12歳(2)
ルナに言った通り、ベルにとって今のテオとの関係は非常に心地好いものだった。他に大きなものは望まないから、この関係がそのまま長く続いてくれることを祈るくらいに、今の関係が好きだった。それは今の関係に満足しているから、というよりも、今の関係よりも進もうとした時に、今の関係すら壊れてしまうかもしれないと思うと、今の関係を維持した方がいいというような、後ろ向きな考えだったのだが、ベルはそのことを何一つ悪いこととは思っていなかった。この関係が下手に崩れるくらいなら、一生後ろ向きでも構わないと思うくらいに、ベルはテオとの関係を大事にしたかった。
その関係をある日、ちゃんと考えなければいけない時間が唐突に訪れた。その日、ベルはいつものように仕事で森の中に入り、帰ってきたばかりだった。採ってきた植物を選別することもなく、まとめて家の中に置いた時に、一人の来訪者があった。
それがルナだった。その日のルナは休みであることを数日前に聞いており、その時にアルと約束していることを聞いていた。
だから、ベルはルナが家を訪ねてきたことに驚いていた。今頃、ルナはアルと一緒にいるはずなのに何かあったのだろうかとベルは思う。
しかし、ルナの表情は決して悪いものではなかった。表情自体は明るいものだった上に、ベルに微笑みかけてくるところなどは、非常に幸せそうだった。
その表情と話していたことの違いにベルは困惑していたが、その場で聞くことはせずに取り敢えず、ルナを自分の部屋に招き入れていた。ベルとルナはいつものように並んで座り、部屋の中で落ちつき始める。
そこから、沈黙が長かった。それは決して何も話せない苦しい沈黙ではなく、何か話したいことがあるようだが、自分の中で整理できていないのか、もじもじと迷った様子を見せるルナに気づき、ベルが待っていてあげていることによって生まれている沈黙だ。ルナに話したいことがあるのなら、ベルはいくらでも待てるし、その沈黙自体は問題なかった。
ただルナに聞きたいことはあった。アルとの約束はどうしたのかとか、そういうことを聞きたい気持ちはあって、ルナがあまりに言葉を迷っているなら、先にこちらから言葉をかけた方がいいだろうかと思う気持ちもあることは確かで、その部分は少しだけ迷っていた。
やがて、ルナの気持ちがまとまらない様子を察し、ベルは先に言葉を向けることにする。
「アルさんとの約束はどうしたの?」
ベルにそう聞かれた直後、ルナは熱せられたように顔を真っ赤にしていた。その突然の変化にベルが驚いていると、ルナは顔を伏せながら、もじもじとしたまま話してくれる。
「逢ったよ。逢ったんだけど、いろいろあって…いろいろ思って…取り敢えず、今日はベルのところに来ようと思って…」
ルナの言っていることと、もじもじとした様子に、ベルは首を傾げていた。何かを言いに来たことだけはさっきから伝わっているが、何を言いに来たのかは一切伝わってこない。ベルはルナの様子にどのように反応したらいいのか分からない。
「何があったの?」
ベルが聞くと、ルナは再び黙り始めてしまい、ベルの部屋の中は再び沈黙に包まれることになる。今度はルナが言葉をまとめるまで待とうとベルは思い、ルナの様子をじっと待っていると、もじもじとしたルナが伏せていた顔を上げながら、ベルのことをまっすぐに見てくる。
「あのね…キュウコン…」
「球根?」
「そう…」
「球根がどうしたの?貰ったの?育て方が分からないなら、教えられるかもしれないよ?」
ベルが植物図鑑のある方に目を向けながら言っていると、ルナは途端に不思議そうな顔をしてベルのことを見てきていた。さっきまでのもじもじしている様子はなくなり、きょとんと固まったまま、しばらく動かなくなる。その様子にベルまで不思議そうな顔をしていると、ルナの中でようやく話が繋がったのか、納得した顔をして大きくうなずいていた。
「凄くベルらしいと思うよ」
「え?何が?どういうこと?」
ルナの納得の意味が分からずに困惑している間に、ルナは再びもじもじとし始めている。
「そっちのキュウコンじゃないんだよ」
「球根じゃないの?他のキュウコンって…」
ベルは頭を傾げながら、頭の中に様々な言葉を思い浮かべる。その中で不意に思い出したのは、目の前のルナがアルと逢っていたという話だった。その話から導かれる言葉の中に、球根以外のキュウコンがあるのかと思った直後、ベルは気づく。
「キュウコンって、求婚!?もしかして、プロポーズされたの!?」
「あ、そうプロポーズ。その言葉が出てこなかったの」
