一日目(6)

 竜王祭を誰よりも早くから、誰よりも長く楽しんでいるはずのライトは、王都の街中の一角でひっそりと押し潰されようとしていた。

 ここまで星の数ほどの店に入ってみたが、ただただウィンドーショッピングを繰り返しているばかりで、ライトの両手は未だに開いたままだった。


 それというのも、ライトの琴線が太過ぎることが原因だ。

 ベルへのプレゼントとして、アクセサリーの類を所望し始めたライトだったが、その琴線はあまりに図太く、多少のアクセサリーではちょっとの音も鳴ることがなかったのだ。


 結果的にライトの両手は塞がる気配もないままに、ただただ時間だけがライトの手元からなくなっている。

 ライトは時計を持っていないので、正確な時刻の確認はできなかったが、空に浮かんだ太陽が沈むパターンに入っていたので、既にランチタイムに突入していることは分かった。


 ライトの腹が小さく文句を言う。脳裏を過るのは、関係ないからと無視してきた食べ物系の店達だ。

 既にライトはいくつもの店達を置いてきてしまったが、今更ながらに戻ることも必要なのではないかと悪魔の考えに取り憑かれる。


 しかし、今はそれよりも優先するべきことがある。

 ライトは悪魔の考えごと、かぶりを勢い良く振って、もう少しだけ図太い琴線を震わすことができるアクセサリーを探すことにする。


 そうしたところで、悪魔の店構えがライトの目に飛び込んできた。

 止まりたかったわけではないが、条件反射的に足が止まり、ライトはそのセンスの欠片もない看板に目を奪われる。


「魔術道具屋…」


 声はそよ風のように口から漏れて、ライトの憂鬱さを加速させた。プレゼントが手に入らない状況で見つけるべき店ではなかったと、発祥不明の後悔に襲われる。

 さっさとこの場を離れるべきと思い、足を違う方向に向けた瞬間、足に釘が打たれたように動かなくなった。


 さっきから、ライトの頭には悪魔が住んでいるようだ。

 もしかしたら、魔術道具屋に琴線に触れる最上級のプレゼントがあるかもしれないなどと、意味不明な言葉を囁いてくる。


 ライトは一度入った店内を思い返すと、そこに再び飛び込む気にはなれない。

 しかし、可能性を自ら捨てるべきではないと思う気持ちもある。


 悪魔の囁きの通りに、この店に最上級のプレゼントが存在していたら、ライトは目前にぶら下がったプレゼントを見送ったことになる。

 それだけは何としても避けたいが、もう一度入りたい店ではない。

 確かに薬のような気になるアイテムはいくつかあったが、それらが欲しいのであれば、魔術道具屋以外の魔術道具屋に向かえばいいとライトは思う。

 その方が信頼できる物を購入できるに違いない。


 そう思うのだが、この魔術道具屋は魔窟過ぎて、ここにしかない物も存在していそうなのだ。

 違法まではいかないにしても、見方を変えたら合法くらいの違法さの物なら売っているかもしれない。


「いや、それは違法か…」


 つまらない考えに囚われている間に、時間を不必要に浪費していると気づき、ライトは決断を下すことにした。


 非常に気は乗らない上に、悪魔の囁きは悪魔の囁きでしかないので、一切の確証がないのだが、ライトは可能性を潰すために店の扉を開けることにした。

 前回も驚いた牛蛙の鳴き声が不意に鳴り、ライトは身体をビクンと震わせる。知っているから驚かないとは限らない。


 店内は竜王祭に合わせて仕様を変えている、みたいなことがあるはずもなく、前回訪れた時と寸分違わない印象を持っていた。

 ラインナップの違いは凝視したら分かるかもしれないと最初は思ったが、そもそも前回の混沌とした店内を完璧に覚えているはずがないので、凝視したところで怪しい商品が良く見えるだけである。

 客は当たり前のことだが、入ってきたばかりのライトしかいなかった。エルが定期的に金を落としているから潰れていないと言っていただけあって、竜王祭の最中であろうと閑散としているようだ。


