7ヶ月前~1週間前(3)

 王城には十数人余りの兵士が配置されている。それらの兵士は王都に勤務する兵士の中から試験によって選出されており、その多くが王城近くの宿舎に住みながら、その日の当番ごとに王城に通っている状態だ。

 その基本的な職務は王城内の治安維持である。通用門を始めとする要所の監視や王城内の巡回を主に行っている。

 有事の際はこの限りではないが、基本的にこれらの職務から逸れた行動を取ることはない。


 そして、これらの職務の中に要人の護衛は入っていない。普段は護衛を必要としていない宰相を含め、他の重要な役職を負った人物も護衛として衛兵を連れていることはまずない。それは王室も例外なく、そうである。

 それでは、王室は護衛も連れずに行動しているのかといえば、そうではない。王室の襲撃がそのまま王国の存亡に関わる以上は、周りの人間が護衛をつけないわけがない。衛兵以外に王室の守護を任せられた存在が別にちゃんといる。


 それが王国騎士団の騎士である。王国全土の兵士の中から厳しい試験によって選出された有数の腕利き達だ。

 それらの騎士が王室を守護し、時に要人の護衛を担当することで、王国の秩序は保たれていた。


 王城内の廊下にその騎士が二人並んで立っていた。一人は壁に凭れかかりながら、窓の外を眺めており、酷く退屈そうな顔をしている。


「ああ~、遊びに行きて~」


 心の底から湧いてきた感情を加工することなく、言葉として発したこの男はヴィンセントである。現在の騎士の中でもトップクラスに剣の腕が立つが、その性格はとても真面目とは言えない男だ。


 その男の欲望丸出しの言葉を隣で聞き、ブラゴは溜め息をつくことになった。ヴィンセントと違って、仕事に対する姿勢は真面目そのものブラゴからすると、その発言の馬鹿らしさに頭が痛くなることだろう。

 このブラゴはヴィンセントの後輩騎士である。二年前に歴代最年少の十六歳で騎士となり、歴代最高の騎士になると言われているほどの逸材だ。


 そんな二人がどうして、王城内の廊下に立っているかというと、単純に仕事がなかったからだ。そもそも、騎士は王室の守護や有事の際の要人の護衛が仕事であり、平時に仕事がないのは当たり前のことである。


「暇であることは平和である証拠です。この暇さを喜びましょう」

「お前のそういう真面目なところが俺は苦手だわ」

「私は貴方のそういう不真面目なところが苦手です」


 お互いに言葉の剣を交えてから、ヴィンセントが思い出したように口に出した。


「そういえば、国家魔術師四人が何かをやっている話を聞いたか?」

「ラング様やガゼル様が何かをしているという話ですか?」

「そうそう、それ」


 拡大した国家魔術師四人による合同研究の噂は既にブラゴの耳にも入っていた。何をしているかまでは分からなくても、何かをしていることは分かっている。


「あれって、何をしているんだろうな?」

「さあ?いろいろと噂されていますが何でしょうね」

「何も悪いことが起きてないといいんだけどな」

「悪いこと?」

「可能性だけなら何でも考えられるだろう?国家魔術師が四人も揃って何かをやっていると聞くと、そういう想像が無駄に捗っちまう」

「流石に杞憂ですよ。もしも何かが起きているなら、他に関連する話を聞いているはずです」

「まあ、確かにそうだよな。他に聞いたことのある話で関わっていそうな話はないし、流石に俺の考え過ぎか」


 雑談に興ずる二人の騎士だったが、その前を通り過ぎようとする人がいた。窓の外を眺めているヴィンセントは気づいてないようだが、ブラゴは近づいてきた段階でその姿を見つける。その人物は二人いて、何かを話しているようだ。


