最終日(19)
大通りで続いていた騒がしさも静まり、竜王祭もついに終わりかとベルは思っていたのだが、そうではないようだった。大通りから立ち去る気配のない人達が協力して、大通りのあちらこちらを汚したカラーインクを洗い始めている。ベルは王城からアスマと一緒にその光景を眺めていた。
「片づけまでやるのか?」
「そこまでがこのお祭りなんだよ」
「片づけるまでが祭りということか」
「うんうん」
進んでいく片づけの様子を眺めながら、ベルは竜王祭の三日間を思い返していた。初めての竜王祭がどのようなものになるのか想像もつかなかったが、今から思うと初めてでなくとも想像のつかない三日間だった。いろいろと物騒なことも多かったが、無事にこの瞬間を迎えられたことは良かったと心の底から思う。血塗れから着替えたベルは新しい服のポケットを触りながら、アスマに目を向けた。
「なあ、アスマ…」
ベルがアスマにそう声をかけたところで、遠くからアスマを呼ぶ声が聞こえてきた。ベルがアスマと一緒にその声の聞こえてくる方に目を向けると、ライトを連れたアスラがこちらに近づいてきている姿が見えた。
「あ、アスラだ」
「兄様。少しいいですか?」
アスラはアスマだけでなく、ベルにも目を向けながら、そう聞いてきた。アスマがうなずく隣で、ベルも同じようにうなずくと、アスラが手に持っていた袋をアスマに手渡した。
「兄様。これ、誕生日プレゼントです」
「え?アスラからの?」
「はい」
「やった!!ありがとう!!」
アスマは子供のように無邪気な笑顔で、綺麗に装飾された袋を受け取っていた。手渡したアスラはアスマと同じくらいの笑顔でその様子を眺めている。
「開けてもいい?」
アスマが既に袋を開こうとしている格好のまま、アスラにそう聞いていた。うなずくアスラを見ながら、意外にもちゃんとそういうことは聞くのかとベルが感心している間に、アスマは袋を開け終わっていた。
袋の中からは上下一式揃った服が出てきた。流石にアスラが用意しただけあってサイズはアスマに合っているようだが、プレゼントにあげるものとしては、少しだけラフ過ぎる気がする。アスマは動きやすい服装を好んでいるが、王子ということもあって、ある程度は質が良く、それなりに見栄えの良いものを基本的に着ているはずだが、アスラのプレゼントした服装はどちらかというと動きやすさ以外の部分は考えられていないように見える。
そう思っていたら、同じ服が他に二着、全部で三着入っていることに気づいた。質より数だろうかと思ったところで、アスラがその答えを口に出す。
「それをぜひ寝巻として使ってください」
「ああ、寝巻か。確かにアスマの寝巻は草臥れていたな」
「兄様は寝ている時に遊ぶ癖がありますから」
「ありがとうね、アスラ。ちょっと着てみてもいい?」
「今から?」
ベルの当然の疑問を聞くことなく、アスマはアスラからのプレゼントを持ったまま、どこかに走り去ってしまう。それを呆れた顔で見送っていると、今度はベルがアスラから声をかけられることになった。
「それから、ベルさんにも」
「え?私にですか?」
「はい」
「私は別に誕生日でも何でもありませんよ?」
「知っていますよ」
アスラが笑いながらライトに視線を送ると、ライトが手に持っていた小包を渡してきた。ベルはそれを一応受け取ってみるが、未だに何のプレゼントか分かっていない。
「それはベルさんへのお礼です」
「お礼?」
「はい。ベルさんが来てから、兄様がとても楽しそうなんです。今までもそうだったんですけど、ここ最近は今まで以上に楽しそうで…それはきっとベルさんが来たからだと思うんです。ベルさんが兄様と一緒にいてくれるから。だから、そのお礼です」
アスラの優しい言葉選びにベルは笑みを浮かべながら、小さくかぶりを振っていた。確かにアスラの言う通り、アスマが自分と同じ、仲間と思える存在としてベルを見ていることは確かだが、それはベルも同じことなのだ。だから――
「礼を言うのは私の方です。私はずっと一人なんだと思っていました。何度も、何度も、あの時に戻りたいと一人で泣いていました。けど、そんな私に居場所があるということを教えてくれたのがアスマなんです。照れ臭くて、本人には言えませんが、本当は私の方こそ感謝しているんですよ」
ベルはアスラと顔を見合わせて、それから互いに照れ臭そうに笑っていた。ベルが受け取った小包を大切そうに抱いていると、それを見たアスラが笑ったまま、開けるように促してくる。
「どうぞ、開けてください。女性にどのような物をあげたらいいのか分からず、ライトさんに選んでもらったんですよ」
「ライトが…?」
アスラの一言に不安を懐きながらライトに目を向けると、ライトの気まずそうな笑みと目が合ってしまった。大丈夫なのかと疑いながら小包を覆っているラッピングを破っていくと、中から小さな木の箱が姿を現す。鬼が出るか蛇が出るか、もしくはそれ以上の何かが飛び出すかと怯えながら、ベルはゆっくりと木の箱を開いていった。
「ネックレス…?」
トップに赤い長球型の宝石がついたネックレス。意外と普通の品物が出てきたことに、ベルは面食らっていた。ライトに驚きの目を向けると、今度はライトが照れ臭そうな笑みを浮かべている。
「いろいろと考えたんだけどね。どうやら、そのネックレスは魔術と関係があるらしいんだよ」
「魔術…?」
「ベル婆は魔術と最悪な関わり方をしているから、魔術のことが嫌いかもしれないけど、それがあったから、ここにいるわけだし、そういう悪い思い出ばかりなのも残念だなって思って」
