22歳(5)
ガゼルに対する不信感の芽生えから、ベルの目に映るガゼルの姿はそれまでのものと大きく異なったものに変わっていた。
元々、ベルは一度思い込むと、その思い込みを信じる傾向にある。テオとの最初などは典型的な例だ。
ガゼルも外から来た人物で、国家魔術師を目指す魔術師、つまりは夢を追っている若者であり、子供達から人気を得ているという事実から、ベルの中で柔和な青年の印象になっていたが、実際にそうであるかは本人と逢っていない段階で分かるはずがない。
それなのに、ベルはガゼルと最初にルナの家で逢った段階から、不必要な色眼鏡をかけ、ガゼルに対する良い印象のままにガゼルを見ていた。
それがほんの些細なガゼルの変化により取れたことで、ガゼルに対する印象が大きく変わってもおかしくはなかった。
もしかしたら、ガゼルはベルや村人の多くが思っている人物像とはかけ離れているのかもしれない。それもまた歪んだ考えなのだが、ベルの目にはそう映って仕方なかった。
それが穿った見方だとしたら、このままルナの家に泊めていいのだろうかとベルは思う気持ちが強かったのだが、だからと言って、ベルに何かができるわけでもなかった。
ガゼルの行動を逐一監視していたら、何か分かってくるかもしれないが、ベルには家事やルルの世話という大事な仕事がある。いくらテオが休みで、それらを任せられるとしても、任せっきりとなると申し訳なさが勝ってしまうのがベルだ。
ベルがベルの日常を過ごしている合間に、目撃するガゼルの様子を観察してみる。それくらいのことでガゼルの本当のところが分かるわけもなく、ガゼルが滞在し始めてから二週間が過ぎていた。
あと数日も経てば、ガゼルは村を発つだろう。そうしたら、ガゼルの性格がどうであれ、もうベル達に関わることはないはずだ。
せめて、それまでベルの悪い予感が当たらないように祈りながら、ベルはガゼルの様子を見ていた。
その中で常に気になっていたのがガゼルの表情だった。最初は色眼鏡をかけていたことで、柔和な表情にしか見えなかったが、今のガゼルは驚くほどに眼光が鋭く、ギラギラとしたものに見え、言ってしまえば怖かった。
その怖い表情よりも更に怖い表情を、ベルの前で一瞬だけだったが見せたことを思うと、ベルはガゼルが何に対して、そこまでの反応をしたのか気になって仕方がない。
あの時は森でガゼルを目撃し、ガゼルの手助けができるかもしれないとベルが提案しようとしていた。
もしかしたら、素人に手を出されることが嫌で仕方なかったのかと思うが、その提案をする前に表情を変えていたはずだ。
そうなると、問題は森でガゼルを目撃した方だろうかとベルは考える。ガゼルは森で何かをしていたようだが、そのことを見られたくなかったのだろうかと思ってみても、それだけであれほど表情を変えることがベルには思いつかない。
森で魔術に関する植物でも探していたのだろうか、と不意にベルは思った瞬間、まだ貰った図鑑を読んでいないことを思い出した。
あれはルークが持っているはずだ。そう思い、ベルはルークの部屋を覗いてみる。
いつものようにビクトのところに遊びに行ったため、ルークはそこにいなかったが、問題の図鑑は置いてあった。ガゼルのことがなくても、ベルは図鑑の中身が気になっていたので、今の内に読んでみようと思い、ベルは図鑑を手に取ってリビングに移動する。
寝室にルルはいるが、テオはアルと一緒に外出していたため、リビングには一人だけだった。カップに紅茶を注ぎ、ティータイムをしながら、ベルは図鑑に目を通そうと考える。
静かなリビングの中に、図鑑を捲る紙の音だけが聞こえている。その合間にベルは紅茶を啜る音を立てながら、気になる箇所がないかと目を落としていた。
魔術に関する植物の図鑑というだけあって、植物の絵や説明も書かれているが、それ以上に魔術に関する説明も多かった。どの魔術に、どの植物を、どのように使用するか、みたいなことが書かれているが、その辺りはベルにはさっぱり分からない。
取り敢えず、魔術に関する記述は飛ばそうと思い、ベルが植物を中心に見ていると、途中で魔術が植物に及ぼす影響が書かれているページを見つけた。
そこにベルは気になる一文を見つける。
『多量の魔力を与えると、一部の植物は変異することがある』
植物の変異。その言葉が気になったベルはその一文から、更に説明を読み進めていく。
そこには魔力の影響によって、植物が変異する可能性があることが書かれていた。それも単純な魔力ではなく、魔術を使用できるような多量の魔力の影響を受けると、植物の一部が変異するらしい。
全ての植物が該当するわけではないが、葉や茎、根、場合によっては花の形状にも影響を及ぼすことがあり、群生している植物の一部が変化した例もある、とそこには書かれていた。
