発生(8)

 駆け込んできた衛兵はニコラスという若い衛兵だった。通用門で配達員から手紙を受け取った際、すぐに聞いていた手紙だと分かったようで、慌てて駆け込んできたようだった。二通目の手紙の到着を叫ぶ声は酷く荒くなっている。


 その声はすぐに伝わり、ぞろぞろと人が集まってくる。ブラゴがニコラスから手紙を受け取る時には、その周囲にシドラスやイリス、ラングにエルやガゼルも揃っていた。


「渡してきたのは?」


 ブラゴはニコラスから手紙を受け取りながら、鋭い視線をニコラスに向ける。自分が悪いことをしたはずでもないのに、ニコラスはその視線に反応し、背筋をピンと伸ばしている。


「郵便局の配達員でした」

「この時間に?」

「そう思って聞いたのですが、何でも急ぎであることを強調されたようで、宛先が王城だったこともあり、重要な手紙かと思われたそうです」

「実際、重要な手紙ですが…その渡してきた相手は?」

「四十代から五十代くらいの男性だったそうですが、その人物は頼まれたような口振りだったそうなので、犯人に依頼されただけの可能性があります」

「それなら、その人物が犯人と接触している可能性が高い」


 ブラゴが周囲の衛兵数人を指差した。実際に気を抜いていたのか、ブラゴに指を差されると、そういう気分になるのか分からないが、指を差された衛兵は誤魔化すようにビシッと背筋を伸ばしている。


「その配達員から男の特徴を聞き出せ。ただし、殿下のことは漏らさずに」


 ブラゴの命令を受け、指差された衛兵達は一斉に走り出した。蜘蛛の子を散らす、という言葉のお手本になるような光景に、シドラスはついブラゴの表情を窺ってしまう。気にしている様子はないが、慣れているのかどうなのか、シドラスにはブラゴの真意が掴めない。


 命令を下し終えたブラゴはようやく手紙の開封に移ろうとしていた。その動きを見るなり、シドラスやイリスは身構えてしまう。内容が気になっているのは二人だけではないようで、あのエルでさえ、ブラゴに近づいている。

 シドラスやイリスは場所的に手紙の中身を覗くことはできなかった。それはエルやガゼルも同じようだが、唯一近くにいたラングがブラゴと同じように手紙を読めている。


 そして、その二人は同じような反応を取っていた。少し驚いたような顔をし、自分達の正面に立っているガゼルに目を向けたのだ。

 唐突に視線を向けられたことに、ガゼルは怪訝な顔をしている。


「ガゼル様」


 ブラゴが名前を呼びながら、ガゼルに手紙を渡してきたことで、シドラスやイリスも手紙を覗くことができるようになった。ガゼルが手紙を読む様子をエルと一緒に傍から覗き込むと、手紙に書かれた短い文章が読める。


『今から指定する場所に国家魔術師のガゼルが一人で来るように』


 そう書かれた文章の次に王都内の路地を示した地図が描かれている。その手紙を読むなり、エルが驚いた顔をして、ガゼルの顔を覗き込んでいる。ガゼルも自分の名前が書かれていることに珍しく驚いているように見えた。


「指名される心当たりは?」

「あれば驚きません」

「手紙を」


 ブラゴが手を伸ばすと、ガゼルが読み終えた手紙を再度ブラゴに渡す。ブラゴは地図を見ながら、その場所のことを考えているようで、眉を顰めながら首を傾げている。


「一人で、と指定されている限りは目立った護衛をつけることができません。この路地も、衛兵を配置するには、周辺の住居に許可を貰って立ち入らなければならない。その場合は様子を見られても、駆けつけるのに時間がかかります。はっきり言ってしまえば、危険かもしれません」


 ブラゴの説明を聞いたことで、ガゼルよりもエルの表情が怯えたように変化していた。ガゼル自体は少し戸惑っているようだが、それも表情からすぐ消えるくらいのものだ。


「しかし、犯人の要求がこれである以上は、殿下を救出するために私はお願いするしかありません。後はガゼル様がお決めください」

「大丈夫だ。理由は分からないが来いと言うなら行こう」

「ちょっと待て!?」


 ブラゴとガゼルの会話にエルが割って入った。酷く怒った様子でブラゴを睨み、ガゼルに掴みかかろうとしている。


「この悪魔に唆されるなよ、師匠。何があるか分からないんだったら、絶対に行くべきじゃない!!」

「だが、犯人が接触してくるつもりなら、これは殿下の救出のために絶好の機会だ」

「そうだとしても!!俺は怖いんだよ…だから…」


 ガゼルの首元を掴んだエルの手を、ゆっくりとシドラスが掴んでいた。驚いた顔でシドラスを見てくるエルに、シドラスは優しい笑みを向ける。エルがここまで取り乱す理由を知らないシドラスではない。トラウマを撫でないように言葉を選びながら、シドラスは口を開く。


