一日目(13)
小型犬程度なら問題ないが、大型犬なら手に余る。それも二匹となれば、飼い主の苦労は二乗される。散歩に連れていくのも一苦労で、散歩の先導をするどころか、全力で走り出そうとする大型犬を制するので手一杯になる。
ネガとポジによるソフィアの案内は正にその状態だった。
欲望のままに祭りを堪能するネガとポジに引っ張られ、ソフィアはてんてこ舞いの様相だった。
元からネガとポジが好きに回ってもいいというところから案内は始まっているので、そのような状態になっても、ソフィアが文句を言うことはなかったが、ソフィアが楽しんでいるのかどうかは怪しいところだった。
その雰囲気をネガとポジが察したら良かったのだが、二人が察することは全然ないままに、食いたいものを食い、買いたいものを買い、見たいものを見るばかりで、案内らしい案内が行えているのか怪しいままに時間ばかりが過ぎていく。
そうして気がつけば、日が沈むまでもう少しの時間が来ようとしていた。
そろそろ、ネガとポジのタイムリミットである。
「もうそろそろ、帰る時間だね」
「祭りももう終わりだね」
日が沈んだら祭りの初日は終わり、二人の休みも終わる。後の二日間は仕事があるので、二人の祭りは今日だけだ。
そのことを実感したことで、二人はとても悲しそうな顔で沈んでいく太陽を眺めていた。
その二人の後ろで、同じように暗い表情をしたソフィアが立っている。
「今日は楽しかったわ」
不意に呟かれた言葉に振り返り、ネガとポジは優しく笑うソフィアを見ていた。
その笑顔を見ていると、てんてこ舞いの一日だったはずだが、ソフィアが本当に祭りを楽しんでいたことが分かる。
ただし、二人は元からそのつもりなので、そのことを深く考えたりはしない。
『それなら、良かった』
ネガとポジは言葉と笑顔をユニゾンさせる。
ソフィアが楽しんでいるかどうか不安に思うことはなかったが、自分達の好きなところを同じように好きになってくれるか分からない以上は、それらを回って楽しかったと言ってもらえることはとても嬉しかった。
「最後に一つだけ行きたいところがあるのだけど、いいかしら?」
それは案内以外にソフィアが初めて頼んできたことだった。ネガとポジに断る理由はもちろんない。
「いいよ」
「どこ?」
ソフィアは二人が聞くと、嬉しそうに小さく笑ってから、すぐに悲しそうな顔を浮かべてしまう。
「実は今日しかお祭りを回れなくて、明日に見られるアレを見ることができないの」
アレという表現だけだったが、それが何を指しているのか分からない二人ではなかった。
二日目に見られる物と言えば、祭りに一度でも参加した人なら分かる代表的な物が一つある。それのことを指しているのは間違いない。
「それを一目でいいから見てみたいの」
ソフィアの頼みは正直ネガとポジにどうにかできるものではなかった。
ソフィアが見たいと言っている物は二日目の目玉であり、現在は王城で人が近づけないように保管されているはずだ。
そこにソフィアを連れていくためには様々な許可がいるのだが、ネガとポジにそんな許可が取れるはずもない。
しかし、祭りの最中も仕事があり、休みの限られる二人からすると、ソフィアの気持ちは痛いほどに良く分かってしまった。
見られないと分かっているからこそ、ちゃんとこの目で見てみたいと思うものはたくさんある。
ネガとポジだって、今年は二日目を回れないので、ソフィアが見たいと言っている物を見ることができない。
そうやって考え始めると、二人は何としてでもソフィアに見せてあげたい気持ちが強くなってしまった。
自分達には難しいことでも不可能だというわけではない。許可を取れないだけで、ネガとポジでもソフィアを連れていくこと自体はできる。
それは許されない行動だが、バレなければ問題ないという気持ちも同じくらいに強かった。
「分かった。案内するよ」
「こっそりとね。ついてきて」
ネガとポジはそう言って、ソフィアと一緒に王城に歩き出す。ソフィアはさっきと同じ優しい笑みを浮かべて、二人にお礼の言葉を向けていた。
それから、ネガとポジはソフィアを連れて、こっそりと王城に帰ってきていた。両手には祭りの思い出を持った状態で、王城の開放されていない区域に入り込んでいく。
ソフィアが見たいと言っていた物は大きさの問題もあり、王城の外に持ち運びやすいように城門から近い場所にはあった。
そのため、ネガとポジは簡単にそこまでソフィアを連れていくことができた。
衛兵の目を盗んで、こっそりとその場所にやってきたところで、感動からかソフィアが思わず声を漏らしている。
「凄い…こんなに大きいのね」
「初めて見るの?」
「うん」
「じゃあ、ビックリするよね」
「凄く大きいもんね」
どれくらいの時間か分からないが、あまり長い時間ではないはずだ。
そこでネガとポジはソフィアと一緒に、二日目に活躍するその物を眺めていた。ゆっくりとその周りを歩いたり、少し近づいてみたりしながら、三人はしばらくそうしていた。
その間、ネガとポジはソフィアの様子に頬を緩ませる瞬間はあっても、周りを警戒するみたいなことはしていなかった。
それはこの場所に誰も来ないと思っていたからではなく、こっそりと忍び込んでいることを忘れていたからだ。
「ここで何をしているんだ?」
だから、その声が聞こえてきた瞬間は飛び上がるほどに驚いた。ネガとポジは目をコインみたいに真ん丸くして、声の聞こえてきた方向に目を向ける。