「結局、師匠の部屋にはありませんでしたね」

「もしかしたら、これは俺だけが持ち出していたパターンかな?」

「エルさんなら、その可能性が高いですね」

「パロールちゃんの中の俺のイメージってあんまり良くない?」

「そうでもないですよ。師匠とガゼルさんが良いだけです」

「婉曲に悪いって言ってるね」


 ゆっくりとブラゴ達に近づいてくる二人はエルとパロールだった。二人も雑談に興じているようで、廊下の途中に立っているブラゴ達には未だ気づいている様子がない。


「あ」


 そうブラゴが思っているところで、エルと目が合った。瞬間的に表情が変わり、害虫を見つけた時と同じ目で見てくる。


「悪魔がいる…パロールちゃん、近づかない方がいいよ。斬り殺されるから」

「私が殺人狂みたいな言い方はやめろ。そんな趣味はない」

「平気に人を殺せるやつが真面みたいな言い方するな」


 エルは人を殺せるほどに鋭い視線をブラゴに送ってきていた。この一方的な敵意は初対面時からのことなので、ブラゴは今更何とも思うことはない。

 それでも、第三者から見るとそうではないようで、パロールはブラゴとエルの様子を見て、少し狼狽えているようだった。ブラゴとしても、この状況の中に放り出されて可哀相だと思わないこともないが、ブラゴにはどうすることもできないので仕方ない。


 その状況の中で何がトリガーとなったのかブラゴには判然としなかったが、窓の外を眺めていたはずのヴィンセントがぱっと動き出し、綺麗に直立した。そこから恭しく頭を下げ、貴族のような会釈を見せる。


「これは御機嫌よう、お嬢さん」

「え?あ、はい。こんにちは」

「ヴィンセント様って、唐突に馬鹿なことするよね」

「この人の思考回路は普段から馬鹿で繋がっているからな」

「何でそこの二人はこういう時だけ協力するんだ?」


 ブラゴとエルから波状攻撃のような罵声を浴びたヴィンセントだったが、この程度の攻撃はダメージにならなかったようで、さっと身なりを整えるとパロールの隣に移動していた。


「ちょうどさっきまで、パロールちゃん達のことを話していたところなんだよ。何かをし始めたらしいね」

「はい、少し調べることがあって」

「何か困ったことがあったら、お兄さんに相談しなよ。何でも助けるからね。何でも」


 そう言いながら、ヴィンセントの片手がパロールの肩に忍び寄ろうとしていた。ブラゴが苦言を呈そうかと思ったところで、パロールがするりとヴィンセントから離れる。


「ヴィンセント様、嫌らしいね」

「とても嫌らしいですね」

「二人って実は仲良くない?」

「あとお兄さんって年齢じゃないよね?もうおっさんだよね?」

「年相応という言葉を知らない可能性があります」

「泣くよ?そのおっさん泣いちゃうよ?」


 ヴィンセントが表情だけで悲痛さを訴えているが、それを相手する人は三人の中にいなかった。パロールは子供が母親にそうするように、エルの袖を引っ張っている。


「エルさん、そろそろ戻りましょう。急がないと」

「ああ、そうだね。悪魔とおっさんに構っている場合じゃないし、行こうか」


 最後に置き土産のようにブラゴを一睨みしてから、エルとパロールが揃って歩き出す。その姿を相も変わらず悲痛な表情で見送っていたヴィンセントだったが、二人の背中が離れたところで途端に表情を戻した。

 それどころか、それまでよりも真剣な表情でエルとパロールの後ろ姿を見ている。


「何を急いでいたんだろうな」

「急用があったのでは?」

「まあ、それならいいんだけどね」


 ヴィンセントのその軽い呟きは、魚の小骨のようにブラゴの中に引っかかって残った。



   ☆   ★   ☆   ★



 ハイネセンの表情は緊張で彩られていたに違いない。部屋に入ったところで、中にいた人物は一瞬で表情を厳しいものに変えていた。


「失礼します。少しよろしいでしょうか?」


 ハイネセンが軽く頭を下げると、厳しい表情をしたハイネセンよりも少し若い男が首肯した。


 この男こそ、エアリエル王国の現国王であるアステラだった。壁際に置かれたテーブルにつき、椅子に座ったまま身体を回転させ、ハイネセンの方を見ている。

 ハイネセンから見てアステラの反対側には長椅子が置かれており、そこにはアマナが座っている。それぞれが扉の前に立つハイネセンを挟むように見ている形だ。


「どうしたんだ?」


 アステラが首肯した後に発した一言がきっかけとなり、ハイネセンはこの部屋を訪れた理由の説明を始める。

 そのためにまず、ハイネセンは胸元に手を伸ばした。そこから取り出したのは、一枚の紙である。それをアステラとアマナの二人の前に提示した。


「まずはこれをご覧いただけますか」


 それは説明の始まりであるが、説明の大部分を占めている言葉でもあった。どのような言葉を用いるよりも、実物を見せた方が早いように、今回の用件はこの紙を見せることで完了する。