「エル様は私を信じてくださいますか?」

「急にどうしたの?」

「私やイリスを信用していただけますか?」

「まあ、あの悪魔よりは君達を信用しているよ?」

「でしたら、私達がガゼル様を必ず御守りすると言えば、その言葉を信じてくださいますか?」


 エルはシドラスの言いたいことが分かったようで、大きく目を見開いていた。シドラスの言葉の裏にある気持ちまで読み取ってくれたようで、小さな笑みを浮かべている。


「ああ、そうか…ごめんね…」

「いえ、私達が全力で御守りします。ですから、信じてください」

「そうだね。分かったよ」


 シドラスがブラゴに目を向けると、ブラゴはシドラスとイリスの顔を見てから、大きな溜め息を吐いていた。事態が事態だったので、ブラゴがシドラスやイリスを今回の一件に参加させない可能性は十分にあった。


 しかし、ここで傍観する立場になると、イリスが一生気にする可能性がある。シドラス自身も気になることはあったし、その可能性を消したかったので、シドラスとしてはこの状況も好都合だった。


 溜め息を吐いたブラゴはシドラスに向かってうなずいてきた。普段からエルと口論しているブラゴなら、エルの厄介さは理解しているということだろう。


「指定された時間は明日の朝です。それまでに衛兵や騎士の配置を考える。ガゼル様も把握しておいてもらえますか?」


 ガゼルがうなずき、シドラスやイリスも動き出す。未だ王城の中に騒がしさは残したまま、ゆっくりと夜は更けていった。



   ☆   ★   ☆   ★



 空き家にベルが戻ってきた段階で、既にアスマは死にかけていた。少なくとも、ベルの瞳にはそう映ったはずだ。毛布の上で寝転がり、苦痛に歪んだ表情をしているアスマを見たら、今にも息絶えようとしているように見える。


「ど、どうした!?」


 慌てて聞いてくるベルに向かって、アスマはか細い声を漏らす。


「お…お腹が空いた…」

「そんなことか!?」


 呆れたように笑うベルが、アスマの腹の上に紙袋を置いてきた。中にはポテトの潰した物を丸め、油で揚げた屋台料理が入ってある。


「晩飯だ。そういう物で悪いな」

「いや、全然悪くないよ!?ありがとう!!」


 紙袋の中に手を突っ込み、アスマは慌てて頬張り始めていた。ポテトはまだ揚げたてのようで、アスマがその熱さに悶え苦しむ様子をベルは楽しげに笑って見ている。


「手紙には何て書いたの?」


 ポテトを二つほど食べ終え、少し空腹が満たされたアスマがそう聞いていた。途端にベルの表情は真剣なものに変わり、アスマと同じように食べていたポテトから口を離す。


「場所を指定してきた。明日の朝、そこでガゼルと逢う」

「逢って、元の身体に戻す方法を聞き出せるの?」

「自信はない。だが、私にはそれ以外思いつかない」

「それって危なくない?」

「そうかもしれないな。だが、どちらにしても、私は死なないから大丈夫だ」


 当たり前のように言うベルの姿を見ていると、アスマは身体の底から震えるような感覚に襲われた。何とも言えない感情に、アスマは何かを言わないといけない思いに駆られる。


「なら、俺の考えを聞いてよ」

「お前の考え?」


 アスマはうなずいてみせるが、特に何かを考えていたわけではない。ただベルの話を聞いていると、自分も何かをしなければいけない気持ちに駆られ、その中で生まれた、ただの思いつきだ。

 それでも、その思いつきをベルに言わない理由はなかった。


「ベルが良かったらって話なんだけどね」


 そこから、アスマはベルと二人で話し合っていく。時計のない空き家の中では、どれくらい夜が更けたのか分からない。ただ、それでも、驚くほどに不安を懐かずにアスマとベルは話していた。

 それはもしかしたら、とアスマは考えながら、いつのまにか眠っていたことに翌朝気づく。

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