眉間に皺を傷跡みたいにくっきり寄せて、今にも火を吹き出しそうな顔をしたセリスがそこには立っていた。
『セリス様!?』
「何をしているんだ?」
「違うんです!?私達王城で働いてます!?」
「泥棒じゃないんです!?違うんです!?」
「それは知っているが、そういうことじゃない。ここは立入禁止のはずだ」
「そ、それは…ごめんなさい!!」
「この人がどうしてもアレを見たいって言うから、ごめんなさい!!」
ただの正直というよりも、馬鹿のつくタイプの正直で、ネガとポジは素直に白状してしまったのだが、セリスは怪訝げにネガとポジを見るばかりだった。
「この人?」
「この人は責めないであげてください!!」
「私達がいいって言ったんです!!」
「いや、お前達二人しかいないが?」
『え?』
ネガとポジが慌てて辺りを見回すと、すぐそこにいたはずのソフィアの姿はいつのまにか消えていた。慌てて辺りを探してみるが、どこにもいる気配はない。
「まあ、いいが、あまりこの辺りに近づかないことだ。ただでさえ、警備が厳重になっているからな。変に疑われることになる」
「ごめんなさい」
「もうしません」
「分かればいい。それに気になることはあるが、そこまで危険なことにはならないはずだ」
セリスは最後に優しく微笑んで、ネガとポジに早く帰るように言ってから立ち去っていく。
その後ろ姿を見送りながらも、ネガとポジはまだ周囲を探していた。
姿の消えたソフィアのことが気になって仕方なかったが、二人がこの後、ソフィアを見つけることはできなかった。
☆ ★ ☆ ★
祭りを堪能すると同時にベルとシドラスが不安に抱えることになった祭りは終わりを迎えたが、アスマ達には最後の任務が残されていた。
それがベネオラをパンテラまで無事に送り届けるという役目である。
その役目は難しいことではなく、簡単にこなすことができたのだが、そこでシドラスはベネオラに一つの決定事項を告げなければいけなかった。
それを告げなければいけないことはベルも分かっていることだが、それにしてもベネオラにとって辛いことだと思っていた。
「明日のことですが」
「はい」
「残念ながら、私達はベネオラさんと一緒にいることができません」
「そう…ですよね。何となく、分かってました」
無理に明るく振舞おうとしているベネオラの笑顔がとても辛い。
その腕の中に抱かれた豹のぬいぐるみが今日の思い出と重なり、ベルの胸は何度もズキズキと痛んでしまう。
「それともう一つ。すみませんが、今日のことは口外しないようにお願いします」
「はい。大丈夫です。今日はありがとうございました。凄く楽しかったです」
お辞儀するベネオラをこのまま帰していいのかとベルは考えていた。
今日の思い出はベネオラにとって楽しかったものかもしれないが、明日のベネオラは同じように笑っているか分からない。
グインもいない一人ぼっちになってしまったベネオラが暗い表情で祭りの中を歩いている姿など、ベルは一瞬も想像したくない。
何とか明日のベネオラに笑顔を届けたい。そう思ったところで、ベル達が一緒に回ることは非常に難しい事態になってしまった。
ちょうど良く、明日の予定が空いている人など身近にそういるものではない。
そう思っていたところで、ベルは身近なところにいることに気づいた。
「あ、そうだ。ベネオラ、もし明日の予定がないなら、今日と同じように待っていてくれるか?」
「え?」
「ちょうどいい奴らがいる」
ベネオラはベルの言っていることがいまいち理解できなかったようだが、取り敢えず、待っていればいいということだけは分かったようで、その部分は了承してくれた。
これで明日のベネオラに笑顔が届けられるとベルがホッとしたところで、ベル達三人は王城に帰り始める。
そこでもう一つの問題と直面することになった。
「殿下、明日は諦めましょう」
「ええ!?何で!?」
「今日聞いた話から、殿下を狙っている人間の存在が判明しました。その中で祭りを回ることは危険でしかありません」
「絶対に嫌だ!!回る!!」
「殿下、我が儘はお止めください」
「嫌だ!!これだけは譲れない!!」
これが新たに発生したアスマが頑固過ぎる問題だ。シドラスが何度無理だと言っても、アスマは頑なに祭りを回ると言って聞かなかった。
その押し問答が何度も繰り返されて、最終的に折れたのはシドラスの方だ。声を荒げて言い争っていたためか、既に息は上がっている。
「分かりました。回ることは許可します」
「やった!!」
「ただし、条件を設けさせてもらいます」
「じょ、条件…?」
「はい。時間制限を設けさせてもらいます」
「それってどういうこと?一日回れないってこと?」
「そういうことです」
「え~、嘘~」
「それだけの期間、私が一人で護衛するのは難しいので、他に護衛役が見つからない限りは一日回ることは無理です」
シドラスなりにアスマの希望を叶えようとして出した条件だということは、アスマにも分かったようだった。
不満そうにしているアスマだが、それ以上の我が儘は言うことなく、渋々と言った感じだが飲み込んでいる。
この問題が膨らむのかと戦々恐々だったベルはそのことにホッとしていた。
こうして祭りの一日目は無事に終了していったのだが、そこには大きな不安が残っているままだった。
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