22歳(4)

 ルナの家でガゼルと初めて会話してから数日が経過していたが、未だにテオの休みは続いていた。長年仕事場としてきた森での仕事ができなくなり、そこから新しい狩り場を決める必要があったのだが、それが一向に決まらないようだ。狩人が狩っても問題ないくらいの動物がいて、この村から安全に迎える場所となると、そう簡単に見つからなくても仕方ないとベルは思う。


 ただこの休みも悪いことばかりではなく、何より、限られていたテオとの時間が増えていることはベルにとって嬉しいことだった。テオが家事を手伝ってくれることでベルの負担も減り、自由な時間が作れるところまでとは行かないにしても、ある程度はゆったりとした時間を過ごせるようになっていた。

 テオと一緒にどこかに行くとなると、ルークやルルがいるため難しかったが、一緒に家にいることくらいはできるので、ベルはその時間を精一杯楽しんでいた。


 その中で再びテオが家事やルルの世話を引き受けてくれる日ができていた。ベルがまた森に行けるように、というテオの気遣いであり、前回と違って今回はベルも森に行くつもりで、すぐにお願いしていた。

 それは前回、久しぶりに行った森が予想以上に楽しかったこともあるが、何より、そこで見つけたいくつかの雑草の正体が気になっていた。あれから、村で雑草や花についての聞き込みを行ったが、誰もあの正体を知っている人はいなかった。以前のベルがやっていたような仕事をしている人にも聞いたが、その人達も同じ植物を目撃しているが、その正体までは分からずに調べようとしているところらしい。


 これだけ聞いても分からないとなると、これはもう自力で調べるしかないとベルは思い立ち、森に行くことに決めたのだった。そのことをテオに話すと笑って、ルークと同じとベルは言われていた。

 確かに数年に亘ってベルを困らせていたルークも、自分で行くしかないと思い立ち、森に一人で行ってはテオに連れ戻されていた。こう見てみると、やはり親子なのかと思うと、嬉しい一方で何だか恥ずかしい気持ちにもなる。あまり怒れたものではなかったな、と思うと、少しだけルークに悪い気持ちも湧いてくる。


 森に行くことをテオとの話で決めたベルは、その翌日にはテオに家事やルルの世話を任せ、森に向かっていた。前回を経験したため、今回は何を準備したらいいのか分かっていた。正確に言うと、前回の時点で分かっていたことだったのだが、前回を経験することでちゃんと思い出し、その記憶に自信が出ていた。


 いつもの荷物を持って、ベルは森の中に入っていく。前回も感じたことだが、テオが休みになっている事実からも分かる通り、森の中の動物の数は圧倒的に減っており、森全体が静まり返っている。その一方で植物の変化は少なく、動物が減ったことで数を増やしている植物が多いくらいだ。


 その中に現れた変わった植物を探しながら、ベルは森の中を歩いていた。前回もそうだったが、森に入らなくなってからしばらく経っていたにも拘らず、森の中をスムーズに歩くことができていた。この辺りはベルの身体が覚えていたということだろう。それだけベルにとって森を歩くことは日常だったのだ。


 そのことを考えながら、目的の植物を探していたベルは、雑草や一部の花の中に同じ特徴のものをいくつか見つけていた。群生している植物の中で、一つだけ交じっている微妙に違っている似た植物。それが共通している特徴だ。

 ただし、それ以外の特徴は共通しているところが見られなかった。生育している環境や珍しさ、植物の構造自体の特徴まで考えてみても、それらはあまり共通していない。もちろん、全く共通していないわけではないが、共通している部分も偶然と考えられるようなものばかりだ。


 これでは正体を突き止めることは難しいと思いながら、一輪だけ変わっていた花をベルは引き抜こうとしていた。試しにサンプルを一つ持ち帰ってみたら、村の調査の役に立つかもしれない。そう思っての行動だった。


 そこで不意にベルの指に電気が走った。非常に静電気に似た感覚だったが、花から静電気が起こるとは考えられない。一瞬だけ襲ってきた痛みに驚きながら、ベルは引き抜こうとした花に目を向ける。

 今の痛みは何だったのだろうか、と花を見つめながら考えてみるが、痛みを生み出しそうなもの――例えば、棘のようなものは何一つない。花に触れたところで痛みを感じそうなものがない以上は、本当に静電気が起きたと思うしかないが、花に触れて静電気が起きた話を聞いたことがない上に、その花を触ったことは今回が初めてではなかったが、静電気が起きた経験は一度もなかった。


 いよいよ分からなくなってきたと思い、ベルが立ち上がったところで、微かに足音のようなものが聞こえてくることに気がついた。動物の数が減っているが、もしも以前あったように狼が紛れ込んでいたら大変なことになると思いながら、ベルは足音に警戒する。