それを読んだベルの頭の中で、森で見た変わった雑草や花の様子が思い浮かんでいた。
あれはまさか、と思うと同時に、ベルの中で嫌な予感が膨らんでいく。
仮に森で見た植物が魔力によって変化した植物だとして、それは森の中に魔術を使えるほどの魔力が存在していたことになる。
それだけの魔力が自然的に存在する可能性は少ないが、リリパットに魔術を扱える人物はいない。
ただ一人を除いて。
そう思った時、ベルはガゼルの表情の変化を思い出していた。あれは見られたくないものを目撃された可能性を考えていたとしたら、その見られたくないことは何か。植物に起きた変化が魔力によるものだとしたら、その可能性はベルにも想像がつく。
「お母さん。ちょっとだけ出てくるけどいい?」
ベルは図鑑を閉じるなり、すぐにルルにそう確認していた。ルルはベルの珍しい提案に驚いた顔をしていたが、すぐにうなずいてくれる。
「いいよ。私は大丈夫だから」
「ごめんね。すぐ帰るから」
そう言って家を飛び出したベルは森に向かって歩き出す。
あくまでベルの想像だ。全て杞憂ということもあり得る。
そうだとしても、その足を止める気にはならなかったのは、思えば、ベルがそこに確信を持っていたからかもしれない。
☆ ★ ☆ ★
以前、ガゼルを目撃した場所は覚えていた。昔は毎日のように通った森の中で、自分の居場所をその位置で確認したからだ。
その記憶を頼りにその場所まで移動し、ベルは周囲に目を向ける。ガゼルがどの方向に歩いていたのか、それは分からないが、森の奥に向かった可能性の方が高いだろう。
村から離れるように歩きながら、ベルはガゼルが何をしたのか、想像したことをまとめていた。
その中で思い出していたのは、テオが休みになった事実だった。ほんの少し前まで忙しかったはずのテオが急に休みになった。
その理由は森の動物が減ったからだった。
しかし、何かしらの災害があったわけでもなければ、森に密猟者が現れたわけでもない。急速に動物が減る理由に何一つとして心当たりがない。
と誰しもがそう思っていたが、そこに一つだけ変化があったことを忘れていた。
それがガゼルの来訪だ。動物が減り、狩人全体が休みになる前に、ガゼルが村を訪れていた。
それを並べると、証拠はないにしても、高い可能性が見えてくる。
つまり、ガゼルが密猟者である可能性だ。それも魔術を用いての密猟。それによって動物の数が減っている。そう考えると辻褄が合う。
だが、そこにも疑問はあった。ガゼルはルナの家に大量の荷物を置いていたが、その中に動物の毛や肉のようなものは何一つとしてなかった。狩人であるアルがいる家で、ガゼルが動物の肉を持って帰ってきて、不思議に思わないはずがない。
では、ガゼルが密猟していたとしたら、どこにその肉や皮は消えたのか。その部分はどうしても分からなかった。
きっとベルには分かっていない重要なことがあるはずだ。そう思うのだが、ベルに分かっていないことは考えてもベルに分かるはずがない。
答えが出ないまま、モヤモヤとした気持ちを抱えてベルが歩いていると、ふと奇妙な臭いが漂ってくることに気がついた。嗅いだことのある臭いだ。
その臭いが何の臭いだったか。考えていたベルがテオと初めて逢った時のことを思い出す。
そうか。これは血の臭いだ。そう思った直後、そこに別の強烈な臭いが混じってきた。今度の臭いも知っている。
買ってきた肉が腐った時に放つ臭いだ。
それらの臭いが漂ってくる方に、ベルは足を向けていた。
その間に、ベルの頭の中ではさっきの疑問に対する答えが出かけている。この臭いの正体を想像したら、必然的に答えらしきものが浮かんでくる。
やがて、ベルは辿りついた場所で目撃した光景に息を呑んでいた。強烈な臭いから逃れるように、鼻を両手で押さえながら、ただその光景を眺めていた。
そこには無数の動物の死骸が転がっていた。それもただの死骸ではなく、様々な殺され方をした死骸で、中には毛や皮膚が変色しているものもある。首や足が欠損したものもあり、その一部が腐敗し、強烈な臭いを漂わせていた。
死骸の中には動物の死骸なのか分からない、既に肉塊になっているものも含まれており、ベルはそこで何が行われていたのか、正確に想像することができなかった。
分かることはそれをやった人物が一人しかいない事実だ。
これがもし動物以外に向いたら?
そう思った直後、ベルは村に向かって走り出していた。
このことを伝えないといけない。その思いからか、久しぶりに走ったはずのベルの足は、テオから逃げ回っていたあの頃のように動いてくれていた。
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