9年前~2年前(3)

 家の中から漏れる光に、星明かりと月明かりを頼りにして、パロールは村の中を一人で歩いていた。マクベスがラングを連れて帰り、村の水問題が解決した夜のことだ。村人の多くは村長の家に集まり、半ば無理矢理村長の家に宿泊させられたラングを囲って、盛大に宴会をしているようだった。


 パロールの足取りは非常に軽く、朗らかなものだった。それまで火を落としたように暗かった村が明るく戻ったこともそうだが、何より一人で夜の村を歩くことが楽しかった。

 普段なら絶対にこんな時間に出歩くことはない。パロールにとっての村は、常に太陽の下にあって、星明かりや月明かりの下にあるものではなかった。

 だから、パロールにとって夜の村は、知らない村に等しかった。新しい場所にやってきて、新しい景色を見ているような、そんな新鮮な驚きに満ちていた。


 パロールが立ち止まったのは、家の近くにある井戸の前だった。昨日まで枯れていたが、今は一杯の水で満たされ、底に青い石を抱え込んでいる。

 パロールはその青い石が一目見たくて、この場所にやってきていた。昼間もラングが井戸に落とすところを見られたが、それは多くの村人達の隙間から覗き見たものだ。ちゃんと見えないくらいに遠くて、ちゃんと見られたと思えないくらいに一瞬のことだった。


 もう少し、ちゃんとあの青い石を見てみたいと思って、パロールは井戸を覗き込んだ。


 井戸の中は夜と同じく、とても暗かった。微かな光の反射で、水の表面は見て取れるが、その奥に沈んでいるはずの青い石は見えてこない。本当に今もそこにあるのか、疑わしく思ってくるほどに水の底は真っ暗だ。

 もっと、しっかりと覗き込まないと見えない。そう思ったパロールが更に奥を覗き見るために、井戸の中に向かって身を乗り出そうとする。


「危ないよ!!」


 そうしたところで、そんな叫び声が聞こえてきたから、パロールは盛大に驚くことになった。身体をビクンと震わせて、思わず井戸の中に落ちそうになってしまう。既のところで井戸の縁を掴んで、パロールはほっと息をついた。


 井戸から降りて、声のした方に目を向けてみると、そこにはラングが立っていた。井戸を覗き込むパロールを相当心配していたようで、その顔には焦りや安堵が入り混じっている。


 どうして、村の救世主になったことで、今は宴会の最中にあるはずのラングがそこにいるのか、という疑問について、この頃のパロールは懐きもしなかった。しかし後々になって、この頃のことを思い出したパロールがそのことを聞いてみると、ラングは抜け出したと答えた。

 どうやら、ラングは魔術師としての性なのか、歓迎されることになれていなかったようで、宴会が盛り上がっている間に、こっそりと抜け出したようだ。それで村の中を歩いていると、井戸を覗き込むパロールを見つけて、咄嗟に声をかけたらしい。


「ご、ごめんなさい…」


 パロールが怯えたようにそう謝ると、ラングはほっと胸を撫で下ろしてから、表情を笑顔に変えた。


「いや、急に大きな声を出して、ごめんね。何をしていたの?」

「あの石を見たかったの。凄く綺麗そうだったのに、ちゃんと見えなかったから」

「ああ、そういうことなんだね」


 ラングはパロールの隣まで歩いてきて、さっきまでのパロールと同じように井戸の中を覗き込んだ。


「夜は暗くて見えないね」

「うん。見えなかった」

「明日、見てみるといいよ。昼間なら、きっと綺麗な青い石が見えるはずだから」

「そんなに凄く綺麗な石があるんだね。宝石?」

「う~ん…ちょっと違うかな。特別な石ではあるんだけどね」

「特別な石?そんな石をこの井戸の中に置いていていいの?」

「特別だからこそ、必要なところに置いておくんだよ。私が持っていても、何の意味もないからね」


 井戸から離れるラングは、とても特別な人には見えなかった。パロールの村にだっている、ただのおじさん達と何も違わない。どこか違うところがあるとすれば、その身にまとっているローブくらいだ。後々聞いたところによると、全身を包み込まれることで、何かから隠れられるような気がして、とても落ちつくから、このローブを着ているらしい。


 しかし、ラングのやったことは、村の誰にもできないことだった。パロールの村にいるおじさん達では絶対にできないことだった。


「おじさん、凄いね」


 思わずパロールが口に出すと、ラングは少し驚いてから、困惑したように笑っていた。


「おじさん、ね…まあ、そうだよね」

「どうしたの?」

「いや、何でもないんだよ。それより、何を凄いと思ったの?」

「前はね。凄く明るかったんだよ、この村って。みんな笑ってたし、凄く楽しそうだった。それなのに、水がなくなって、誰も笑わなくなって、凄く暗くなってたんだ」


 パロールはその頃の村の様子を思い出し、涙を零しそうになった。その時はそれが普通になっていて、そこまで思わなかっただけで、本当は凄く悲しかったと、この時になって気づいた。


「そんなみんなをおじさんは笑顔にしたんだよ。それって、とっても凄いことだよ」


 パロールが満面の笑みを浮かべてラングを見ると、ラングは同じように笑顔を返してくれた。それはここしばらく忘れていた笑顔の交換だった。


「私にも、あんなことができたらいいなぁ」

「君にもきっとできるよ。私にできたんだから、君にできない理由がない」

「本当に?」

「魔術に関わっているとね。昨日まで無理だと思われていたことが、今日になってみるとできることに変わっているみたいな瞬間が、たくさんあるんだよ。それって、どこかの誰かが頑張って、作り出した結果だと思うんだ。もちろん、そういう頑張りを積み重ねても、無理なことはあるのかもしれない」


 ラングのその言葉に引っ張られるように、パロールは村の水問題を思い出していた。細かい話し合いの数々をパロールは知らないが、村人達が苦しんでいたことは知っている。

 もしかしたら、それはそういう頑張っても無理なことが原因なのかもしれない。パロールは分からないながらも、そんなことをもう少し漠然とした気持ちで思った。


「けれどね。そういう頑張りを最初から諦めていたら、何も生まれないんだ。無理だと思われていただけで、本当はできることだったとしても、ずっと無理なことのまま終わってしまうんだよ。だから、君にできるかどうかも、やってみないことには分からない。疑うのは、それからでもいいんじゃないかな?」


 そう言い切りながらも、ラングはどこか頼りなさげに笑っていた。本当のところは自分の言葉の全てに自信があるわけではなく、まだ純真無垢なパロールの夢を壊さないように、少し格好つけたところもあるのだろう。今になってみると、そんなラングの気持ちも分かるが、その頃のパロールはもっと素直に、ラングの姿が格好良く見えた。


 遠くから、ラングを探す村人達の声が聞こえてきた。ラングはすぐにその声に気づいて、何とも嫌そうな引き攣った苦笑いを浮かべている。


「流石にばれちゃったか。そろそろ、戻らないと」


 そう言ってから、ラングは自分を見つめるパロールに、優しい笑みを向けた。


「君も気をつけて帰りなよ」


 ラングは別れの挨拶を残して、その場を立ち去っていく。その背中を見送りながら、パロールは心の震えを感じていた。


 これがをパロールが決意した瞬間のことだ。

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