「相変わらず人がいないけど、大丈夫なのか…?」


 ついつい心配して呟いてしまったライトだったが、どうやら店主の耳は地獄の端々まで行き渡っているほどの地獄耳だったようで、ライトの小さな呟きを拾っていた。


「うるさいね。ちゃんと現状維持だよ」

「維持したくない現状ですけどね」


 フーは店の奥で相も変わらず不気味な雰囲気を醸し出していた。一切動かない様子は人形のようだが、このような人形が店に置かれていては悪魔すら寄りつかない。


「でも、あれからちゃんと客は来たよ」


 心配しているライトを安心させる気持ちは全くないと思うが、フーはそのように呟いた。

 もしかしたら、店の尊厳を守りたかったのかもしれないと思ったが、もしそうなら、最初から現状維持とか言わなければいいだけであり、その考えも違うと思う。


「客?この店に?」

「失礼だね。客の一人くらい来るよ」


 フーが長く伸びた細い腕を上げ、ライトの近くの棚に向けて指を伸ばした。

 枯れ木から伸びた枝に誘われ、ライトが棚に目を向けると、そこには見覚えのある球体がいくつか並んでいる。

 ライトの記憶が確かなら、のはずだ。


「それを買っていた客がいたよ。だったね」

「いや、それは普通に貴族なんじゃ…」


 そう言いながら、ライトは魔物の素を一つ手に取り、伸しかかった疑問の重さに頭を傾けることになった。


「どうして、貴族の女が魔物の素を?」

「さあね。金持ちの考えていることが分かるわけないだろう?」

「まあ、それもそうですよね」


 王城で働くライトだからこそ、貴族特有の考えがあることは良く知っている。

 それはライトの理解できない考えであることがほとんどで、ライトがアスマと深く関わるようになったのも、アスマがその考えを持っていないからだった。


「それと来たね。まあ、それは買う客じゃなくて売る客だったけどね」

「ん?店に何かを売ったんですか?こんな店に?」

「こんな店って何だよ、失礼だね。その客はとても喜んでいたよ」

「こんな暗い店の中にずっといるから、ついに目までおかしくなったんじゃないですか?」


 フーはゆっくりと立ち上がって、自分の近くの棚に近づいていた。


 前回エルの頼みで店の奥に引っ込んでいった時も思ったが、フーは立ち上がる時に、地に張った根を引きちぎっているように見える。

 あまりに座っている姿が様になっていて根が張っているように思えてしまうのか、根を引きちぎるように力を込めて立ち上がっているのか、そもそも本当に根が張っているのか、真相のほどは分からないが、印象は頭から消えない。


「これを売っていったんだよ」


 そう言ってフーが持ち上げたのは小さなネックレスのようだった。

 金の鎖に赤い長球型の宝石がトップにつけられたネックレスで、その様は店の雰囲気の中では異質と言える。


「それをこの店に売ってきたんですか?」

「そうだよ」

「それで買ったんですか?」

「そうだよ」

「カツカツなのに?」

「そうだよ」

「脳細胞死にました?」

「そうだ…違うよ!!失礼だね!!」

「今ちょっと、そうだよって言いかけましたね」


 ライトはフーのところまで近づいていき、その手に握られたネックレスを覗き見た。赤い宝石は指の爪ほどの大きさだが、かなり透き通っていて綺麗に見える。


「こんな物も買うんですね」

「というよりも、これはだよ」

「え?そうなんですか?」

「微量な魔力を感じるからね。魔術を使用する際の補助か、特定の魔術を発動させる鍵か、明確な使い道は分からないけど、何かに使えることは確かだよ」

「そんな物もあるんですね」


 魔術と関わりがあるというネックレスを見て、ライトはパロールから聞いた話を思い出していた。

 ベルと魔術の関わりの話で、ライトは一端こそ知っているが、に本格的に関わっていたわけではないので、詳細までは知らない話だった。


 その話の内容的にベルは魔術の全てを好ましいものと思っているわけではないはずだ。

 それはベルに確認を取ったことではないが、ライトが同じ立場に立っていたら、少なくとも手放しで好ましいものとは言えない。


「これっていくらですか?」


 つい口をついて出たのは、ライトの決断を表す言葉だった。


 ほんの微かな音でしかなかったが、そのネックレスは確かにライトの琴線に触れて、確かに音を立ててみせたのだ。

 その理由のほどは分からない。何か特別な要素がネックレスにあったのかと聞かれると分からない。

 しかし、ネックレスがライトの琴線に触れた瞬間に、琴線を震わせたのだけは確かだった。


 その感覚でしかないものを信じて、ライトはフーからネックレスを購入することに決める。

 アスラからベルへのプレゼントには、これこそが相応しいと妄信することに決める。


「いいけど、買うのかい?」

「ええ、はい」

「誰かへのプレゼントかい?」


 フーにそう聞かれて、ライトはベルの顔を思い浮かべた。

 ベルの不遜な態度に悪魔のイメージが重なって、店に入る前に悪魔の囁きが正しかったことを知る。


「ちょっと王子より偉いメイドさんに」


 そう答えた時のライトはまだ、この後にフーがネックレスに悪魔の供物のようなラッピングを施すことを知らなかった。

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