8ヶ月前(1)
王妃懐妊の一報は瞬く間に王城内に広まっていた。衛兵からメイドまで、王城内にいる全ての人々が生まれてくる次代の王族について話している。
そうなってくると、パロールの耳にその一報が入ってくるのも必然であり、パロールは一行目の的中を知ることになった。テーブルの上に置かれた占術の結果が書いてある紙を見て、パロールは再び頭を悩ませることになる。
所詮占いである。そこに書かれたことが起こるとは決まっていない。ほんの少し前までそう言えていたし、パロール自身もそう思えていたから、ラングが口外しないように言った時に受け入れることができた。
しかし、一つ目が的中してしまった。そうなると、残り二つが当たる可能性は非常に高くなる。というよりも、一つしか当たらない可能性の方が低い。
もしも、残り二つも的中するのであれば、これはパロールだけの問題ではなくなる。王室の、延いては王国全体の問題となる可能性があり、パロールが個人で取り扱えることではなくなってくる。
そうなる可能性があるのなら、この結果は王国に報告するべき案件である。パロールは確かにそう思った。
そう思っているのだが、パロールは話すことができずにいた。占いであるとか、そういうことは関係なく、占術の結果を口に出すことが怖かったのだ。
二つ目と三つ目の結果が的中しているかはまだ決まっていないのに、パロールが話すことで、この二つの結果までも順次決定していくような気がして、どうにも話す勇気が湧いてこなかった。
パロールが部屋で一人悩んでいる中、その部屋を訪れる者がいた。扉をノックされたことで開いてみると、ラングがそこに立っている。
「師匠」
「王妃殿下のことを聞いてね。きっとパロールが悩んでいるだろうと思って」
パロールはラングに泣きつきたくなる気持ちをグッと堪えて、ラングを部屋の中に招き入れた。いつものように部屋の中に置かれた椅子にラングは腰かける。
「何か飲み物でも用意できればいいんですが。この部屋には水か、あとは聖水くらいしかなくて」
「そんな気にしなくていいから。どっちも飲み物としてカウントしていいのか怪しいし」
ラングはパロールの部屋の中の様子を見ているようだった。前回、ラングが部屋を訪れてから、部屋の中に変化と呼べるだけの変化はないはずだ。相変わらず、片づけられていない部屋だが、そこに物が増えていることもない。
何せ、この数ヶ月、パロールは真面に研究を行っていなかった。あれだけ部屋に籠もって研究を続けていたパロールだが、この数ヶ月は研究に取りかかろうとしても、進めることができないままに時間が過ぎていることばかりだった。
それを部屋の様子から悟ったのか、ラングが酷く優しげな目を向けてくる。
「あの占いのことを話そうと思ってきたんだけどね」
「やっぱり、話した方がいいですよね」
「そうだね。流石にこの状況になると、隠していてはいけないと思うんだ」
ラングも同じことを考えていたと知り、パロールはついに覚悟を決める時が来たと悟った。拳を握り締めて、話そうと思った時に襲ってくる恐怖を振り払い、占術のことを話す決意を固めようとする。
しかし、それらパロールの不安をラングは分かっているようだった。
「だから、私が話してくるよ」
「え?」
パロールが驚いた顔で見ると、ラングはまだ優しい目をパロールに向けてきていた。その優しげな笑顔の中から飛び出してきた言葉に、パロールは涙を流しそうになってしまう。
「でも、これは私の占いが出した結果ですから。私が……」
話します、と言うつもりだったが、パロールの口からその言葉が出ることはなかった。話さなければいけないと思っているし、話すべきだとも思っている。それは間違いないことなのだが、やはりパロールの芯に染み込んだ恐怖は消えず、パロールの口は固まってしまう。
「無理しなくていいよ。怖いのなら、私を頼ってくれていいから。私は君の師匠なんだよ?」
「ですが、これは私の占いが出した結果で……」
「でも、君がやったことは悪いことではないだろう?ただ占っただけ。それで、そんなに罰みたいな気持ちを味わわなくていいんだよ。少しくらいは私が肩代わりするから」
ラングの表情や言葉があまりに優しくて、パロールはついに堪え切れなくなった。押し寄せていた不安が水になって目から零れ、床にぽとりぽとりと落ちていく。
「ごめんなさい、師匠……ありがとうございます」
「パロールは何も気にすることない。後は任せて」
パロールの不安を受け持つように、ラングはパロールの目から零れた水をその胸で受け止めていた。
☆ ★ ☆ ★
ラングが帰った後の部屋の中は驚くほどに静かだった。この静かさも時と場合によっては良いものとなるのだが、この時の不安に包まれたパロールには毒でしかなかった。静かであることが理由となり、考えないでいいことばかり考えてしまう。
このままでは余計に気が滅入ると思い、パロールは静かな部屋を後にする。魔術師棟の廊下を歩いて、目的地も思い浮かばずに彷徨い始める。
王城内はパロールの部屋と違い、とても賑やかだった。その話の内容は語るまでもなく、王妃懐妊に関することである。
子供が生まれてくる時期や子供の性別、どのような子になるかという予想まで、祝福交じりに会話がなされている。
それを聞く度にパロールの頭の中に浮かんでくるのは、あの紙に書かれた占術の結果だった。結局、部屋から出ても考えることは変わらない。パロールの愚かな頭では答えなど出ないのに、忘れることができないくらいに賢いところが憎らしい。
「パロールちゃん」
不意に背中を叩かれ、パロールはゆっくりと振り返った。エルとその師であるガゼルが揃って、そこに立っている。
「エルさんとガゼルさん…こんにちは」
「あれ?どうしたの?何か暗いね」
流石にパロールも暗さを隠せているとは思っていないので、それがエルに伝わってしまうのも必然と思えた。ラングが話すと言っていたからには、パロールが占術の結果を口に出すことはできない。
何より、話せるだけの覚悟は未だにできていない。できていないままに、ラングに手渡すことで、パロールは覚悟を決めることを諦めたのだ。
「このめでたい時に、どうしてそんな顔をしているんだ?何かあったのか?」
パロールが少し俯いたところで、ガゼルが顔を覗き込むように見てきた。エルの師であるガゼルはラングと同時期に国家魔術師となった人物らしいが、その目にはラングと違って鋭さが宿っている。ラングが不安を包み込む毛布なら、ガゼルは不安を切り裂く剣のようだ。
「別に何でもないんです」
その目に頼りそうになって、自分自身にも言い聞かせるようにそう言う。
「では、失礼します」
すぐに頭を軽く下げ、再び二人に背を向けて歩き出す。これ以上、エルやガゼルと一緒にいたら、そこにも頼ってしまいそうで、そのことがとても怖かった。
パロールはラングに不安を預けてしまった。それはパロールの抱えている不安の全てではなく、未だパロールが持っているものもあるとはいえ、それでパロール自身の気持ちがとても軽くなったことに間違いはない。
それをエルやガゼルにもやってしまうと、今度は一人で不安を抱えることができなくなり、ほんの少しの不安にも潰されるようになってしまいそうだった。
そうなっては、もう一人で生きていくことができなくなってしまう。誰かに頼らないと立てなくなってしまう。
そのことが怖くて、パロールはエルとガゼルから逃げるように立ち去る。その後ろ姿にエルとガゼルが違和感を覚える可能性など考えもしなかった。
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