「だから、少しくらい良い思い出になるようにこれをくれたのか?意外と真面目だな」
「うわー!?真面目に選ぶんじゃなかった!!めちゃくちゃ恥ずかしい!!」
顔を真っ赤にして絶叫したライトが両手で顔を覆った。その様子にベルとアスラが揃って笑っている。笑いながら木箱からネックレスを取り出して、ベルは首からぶら下げてみた。
「ありがとう」
「どういたしまして!!」
顔を隠したままライトが叫んだところで、どこかに行っていたアスマが戻ってきた。着替えてくると言っていたが、服装はさっきと変わっていない上に、アスラからのプレゼントは手から消えている。
「夜に着なさいって怒られたー」
「誰に?」
「ルミナ」
「だろうな」
ベルが呆れた顔を隠せないでいると、帰ってきたアスマの言葉に笑っていたアスラが軽く頭を下げてきた。アスマに不思議そうに見られながら、顔を覆っていた手の隙間からアスラの様子を確認したライトが、顔を真っ赤にしたまま同じように頭を下げている。
「それでは、僕達は失礼しますね」
「ああ、うん。ライトはどうしたの?」
「アスマ殿下。何も聞かないでください」
首を傾げたアスマと一緒にアスラとライトを見送ってから、ベルはようやくポケットに手を伸ばした。
「なあ、アスマ」
「何?」
「これ。プレゼント」
ベルがポケットから取り出したのは、綺麗に装飾された小さな袋だった。さっきベルが受け取ったプレゼントとサイズは同じくらいだが、厚さが圧倒的に薄くなっているものだ。
「ベルからのプレゼント?」
ベルの手からプレゼントを受け取りながら、アスマは驚いたような目をベルに向けてきていた。その表情を少し不満に思いながらも、嬉しそうにプレゼントを見ているアスマの顔を見ると、ベルは文句の一つも言えなくなる。
「開けてみろ」
ベルが促すと、アスマはゆっくりと袋を開き始めた。ワクワクとした表情は子供のように無邪気なものだ。
やがて、袋の中から出てきた物を持って、アスマはベルに目を向けてきた。
「これって…?」
「栞だ」
ベルが用意したのは押し葉をあしらえた栞だった。普段のアスマの振る舞いを知っているベルがそのような物を用意するとは思っていなかったのか、アスマは少し面食らった顔をしている。
「最近、シャーロックシリーズにハマっているだろ?」
「それで栞を?」
「それもあるが…気になっていたんだ。お前が良く一人でいること。シャーロックシリーズにハマっているなら、部屋で本を読んでいてもおかしくないのに、お前は良く一人で王城を出歩いていた。それを見ていたら思ったんだ。もしかしたら、お前は一人の時間があまり好きじゃないのかもしれないって」
「ああ…うん……」
アスマは少し俯いて、困ったように笑っていた。その表情を見ていると、ベルは自分の考えが間違っていなかったことを強く実感する。
「だから、その時間が少しでも好きになるように。まあ、何だ…ちょっと被ったんだがな…」
「被った…?」
「いや、こっちの話だ。それがあったら、一人の時間も少しは一人じゃないように感じるかもしれないって思ったんだ」
「それで栞なのか…ありがとうね」
アスマはいつもの無邪気なものではなく、優しく込み上げてくるように笑みを浮かべて、ベルを見てきた。その笑みの奥底に、隠していた寂しさみたいなものが紛れている気がして、ベルは少しだけ胸が温かくなる。自分も感じたことのある気持ちを分かち合えること以上に嬉しいことはない。
「ちなみに、その栞はただの栞じゃないんだぞ」
「どういうこと?」
「その栞の押し葉。変わった形の葉だろ?」
「ああ、うん。見たことないね」
栞にあしらわれた押し葉は、四つの葉が扇状に広がっている独特な形をしていた。アスマが見たことないと言うはずのものだと、ベルは密かに心の中で笑っている。
「それはな。ヒノデソウという植物の葉なんだ。形が日の出みたいだろう?」
「ああ、確かに」
「私の故郷の近くの森に多いものなんだがな。枯れやすくて加工が難しい上に、生えている場所が限られているから、その押し葉は凄く値が張るんだよ」
「え?いくらくらい?」
「そうだな…パンテラに一月くらい通ってもお釣りが出るくらいかな…?」
「そんなに!?」
アスマが目を飛び出させそうなほどに驚きながら、手元の栞に目を向けていた。ベル自身で使うなら、絶対に購入しない代物だが、アスマへの誕生日プレゼントなら別だ。その懐かしさについつい手に取ってしまった流れから、気づいた時には購入していた。その時は他にあったかもしれないと思っていたが、今嬉しそうに栞を眺めているアスマを見たら、ベルのそんな気持ちはどこかに消えてしまっていた。
「あれ?」
嬉しそうに栞を眺めていたアスマが不意に不思議そうに呟いた。アスマを見てみると、ベルの胸元に目を向けているようだ。
「そのネックレス、どうしたの?」
「ああ、これか。秘密だ」
「ええ~、何か気になる~」
「絶対に教えない」
ベルはアスマの追及をひらりと躱して、再び大通りで進んでいる片づけに目を向ける。どれだけ願っても時間は戻らないが、その時間があったからこそ生み出した物だって確かにある。この時間もその一つだと考えると、ベルの胸は少しざわつき、少し温かくなった。
騒がしくも楽しかった竜王祭はこうして無事に終わっていった。
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