隣国の人々(1)

 エアリエル王国の王城には、魔術師棟と呼ばれる特別な建物があり、王城に住まう国家魔術師の全てがそこで暮らしている。魔術に関する研究も全てそこで行われ、研究の最中に不慮の事故が起きてしまったとしても、王室に影響が出ないように配慮されている。


 しかし、ウルカヌス王国の王城は違っているようで、ソフィアの魔術の師匠に逢いに行くと言って、ソフィアが向かった先は、アスマ達が与えられた部屋から比較的近くに位置する一室だった。その構造に驚いたらしいシドラスが、魔術の研究が居住スペースの近くで行われているのか聞くと、ソフィアはかぶりを振って答えた。


「研究者用の住居として研究棟があって、魔術研究はそこで行われているわ」

「研究者?研究棟?」


 聞き慣れない言葉にベル達が首を傾げたが、その説明を受ける前に目的地に辿りついてしまった。ソフィアが扉をノックし、自分の名前を名乗ると、中からドタバタと騒がしい音が聞こえてくる。その音を聞きながら少し待っていると、中途半端に寝癖を整え、何とか体裁を整えたようにしか見えない男が顔を出した。年齢はセリスと同じくらいだろうか。ソフィアを前にして慌てた様子で頭を下げた。


「殿下、良くぞ、ご無事で」

「ありがとう。そっちはどうだった?」

「残念ながら、あまり…」


 申し訳なさそうにそう答えながら、男の目がベル達を見た。視線だけソフィアに向け、ベル達が何者であるか聞こうとしている。それを受けたソフィアが先に、男をベル達に紹介した。


「この人が私の魔術の師匠、エルドラド。みんなにはエルって呼ばれてる」

「え、エル!?」


 驚くアスマと一緒にベルは、別のエルの顔を思い浮かべていた。その反応に目の前のエルも気づいたのか、言いづらそうに頭を掻き、僅かにかぶりを振った。


「有名なエルではなく、私はしがない方のエルです。同じ国家魔術師ですが、あそこまで凄い才能はありません」


 ベル達が何者であるか説明する前にそう言ってきたところを見るに、これまでも似た反応が多くあったのだろう。もちろん、ベルもアスマも、その有名な方のエルを知っているので、そこと間違えたわけではない。ただ偶然にも知り合いと同じ愛称の人物と逢って、興奮したという方が正しい。


「それで師匠。この人達は私がエアリエル王国で…その…世話になった人達」

「そうなのですか。殿下がお世話になりました」


 額面通りに言葉を受け取り、素直に頭を下げてくれたエルに、ベルとシドラスは苦笑するしかなかった。実際のところは世話の意味が少し違うのだが、それを説明するほどにベルもシドラスも残忍な性格はしていない。特にシドラスはここに連れてきてもらった理由もあって、それを説明することはないだろう。


「名前は…」


 そこでソフィアが少し止まった。本当のことを言うのか、ここに来てからの体裁通りにギルバートと紹介するべきなのか分からなくなったのだろう。ソフィアがどちらで説明しようかと悩んでいる間に、自分で名乗るように促したのだと勘違いしたアスマが勝手に名乗ってしまう。


「俺はアスマ。こっちはベルとシドラス」

「アスマさんですか。どうも、初めまして、私はエルド…」


 そこまで言いながら頭を下げようとして、エルが動きを止めた。名前を理解していくに連れて、頭の中にある知識が引っかかったのだろう。ゆっくりと顔を上げたかと思うと、真ん丸くした目でアスマを見た。


「えっと…アスマ、さん?」

「うん。そうだよ」

「記憶違いでしたら申し訳ありませんが、エアリエル王国の王子殿下のお名前もアスマではありませんでしたか?」


 その言葉に素直に頷いてから、アスマは自分の行動に気づいたようだ。驚いた顔をして、ベルとシドラスの顔を見てきた。


「あれ?そういえば、俺はギルバートって言わないといけないんだっけ?」

「もう遅いですよ、殿下」


 シドラスの呆れた呟きを聞き、エルは全身の筋肉に金属を流し込まれたように硬直した。王子であることもそうだが、アスマが魔王であることは魔術師なら絶対に知っているはずだ。一種の畏怖の念がそこにあるに違いない。


