1週間後(2)
アスマの誕生から一週間ほどが経過したが、ラングは真面にパロールと顔を合わせていなかった。パロールがあまり人前に出てこなかったこともあるが、ラングはどこかでパロールと逢うことを恐れていたのかもしれない。
パロールがあの一件をどのように思い、どのように考えているのか、ラングは知ることがとても怖かった。仮に知ってしまえば、それが引き金となりそうで仕方なかったのだ。
しかし、知らぬことで取り返しのつかないことになっても、ラングは酷く後悔するに違いない。それならば、少しは後悔の少ない道を選ぼうと思い、ラングはパロールの部屋に行こうとしていた。
パロールと鉢合わせたのは、その道中のことである。パロールは封筒を手に持ち、どこかに向かう様子だった。それを見るなり、ラングの頭の中で嫌な予感が膨らんでいく。
以前、ハイネセンに言われたことも、その予感を膨らませる原因となった。最悪の選択という言葉が頭を過っていく。
「パロール。久しぶりだね」
当たり障りのない言葉から入ったのは、心の均衡を保つためだ。下手に本題から入ると、ラングの心の方が持ちそうになかったからだ。
「そうですね、師匠。お久しぶりです」
そう答えながら見せたパロールの笑顔はとても清々しいものだった。不安や悩みの一切がないような笑みであり、だからこそ、ラングは余計に不安になる。
あの一件があった後で、パロールがここまで清々しく笑えるとは思えなかった。どうしようもないことを悩んだり、後悔したりして、笑顔になろうとしても、無理矢理作ったぎこちない笑顔にしかなれないのが、こういう時のパロールのはずだ。ラングはその笑顔をできるだけ柔らかいものに変えるつもりでいた。
だから、その笑顔が既に柔らかく、清々しいものであったことに、ラングの中の不安は反応することになった。嫌な予感を助長させ、更に膨らませていく。
「何をしているところなの?」
今のパロールの気持ちを探るような気持ちでラングは聞く。パロールは表情を変えることなく、手の中にある封筒を見せてくる。
「両親に手紙を送るところです。前に師匠が言っていたあの手紙をまだ送っていなかったので」
ラングは数ヶ月前のことを思い出した。今回の一件が始まる前のパロールとの会話だ。確かにそこでラングは手紙を送るように勧めた。
しかし、それが今のパロールの表情に繋がっていると、ラングは思えなかった。もっと何か違う理由があって、パロールはこの表情になっているはずだ。
ラングがそれを何とか探り出そうとしたところで、どうやらパロールにラングの不安が伝わってしまったようだった。急にハッとした顔をしたかと思うと、ラングの顔を覗き込んできてから、小さく笑い出す。
「もしかして、師匠は私が思い悩んで、自殺するとか考えていましたか?」
「いや、そんなことは…」
そう答えたところで、ラングは嘘をつくのが下手なのである。パロールにばれてしまったことは、どう足掻いても誤魔化すことなどできない。
「大丈夫ですよ。私は死ぬつもりありません」
パロールのその返答を見て、ラングはしばらく固まることになった。それから、じんわりと胸の中を喜びが広がっていく。それは安堵とも呼べる感情だ。
パロールはラングと同じくらいに嘘をつくのが下手なのである。今の言葉に嘘がないことはすぐに分かった。
「いや、それなら、本当に良かった」
「それと、師匠に一つだけ言っておかないといけないことがあるんです」
「何だい?」
「私、研究をやめますね」
その一言は安堵していたラングの心を強く打ちつけてきた。ラングはぽかんとした顔のまま、しばらく頭が働かなくなる。
「え!?どうして!?」
「私には才能がないんです」
「そんなことはないよ!!だって、君は立派な国家魔術師になったじゃ…」
「ダメなんです!!」
それは今まで聞いたパロールの声の中で、最も大きな声だった。その音の迫力に気圧され、ラングは言葉を失う。
「誰かを笑顔にできる魔術じゃないと意味がないんです。私の魔術ではそれができない。私にはそんな魔術を使える才能がない。だから、もうやめるんです」
不意にパロールの笑顔に悲しみが混ざり、酷く脆いものに変わった。触れただけで壊れてしまいそうな笑顔に、ラングは下手な言葉を言えなくなる。ちょっとでも触れ方を間違えれば、パロールはラングの想像していた最悪の選択を選んでしまいそうだった。
「そう、なんだね…分かった。パロールがそれを選んだのなら、それでいいと思うよ」
ラングが笑みを浮かべたことで、パロールはほっとしたようで、笑顔から悲しみが消えていくのが分かった。
パロールはこの数ヶ月の間、既にたくさんの苦しみを味わったはずだ。酷く頭を悩ませ、心を痛めたに違いない。それは一生分の苦しみに匹敵することだろう。
それほど苦しんだパロールに、もうこれ以上の苦しみが必要であるとは思えない。もう解放されてもいいはずだ。パロールがどのような選択をしても許されるはずだ。
もちろん、ラングはパロールの選択の全てを心から祝福することはできない。パロールには他の国家魔術師にない独特の才能があると思っているし、それを無駄にすることを勿体ないと思う気持ちはある。
しかし、それでも、パロールが死ぬ未来よりは幾分マシだ。パロールの命がそこにあるのなら、それは最善であると少なくとも、この瞬間は思えた。
だから、ラングは否定することなどなく、全てを受け入れることにした。パロールが選んだのなら、それがきっと良いと妄信することにした。
そして、これをきっかけとして、パロールは徐々に魔術と距離を取るようになる。誰かに頼まれた時しか魔術と関わらないようになり、やがて、人生の目的を失ったパロールは塞ぎ込むようになっていく。
ラングがこの時の自分の選択に後悔するのは、そんなパロールの姿を見た時である。もしかしたら、あの時に自分が選ぶべき最善の選択が他にあったのかもしれない、とその時になって初めて思った。
それはアスマ誕生から十七年後。ドラゴン抗争やアスラの誕生など、他の多くの変化にも影響されなかったパロールに影響を及ぼすほどの一つの事件の発生まで続くことになる。
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