最終日(1)

 竜王祭も最終日を迎えていたが、ベルの日常に大きな変化はない。いつもと同じように目覚め、いつもと同じようにアスマを起こす。アスマは昨日と同じで、諸々の疲れからか、ぐっすりと眠っている。ベルが軽く揺さ振ったくらいでは起きず、何度か強めのアタックを繰り返してから、ようやく目覚めていた。


 その後は着替えを終えたアスマが朝食に向かうところを見送り、普段なら仕事のためにメイドの集まる控え室に行くところなのだが、今日のベルは仕事が休みのため、控え室に行く必要はなかった―――はずなのだが、気づけば控え室にいた。普段の習慣とは恐ろしいものである。

 せっかく、ここまで来たのなら、と思ったベルが顔を出すと、中にはキャロルとスージーがいた。これから仕事というところのようで、何かを準備していたのだが、ベルに気づくなり話しかけてきた。


「ベルさん。どうしたの?」


 キャロルもスージーも同室なので、目覚めた時にベルは顔を合わせている。その時に今日も休みだという話もしていたので、ここにベルが来る理由が分からないのだろう。

 しかし、ベルは何とも言いづらかった。習慣で控え室を訪れてしまったなど、いかにも馬鹿な台詞を易々と言えるわけがない。ただ、どう隠そうとも馬鹿は隠れないほどに大きいので、仕方なく、ベルは素直に言うことにする。


「実は習慣で、ついここまで…」

「ああ、あるよね」

「ありますね」

「え?あるあるなのか?」


 二人の予想だにしない反応を見て、ベルは逆に面食らうことになっていた。馬鹿にされるかと思っていたが、まさか共感されるとは思ってもみなかった。


「私は昨日もう少しで来るところでしたよ」

「そうそう。私が止めて何とか」

「何か、私達働き過ぎているんじゃないか?」

「その可能性しかないね」

「もう少し休んだ方がいいのかもしれませんね」


 竜王祭の最終日の早朝というのに、ベル達はどんよりとした空気に包まれることになった。昨日の一件も重なり、このままでは気が病みそうになるというところで、ベルは二人が何かを準備していたことを思い出した。


「そういえば、これからどこかに向かうのか?」

「ああ、そうそう。これから、祭りの主役を着飾るお手伝いに行くところなの」

「ん?祭りの主役を着飾る?」

「あれ?ベルさんは聞かされてないの?」

「いや、どのことか分からん」

「なら、一緒に行く?」

「いいのか?邪魔にならないのか?」

「ああ、大丈夫。その方が殿下的にもいいだろうし」

「どういうことか分からんが、それなら…」


 キャロルやスージーの準備していた物を一緒に持って、ベルも二人の向かう場所に向かおうと思ったのが、その前に一つ首を傾げることになった。


「虎…?」


 手に持った頭から被る袋状の虎のマスクをベルは見ていた。



   ☆   ★   ☆   ★



 エアリエル王国にはスートの貴族と呼ばれる貴族がいる。王国の経済にも影響を及ぼす貴族のことで、ギルバートはその内の一つであるスペードの一族の現在の当主だ。他にも、クラブの一族、ハートの一族、ダイヤの一族があり、例えば王国騎士団で騎士を務めているセリスはクラブの一族の人間である。


 ベル達が向かった部屋にいたのは、その中の一つであるダイヤの一族の現在の当主、チャールズだった。キャロルとスージーにてきぱきと指示を出し、ベル達よりも先に部屋にいた祭りの主役を着飾らせている――――と思ったのだが――


「着飾る…?」

「何か、地味…だよね…?」


 アスマがチャールズの準備した服を見て、困惑した顔をしていた。着飾るというには、その服はあまりに地味だった。装飾の類もない上に、全体のシルエットも身体のラインに合わさっており、色合いも鮮やかとは言えない。

 寧ろ、アスマの前で満足そうな顔をしているチャールズの方が派手な服を着ていた。そちらの方が着飾るという言葉に合っているように見える。


「いやー、昨日急遽取り掛かったんですけどね。想像よりもいい出来で良かったですよ」

「一日で作ったの?」

「ええ、そうですよ」


 一日で作ったから簡素な仕上がりなのかと思ったが、それにしてはチャールズが満足し過ぎている気がする。そう思っていたら、チャールズが目の前の服を作り上げた経緯を話し始めてくれた。