 事実アステラとアマナは多くを語らずとも、ハイネセンの訪れた理由の重大性を既に理解できたようだった。


「これは何なんだ?」

「国家魔術師であるパロールの行ったインク占いの結果です。今から数ヶ月前、王妃殿下のご懐妊が判明するよりも前に書かれたものになります」

「この三つ目の魔王というのは、あの…」


 魔王の存在に対する説明はアステラも必要としていないようだった。ハイネセンがうなずくだけで、その表情に陰りが見て取れる。


「それで、これを伝えに来たのか?」

「いえ、本題はここからです。お二方は最近噂になっている国家魔術師四人による合同研究の存在をご存知ですか?」


 王城内に広まっているパロール達の噂は、しっかりとアステラ達の耳にも届いているようで、アステラはすぐにうなずいた。


「合同研究というのは初めて聞いたが、何かをしているという話は聞いている」

「先ほどの結果はあくまで可能性の域を出ていませんが、仮に魔王が生まれるとなると、どのような影響が出るのか、その四人が調べました。その結果、魔王の誕生した都市は魔王の力の暴走により滅びている可能性が高いことが判明しました」


 それ以上の説明は野暮でしかなく、アステラは魔王が生まれた際の王都の行く末をすぐに察したようだった。それはアマナも同じようで、隠し切れない驚きと恐れが表情に現れている。


「現在、国家魔術師四人により魔王の力を封じる方法が探されていますが、それも確実に見つかるとは決まっていません」

「そうなった時、どうするんだ?魔王が本当に誕生するなら、この国は…」

「それを防ぐ最終手段が一つだけあります」


 ハイネセンの視線がアステラからアマナに移ったことで、アステラは表情を大きく変えた。それまでの国王としての威厳をある程度保っていた顔から、ただのアマナの夫としての顔になっている。


「まさか、アマナを王都から連れ出すというのか!?」

「最悪の場合、手段はそれしか残されていません」

「それはつまり、その時になればアマナに死ねと言うのか!?」

「陛下。大変申し訳ありません」


 アステラは怒りを隠そうとしていなかった。感情のままにハイネセンに掴みかかろうとして、アマナに制止されている。


「待って、あなた。大丈夫。私は大丈夫だから」

「何が大丈夫なんだ!?何も大丈夫なことなんてない!!人の命の上に成り立つ国家など…」

「国じゃないのよ。今はこの王都に住む人達の命の話をしているの」


 王都が滅びることはそのまま、エアリエル王国の滅亡も意味する。それは国王であるアステラが死ぬからであり、何より国にとって重要な多くの市民の命を奪うことになるからだ。

 アマナはそのことを正しく理解していた。それは驚くほどに冷静であることを意味していた。


「もしも、その時が来れば、私はこの王都を出ていきます。それが私に課せられた役目だと思って」


 ハイネセンを見つめる瞳はとても力強いものだった。その瞳を見てしまうと、ハイネセンにはこれ以上の言葉が思いつかなくなる。

 代わりにアステラの方が思いついたようだった。頭に浮かんだ考えを思考というフィルターを通すことなく、すぐに言葉として喉から発してしまう。


「そうだ。赤子を産まなければ…」


 そこまで言って、自分の言葉の過ちに気づいたのか、アステラは言葉を止めた。もしくはアマナの鋭い視線に言葉を失ったのかもしれない。


「たとえ、この子が魔王だとしても、私はこの子を産みます。それだけは絶対にやめません」

「すまない。これは私が間違っていた…」


 そこからしばらく、アステラは黙り込んでしまった。自分の放った言葉を悔やんでいるのか、自分はどうするべきなのか考えているのか分からなかったが、ハイネセンは黙って待つことに決める。


 そして、ようやくアステラが口を開いた。喉の奥から絞り出すように、か細い声が聞こえてくる。


「最悪の場合はアマナを王都の外に連れ出そう…」

「ありがとう、あなた。ごめんなさい」


 優しくアステラを抱き締めながら、アマナの呟いた言葉を聞き、ハイネセンの心は罪悪感で押し潰されそうだった。

 魔王の力を封じる方法が無事に見つかりますように。これほど強く祈ったことは今までになかったと思うほどに、ハイネセンは強くそのことを祈っていた。

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