恥ずかしそうにそう呟くルナを見て、ベルは言葉が出ないくらいに驚いていた。何を言ったらいいか分からないが、取り敢えず、聞いておかなければいけないことを聞いておく必要がある。
「ルナは何て答えたの?」
「その…急なことで驚いて…ちょっと考えるって」
「じゃあ、答えを保留にしたまま、ここに来たの?」
こくりとうなずくルナを見て、ベルは思わず立ち上がると、部屋の中を意味もないのに歩き出していた。小さい頃から知っている親友がプロポーズされたと聞き、何とも落ちつかない気持ちになっていた。喜ばしい気持ちはもちろんあるのだが、それ以上に自分が何を言ったらいいのか分からない。
取り敢えず、ルナの手を掴んだベルが真剣な表情で言う。
「おめでとう」
「あ、ありがとう…?まだ答えてないんだけど…」
「でも、オッケーだよね?」
「それは…」
ルナは顔を真っ赤にし、肯定も否定もしなかったが、それ自体が答えになっていた。その姿を見ていたら、やっぱり落ちつかない気持ちになって、ベルは何かをしてあげたい気持ちになってくる。
「どうしよう…ドレスとか作ろうか?」
「い、いいよ!?自分で作れるし」
「あ、そ、そうだね。私よりルナの仕事だね」
「何か、ベルにすぐ話したかっただけだから、聞いてくれるだけで何かをしなくても大丈夫だよ…?」
照れ臭そうに笑いながら言うルナを見て、ベルは何だか、もう一度言いたくなって、気づいたらルナの手をまた取っていた。
「おめでとう」
「あ、ありがと…」
そう言ったルナの言葉を最後に部屋の中は再び沈黙が包み込んでいた。今度はさっきのように言葉に迷ったのではなく、二人共が起きたことや聞いたことを考えて、そこに懐いた感情を噛み締めていたからだ。
ベルはルナが初めてアルのことを話してくれた日を思い出し、そのルナがちゃんと望んでいた通りの場所にやってきたことに感慨深い気持ちになっていた。
「ねえ、ベル…」
「どうしたの?」
不意にルナが呟いたことに顔を上げると、ルナはさっきまでと同じように座ったまま、ベルのことを見ていた。その表情はさっきまでの照れ臭さを引き摺っているのか真っ赤になったままだが、ベルのことを見つめる目は真剣そのものだ。
「私ね。今、凄く幸せな気分なの」
「うん。そうみたいだね」
ルナの様子から伝わってくる感情にベルが笑みを浮かべていると、ルナが表情を引き締まったものに変えていた。
「私達はね。人生が短いでしょう?だから、できることをできる時にした方がいいと思うんだよ。そうしないと、万が一の時に後悔しちゃうから」
「急にどうしたの?」
ルナの話している雰囲気がそれまでのものと違っていることに、流石のベルも気づいていた。困惑した顔のままルナを見ていると、ルナが近づいてきて、今度はルナの方からベルの手を取ってくる。
「もしもテオさんが誰かのことを好きって言って、その人と付き合い始めたら、ベルはどうする?」
「え…?」
ルナの思わぬ質問にベルは言葉を失っていた。思い出そうと思えば、いつでも自由に思い出せるテオの笑顔を思い出し、その笑顔が自分ではない誰かに向けられている瞬間を想像してしまう。それはこれまでベルができるだけ考えないようにしている光景だった。
「私もね。すぐに返事ができなかったのは、前に進むことが怖いことでもあるから、戸惑ってしまったんだけど、こうしてベルと逢って話したら、やっぱり幸せなことだなって思えたから、きっとベルもそう思えるはずなんだよ。だから、ベルもちゃんと話そう?」
ルナにそう言われて、ベルは俯いていた。
自分はどうしたいのか。本当のところはどう思っているのか。それくらいの質問は聞かなくても、既に何度も考えたことがある。ベルの中では一つの答えが出ている。
しかし、その答えを真正面から向き合うことはなかった。その答えが何かを壊してしまうかもしれないなら、一生心の中に置いておこうとベルは思っていた。
立ち止まることになっても、その時間が幸せだと思えているなら、それでいいはずだと別の気持ちで塗り潰していた。
けれど、ルナが持ってきた言葉はその幸せが本物なのかをベルに考えさせるものだった。
「ベル?」
ルナの心配した目が自分を見ている。そのことに気づいて、ベルは顔を上げる。ルナの幸せな思い出を自分の所為で、悪い思い出に変えたくはない。その気持ちが最後の一押しになった。
「分かった。私、テオと話してみるよ」
ベルのその一言にルナは満面の笑みを浮かべていた。
「私、応援してるからね」
以前にも聞いたその言葉が今度はすんなりと受け入れられた。
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