「実は動きやすい服を考えていたんですけどね。良いアイデアが全く思いつかなかったんですよ。それで悩んでいたら、昨日王城にいた人が故郷の服というのを教えてくれて」

「昨日王城にいた人?」

「何と言ったかな?名前を聞いたのだけれど、興奮していたので忘れてしまいました」

「それでこの服を作ったの?」

「そうです。そうそう。服の名前は覚えていますよ。って言うらしいです」


 着替えを手伝ったキャロルとスージーも流石の服の地味さに困惑しているように見えた。手伝うと言っても、着る本人に服を手渡していたくらいで、他に手伝うところがなかったのだが。


「まあ、でも、こんな服を着ている人はいないし、目立つよね?」

「ああ、うん。悪目立ちすると思うぞ」

「なら、いいんじゃない?」

「まあ、そうなんじゃないか…?」


 ベルはアスマが即座に受け入れた姿勢に驚いていた。祭りの主役に着させる服にしてはやはり地味な印象が消えないのだが、問題ないとアスマが言うなら問題ないのだろう。アスマのセンスがアスマの象徴となるはずだから、そこに対してベルがとやかく言うことはない。

 ベルがそう納得させようとしていると、不意にアスマが何かを手渡してきた。


「あ、そうだ、これ。ベルの分ね」

「何だ?」


 そう言って受け取った物を見て、ベルは再び首を傾げることになった。


「また、虎…?」


 未だに用途の分からない虎のマスクを受け取り、ベルは怪訝げに眉を顰めるのだった。



   ☆   ★   ☆   ★



 最終日の始まりは正午のことだった。竜の模型が通るスペースを空けていない分、昨日よりも多くの人間が大通りに集まっていた。王城前にはいつのまにか舞台が作り上げられており、その上にはいくつかの椅子が置かれている。


「何だ、あれは?」


 人混みに紛れたベルが訊ねると、隣に立っていたシドラスが答えてくれる。


「国王陛下や王妃殿下があそこからご覧になられるのですよ」

「あんな狙いやすい場所に国のトップが出てくるのか?」

「もちろん、魔術による防壁もありますし、騎士団長を始めとする数人の騎士で護衛しています。寧ろ、王城の中よりも安全ですよ」

「普段から、そうしたらいいのに…」

「常時その状態を作れる魔術師はこの国に――というよりも、この世界にいませんよ。強いて言うなら、殿下にその可能性があるくらいです」

「そんなに難しいのか」


 王城前の舞台にはいつのまにかブラゴが立っていた。どうやら、始まりの合図をブラゴが出すようで、長々としたブラゴの話が始まっている。


「元々は殿下の役目だったのですが、数年前に自分は交ざりたいから面倒な仕事は嫌だと団長に押しつけたのです」

「あ~、何か想像つく」


 ベルが隣に目を向けると、チャールズの用意したジャージに着替えた祭りの主役が虎のマスクを被っていた。同じものをベルも渡されている上に、シドラスや周囲にいる人達も持っているが、それをどう使うのか、いまいち分からない。更に良く見てみると、周囲にいる人達の中には虎ではなく、ドラゴンのマスクを持っている人までいる。


「あ、来ましたね」


 シドラスがそう呟いたことで舞台の方に目を向けると、並べられた椅子に国王であるアステラや王妃のアマナ、それにアスラが騎士を引き連れて座っている。騎士の顔も見慣れてきたもので、セリスやウィリアムなど知っている顔もあるのだが、ウィリアムの隣に立って、アスラに仕えているもう一人の騎士は頭に虎のマスクを被っている。それを見たベルは苦笑いを浮かべた。


「いや、怪しいやつが交ざっているようにしか見えん」

「同感ですね」


 シドラスが呟いたところで、ベルは隣に立つ虎のマスクに話しかける。


「おい、あんまり目立つことはするなよ。バレるからな」

「分かってるよ。あと、なかなかバレないよ」

「いや、そういうが…」


 そう言いかけたところで、ベルは最終日に何が行われるのか未だに自分が知らないことに気づいた。マスクの用途どころか、一切合切を聞いていない。


「なあ、シドラス。何が行われるんだ?」

「あ、始まりそうなので、説明は取り敢えず置いといて、マスクを被ってもらえますか?あとこれも持っていてください」


 そう言ってシドラスが渡してきたのは赤い球体だった。良く見てみると、周りにいる人達はみんな様々な色の球体を持っている。


「これは?」

「色のついたインクが入ったボールです。それを使うので…取り敢えず、早くマスクを被ってください」

「あ…ああ、分かった。やけに急かすな」


 ベルがマスクを被った瞬間、ブラゴの声が大通りに響き渡る。


「では、存分に争え!!」


 その声と同時に誰かが手に持っていたボールを投げた。

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