」


 しかし、ガイウスはそう言うだけで、それ以上の追及をしてこなかった。ただその言葉に納得した雰囲気は何もない。分かることはミドリに対して、一定の疑いを懐き続けている事実だ。ガイウスがミドリの部屋を訪れるまでに接触してきた覚えはこれまでにないが、ガイウスとの会話が一切なかったわけではない。軽い会話程度であれば、廊下ですれ違う時に交わしたことはあるのだが、特にこの数年のガイウスはミドリに対する当たりが強く、時に敵愾心にも思える感情を懐いているように見えるくらいだった。その理由はミドリにも分からず、ミドリは逢う度に混乱し、そのことを思い出しながら今も混乱した。


「ですが、これ以上、あのお客人に近づかないようにお気をつけください」

「ど、どうして…でしょうか?」

「それは…」


 唐突にガイウスが迷ったように視線を動かし、それから、「貴方には話せません」と突き放すように呟いてから、ガイウスは部屋を出ていった。残されたミドリはガイウスの言葉の強さに唖然とし、しばらく仕事に手がつかないほどに混乱していた。



   ☆   ★   ☆   ★



 ガイウスがミドリの部屋を出た直後、そこでガイウスを待ち構えていたようにボウセンが声をかけてきた。


「ミドリ様に何か用が?」


 そう聞いてきたボウセンにガイウスは小さくかぶりを振る。「何でもありません」と口に出し、すぐにその場から立ち去ろうとした。


「最近、何をやっているんだ?」


 その瞬間にボウセンが呟いた言葉に、ガイウスは立ち止まり、ゆっくりとボウセンの顔を見た。こちらを見つめるボウセンの目は真剣なもので、ガイウスはその表情と共に、しばし思案する。


「特に何でもありませんよ。ボウセンさんが気にすることは何も」

「一つだけ聞いておくが、それはハムレット殿下に不利益を生ずるものではないのだな?」


 ボウセンの質問にガイウスは少し悩んでから、首を縦に振った。その悩んだ部分が気になったようだが、それ以上の追及が無意味だと理解したのか、ボウセンは必要以上に聞いてくることがなかった。


「分かった。呼び止めて悪かった」


 ボウセンに軽く頭を下げ、ガイウスは背を向けて歩き出す。その背にボウセンの鋭い視線を感じたが、ガイウスにはやるべきことがある。そのためにガイウスは振り向くことなく、その場から立ち去るように歩き続けた。



   ☆   ★   ☆   ★



 判明した事実をセリスに伝えるために隣の部屋に移動したのだが、セリスはその部屋にいなかった。マリアに声をかけると、考えごとをしたいからと中庭の方に行く道を聞かれたそうで、シドラスもその後を追いかけることにして、王城の中を歩き出した。流石に今回の一件にはセリスも頭を悩ませているようだとシドラスが考えていると、その途中に気になる顔を見つけてしまった。


 それがガイウスだった。談話室と思われる部屋の中で一人、何かを黙々と読んでいるようだ。何かと思ったシドラスが軽く覗こうかとしたところで、ドアに身体が触れてしまい、談話室のドアが開いた。その音に反応したガイウスが咄嗟に読んでいた何かを隠していた。


「これは騎士の…」

「シドラスです」

「シドラスさんですか…どうしてここに?」

「一緒にいた騎士を中庭の方に探しに行く途中で、たまたまお見かけしたものですから。何を読んでいらっしゃったのですか?」


 シドラスがガイウスの隠した何かを手で示しながら訊ねると、ガイウスは「何でもありません」と答え、すぐに手の中にあった数枚の紙を折り畳んでしまった。その中身が気になるのだが、それを追求することは難しそうだとシドラスは思う。


 代わりにガイウス自身を少し探れないかとシドラスは考えた。ここから情報を得られるのなら、それに越したことはない。


「王女殿下からお聞きしました。貴方も王子付きの騎士だとか」

「貴方も、ということはシドラスさんもそうなのですか?」

「ええ、まあ…」


 その王子が一緒に来ている少年です、とは流石に言えず、シドラスは軽く頷くだけで済ませる。


「それでしたら、シドラスさんもさぞかし高名な貴族の出身なのでしょうね」

「いえ、恥ずかしながら、私は平民の出身でして」


 ガイウスの問いかけに対して、シドラスは何気なく返答したのだが、その言葉を聞いた途端、ガイウスの顔色が変化した。


「平民?それでいて、王子付きに?」

「そうですが?」

「ああ、そういうことですか…なら、きっと王子の方も大した人物ではないのでしょうね」


 唐突に雰囲気の変わったガイウスからの言葉に、シドラスは眉を顰めた。不機嫌そうにも見えるガイウスが何を思ったのか知らないが、シドラスに対する悪口なら未だしも、アスマに対する悪口をシドラスは許すわけにはいかない。何より、アスマを大した人物ではないと言われたことに対する怒りが強い。


「訂正していただけますか?」


 シドラスが語気を強めてそう言うと、それに反応するようにガイウスの視線が鋭くなった。


「どうして?」

「知りもしない人物にあの方を悪く言われる筋合いはない!」

「貴方の振る舞いを見ていたら、それだけで透けて見えるようですが?」


 怒りを強めるシドラスに呼応するように、ガイウスからの挑発は強まっていた。シドラスは強く歯を噛み、怒りのままにガイウスに飛びかかろうかと考える。いつもの冷静さを保っていたら、腰元に剣を携えたガイウスに飛びかかることは絶対にないのだが、この時のシドラスは怒りで完全に視野が狭まっていた。


 これ以上、アスマに対する侮辱を許すわけにはいかない。そう思ったシドラスが、本当にガイウスに掴みかかりかけた瞬間だった。


「何をしているんだ?」


 不意に声をかけられ、シドラスが振り返った。そこには談話室を覗き込むようにセリスが立っている。


「そちらはウルカヌス王国の騎士様のようですが、ここで何を?」

「別に何でもありません。失礼します」


 それだけを告げて、ガイウスはすぐに部屋から出ていこうとする。それをシドラスが止めようとした瞬間、セリスの腕が伸びてきて、シドラスの腕が掴まれた。それらの行動を見ていたガイウスの鋭い視線がシドラスに刺さる。


「何があったか分からないが、そんな顔をするな。ここは他国の王城だ」


 小声で忠告してきたセリスの言葉によって、ようやくシドラスは我に返った。もう少しで自分が大問題を起こしそうだったことに気づき、小さく「申し訳ありません」と呟く。既に談話室からガイウスは立ち去っており、シドラスはガイウスの真意を聞くことができなかったが、その行動には疑わしさしかなかった。ソフィアから話を聞いた時から芽生えていたガイウスに対する疑念が、着々とシドラスの中で膨らみ始めていた。

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