 そこでその足音が少ないことに気がついた。狼のように四足歩行の動物なら、もう少し足音が鳴っているはずだ。これは人間のものに違いない。


 そのことにほっとする一方で、人間の足音なら、その人は何が目的で森に入ってきたのだろうかとベルは気になっていた。今は狩人が森の中に入ってくることはないはずだ。そうなると、以前のベルと同じ仕事をしている人か、正体不明の植物の正体を突き止めようとするベルのような人か、それくらいしかベルには思いつかない。

 どちらにしても、ベルも知っている人かもしれない。そう思ったベルが足音に、一応は警戒しつつ、近づいてみていた。森の木々の間を抜け、草むらの向こう側に足音を聞く。そこにいると思った瞬間、ベルは草むらの向こうに目を向けていた。


 そこをガゼルが歩いていた。その姿にベルは驚き、咄嗟に声をかけられなかった。まさか、ガゼルが森の中を歩いているとは夢にも思っていなかった。ガゼルは一体何をしているのだろうか、そう思ったところで、貰った植物図鑑のことを思い出す。あれはルークが気に入り、ベルがまだ読めていなかったが、それを考えると、この森の中で魔術に必要な植物を探しているのかもしれない。ベルは魔術に詳しくないため、今までに見つけた植物に魔術の役に立つ植物があるのかは分からないが、あっても不思議ではないことだ。


 それなら、場合によってはベルの知識も役に立つかもしれない。そう思ったベルがガゼルに声をかけようとした頃には、既にガゼルの姿が消えていた。どこに向かったのか分からず、ベルはどうしようかと考える。

 ベルの知識は役に立つかもしれないが、急に声をかけても驚かれるかもしれない。ちゃんとルナの家に行って話をしてから提案するべきだ、とベルは思いながら、周囲に目を向けていた。森の中のどの位置にいるか確認し、ベルは村に戻るために歩き出す。


 正体不明の植物。その正体は誰かが調べてくれるのだろうかと思いながらも、未だに分からない謎が気になって仕方がないベルだった。



   ☆   ★   ☆   ★



 その翌日、ガゼルが村に滞在し始めてから二週間が経とうとしていた日に、ベルはルークを連れてルナの家を訪れていた。それはガゼルの手伝いを申し出る目的もあったのだが、何より、ルークが再びガゼルと逢いたがったからだ。ベルがすぐに頼んでみると、ルナは快く招いてくれた。


 家を訪れた直後、前回と同じようにすぐ顔を出したビクトに連れられ、ルークは早速ガゼルと話していた。その姿を笑顔で眺めながら、ルナと雑談をしていたベルが部屋の中に入っていく。


 そこで前回と違う光景を目撃した。ベルは部屋の片隅に目を向け、驚いた顔をルナに向ける。


「凄い荷物だね」

「ああ、うん。ガゼルさんが残り一週間ほどで村を出るから、その時のための準備をしているんだって」

「え?こんなに持てるんですか?」


 部屋の片隅に置かれた荷物を見ながら、驚いた顔でベルが聞くと、ガゼルはかぶりを振っていた。


「もちろん、全部は無理ですよ。その一部は魔術道具に変えるんですよ」

「魔術道具?」

「魔術に用いる特殊な道具ですね。それに変えたら、量も減って持っていけるようになります」

「そういうことなんですね」


 そう会話をしながら、ベルは森の中でガゼルを目撃したことを思い出していた。もしかしたら、その魔術道具を作るのに必要な植物があるのかもしれない。そう思ったベルが協力を申し出ようと思い、キッチンに移動するルナを見送りながら、ガゼルに言う。


「そういえば昨日、森でガゼルさんを見ましたよ」


 その直後、ガゼルの表情が一変していた。


「森で…?」


 そう呟く表情からはさっきまでの柔らかさが消え去り、鋭くなった眼光はベルの身体を射抜くようだった。その表情は表情だけで動物を殺せると思うほどに恐ろしく、ベルは恐怖で顔を歪めていた。


「あ…はい…何をしてたのか分からなかったけど…植物を探してたのなら…お手伝いできるかもなぁ…って思って…?」


 文字通り、恐る恐る口を動かしていると、すっとガゼルの表情が元に戻っていった。


「そういうことですか。大丈夫ですよ。一人で問題はないです」

「そう…ですか……?」


 そう言いながらも、恐怖でドキドキとしたベルの心臓は動きを変える様子がなかった。さっきの表情は本当に何だったのかと考えてみるが、ベルには分からない。


 ガゼルがルークとビクトに声をかけている。その姿を見ながら、ベルは不意に思った。ガゼルは元から、こんなに眼光が鋭かったのか、と。それは珍しい訪問者や子供達に人気のある魔術師という色眼鏡が取れたベルの最初の疑問だった。

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