 アスマは固まってしまったエルの前で、何度か手を振って反応を確認していたが、エルはしばらく動いてくれなかった。その間にシドラスがここに来た理由の説明を、一方的にエルに始める。


「王女殿下が命を狙われていることは聞きました。その犯人の可能性も聞きました。その上でここに来たのですが、私達は王女殿下を貴方に任せたいと考えています」

「えっ…?ちょっと、どういうこ…!?」

「どういうことなの、シドラス!?協力しないってこと!?」


 ソフィアが叫び出すよりも先に、アスマがシドラスに詰め寄っていた。その反応に驚きながら、シドラスは自分を掴んできたアスマの手を放させる。


「どうして殿下がその反応なんですか?いいですか?本当に王女殿下の命を狙っている人物がハムレット殿下である場合、これは国の跡目争いにも繋がる重大な問題なんです。そこに私達が絡むと余計に問題を大きくしますし、場合によっては我が国との関係悪化にも繋がりかねない。何より、殿下にも危険が及ぶ可能性が非常に高いんです。これは引き受けられません!」


 シドラスの確固たる意志にソフィアは何とか言い返そうとしていたが、それをようやく動き始めたエルが制止していた。ベルでも気づいていたくらいなのだから、立場の近しいエルなら当たり前のように理解したのだろう。小さくソフィアに向かってかぶりを振り、ソフィアは力なく項垂れている。


 しかし、アスマがその程度の言葉で引くはずがなかった。正論を飛ばしたシドラスとは違った方向から、アスマは言葉を放ってくる。


「でも、放っておいたらソフィアは殺されちゃうよ!だって、二人だと危ないって思ったから、この国から逃げ出したんだよね?連れ戻したのが俺達なんだから、俺達が助けないと!」

「確かに王女殿下のお命は危ないのかもしれませんが!そもそも、私達の滞在期間はとても短く、良くて三日程度です。それを過ぎたら、どうしますか?王女殿下も連れ出しますか?」

「その前に犯人を見つけたらいいんだよ!」

「そんなに簡単に行くのなら、王女殿下は困っていません!」


 無駄に頑固な二人の言い合いに、ベルは既に慣れてきていたが、ソフィアとエルは違う。二人を何とか止めた方がいいとは思っているようだが、止める言葉が思いつかないようで、二人の間でひたすらにあたふたしていた。


「シドラス。こうなったアスマは正論も何もかも受けつけない。それくらいは分かっているだろう?」

「しかし…」


 呆れたベルがシドラスに言い聞かせようとするが、シドラスはシドラスで譲れない思いがあることも分かっている。何より、アスマが言っていることはただの無茶だ。


「実際、犯人を見つけることは難しいとが思うが、その協力くらいなら短い期間でもできるかもしれない。取り敢えず、滞在期間を制限時間として、その間はアスマに好きにさせよう。シドラスが護衛についたら、危険もないだろう?」

「それはそうですが…」


 シドラスはまだ悩んでいるようだったが、このままだと餓死するまで、ここで言い争いを繰り広げそうなアスマを見て、仕方ないと思ったのか、とても深い溜め息を口から吐き出した。


「分かりました。殿下の仰る通りにしばらくは行動しましょう」

「やった!」

「ですが!あくまで王国に滞在している間だけです。国に帰ることになった際には素直に帰っていただきますし、その後の援助を約束はできません。いいですね?」


 アスマに言い聞かせるように言いながら、シドラスはソフィアとエルにも確認を取っていた。それが精一杯の妥協であることくらいは分かったはずだ。アスマが「分かった」と頷く隣で、ソフィアとエルも小さく頷いていた。


「では、セリスさんにも後で報告しておきます」


 そう言いながら溜め息を吐いたシドラスに、ベルは同情するように笑いながら、その背中を優しく叩いた。ベル達は再び命を狙う人物の捜索を始めることになった。

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