一日目(3)

 祭りの喧騒が広がっていく中で、ブラゴは未だ王城にいた。それは国王と王妃の警備があるからなのだが、もう一つ大きな理由があった。


 それが前日に急遽変更することになった警備体制のことである。

 その前日、今から二日前に起きた泥棒騒ぎが原因で、その時点で警備体制を変更していたのだが、前日にヴィンセントからの報告で魔術師の存在が判明してから、すぐにブラゴはセリスと一緒に検討して警備体制を変更したのだ。


 しかし、それは開いていた穴を別の布で塞いだだけの作業だ。

 警備体制として満足いくものとは言い難く、直前の変更に衛兵も完璧に対応できているかは分からない。


 それは大きな不安要素としてブラゴの胸の中に住み込み、それを解消するためにブラゴは祭りの前にその場所にやってきていた。

 ブラゴには祭りの中で果たさなければいけないがあるので、その前にこの不安要素だけは解消しておきたいと強く思っていたのだ。


 問題の場所はやはり人気が少なく、王城の堅固な警備の中にぽっかりと開いた穴のように思えた。意識しないと気づかないが、意識してしまうと気になって仕方がない。

 ブラゴは何もないことを確認するために、周囲を見回り始める。その視線の鋭さは紛れ込んだ小動物程度なら睨み一つで殺せるほどだ。


 一通り見終え、何もないと確認したことで、ブラゴの胸の中で腫瘍として存在していた不安要素が小さくなり、ブラゴは少しばかりの安心感に包まれる。

 取り敢えず、現状はこれで問題ないと判断し、ブラゴはその場所を立ち去ろうとした。


 そこで顔を合わせることになったのが、同じ理由でその場所を訪れたセリスだった。ブラゴと同じように不安要素の腫瘍を胸に抱えた病人である。


「団長。どうされたのですか?」

「ただの確認だ。先日の報告があったからな」

「やはり、団長もそうなのですね。私もそのために確認しに来た次第です」

「しかし、無駄足かもしれないな。何もないことを確認しに来ただけになってしまった」

「最初からそのつもりだったのでは?」

「まあ、否定はできないな」


 ブラゴは会話の中で何もないことをセリスに伝えていたが、セリスはそれだけで満足できなかったようで、ブラゴと同じ確認をしていた。

 ブラゴがセリスのファンであれば、その様子をじっと眺めていたかもしれないが、ただの部下の様子を眺めておく気持ちになれなかったので、ブラゴはその場を立ち去ることにする。


 その間も頭の中を渦巻くのは、腫瘍が生み出す考えだ。ブラゴの胸の中を渦巻く不安が思考に侵食してきている。


(何も起きないといいのだが、何か嫌な予感がする)


 侵入者に魔術師が重なった瞬間から、ブラゴの中で消える気配のない気持ち悪さを忘れるために、ブラゴは祭りの中で果たすべきのことに思考を変えようと努力するのだった。



   ☆   ★   ☆   ★



 ネガとポジは良く怒られているが、決して働かないわけではない。ただ享楽的で、楽しいことを見つけると、すぐに心が奪われてしまうだけだ。

 その辺りはアスマと良く似ている部分であり、そのため、竜王祭はかなり前からずっと楽しみにしていた。


 定期的に休みは貰えていたが、そこで必要以上の出費はせずに、全てをここにかけるつもりで貯金をしてきたことで、二人の持つ財布はパンパンに膨らんでいる。


 後はただ祭りを楽しむのみと思ったら、二人のテンションは頂点に達しようとしていた。


 そういう銅像のように財布を掲げ、もう片方の手で頻りにハイタッチを繰り返している。口からは意味のない言葉が楽しい気持ちに押されて吐き出されている。

 それは不毛でしかない時間だったが、上がり切ったテンションの前では意味の有無など些末なことでしかなかった。


「お金はたっぷりある~」

「掃いて捨てるほどある~」

「これなら、いろいろ買い放題~」

「これなら、いろいろ食べ放題~」


 ハイタッチした手を繋いで、二人は同じ場所をクルクルと回り始める。

 通り過ぎる人達が不思議そうな顔で見ているが、上がり切ったテンションの前では周囲の目など些末なことでしかなかった。


「これぞ、正に祭り放題!!」

「ついに来たぞ、祭り放題!!」


 そう叫んだところで、水をかけられたように二人のテンションが下がり、ポケットに財布を突っ込んだ。その手を引っこ抜く時に、代わりに何かの紙を取り出している。

 そこには王都中の店の名前がいくつも書き並べられていた。二人の持つ紙に書かれている名前はそれぞれ違っていて、全て合わせるとその数は百にも及んでいる。


 ネガとポジは取り出した紙に目を落として、そこに書かれている名前を真剣に読み始めた。

 この瞬間、二人の祭りはようやく始まったのである。


「どこから回る?」

「食べ物系かな?」

「服も見たいよ。新しい服が欲しい」

「今日しか見れないものもあるから、それも見に行きたいよね」

「時間が足りるかな?」

「早く決めないと」


 ネガとポジは囁きながら、これからの予定を決めようとしていた。

 今日に至るまでに何度も話し合って、ようやく絞り込めたのが、この百ほどの店なのだ。

 後はアドリブで決めていくしかない。それも一秒も無駄にしない完璧なプランで決めなければいけない。


 二人はゴクリと唾を飲んだ。無用な緊張に襲われている。


「取り敢えず、歩こう」

「そうだね。歩きながら、考えよう」


 二人は紙を再びポケットに仕舞って、それぞれが気になる店の名前を上げ始めた。

 前回の休みの際には、祭りの際にも開いている店を回って、下見はある程度済ませてある。今日しかないものを求めるなら、どこが最適かも分かっている。


「よし、じゃあ、せーので最初の店を言おう」

「それがいいね。そうしよう」

『せーの…』


「少しいいかしら?」


 二人が声を揃えて、それぞれが思い浮かべる店の名前を言おうとしたところで、その声を遮るように声をかけられた。

 ネガとポジはスイッチを押されたみたいに同じ方向に目を向ける。


 そこには二人と同年代くらいの少女が立っていた。淡いピンクのドレスを身にまとい、優雅に微笑む姿はどこかの有名な貴族の娘という感じだ。


「あら、どうも」

「何かしら?」


 ネガとポジはそれまでの年相応どこから子供っぽい振る舞いをやめて、少女に引っ張られるように貴族色の挨拶をする。

 その豹変ぶりには面食らったようで、声をかけてきた少女は少しだけ笑顔を強張らせていた。


「その…ちょっとお願いがあるのだけれど」

「あら、お願い?」

「何かしら?」


 この辺りで察しの良い人は気づくかもしれないが、ネガは『あら』をつければいいと思っているし、ポジは『何かしら』以外の言葉を知らない。

 声をかけてきた少女もそのことに気づいたようで、くつくつと優雅さで蓋のできない笑みを零していた。


「実は初めてこの王都に来て、どこに何があるか分からないの。それでせっかくだから、案内して欲しくて」

「あら、それで私達に?」

「何かしら?」

「……今は『何かしら』じゃないと思うよ」

「え?そうだった?どうしよう?」

「『あら』をつけたら、大丈夫」

「あら、どうして?」


 小声で繰り広げられる双子会議は全て少女の耳に届いていた。隠し切れない襤褸が出始めたことで、少女の笑いも隠し切れないものになっている。


「その…ふっ…貴女達なら年も近いし、お願いできたら楽しそうだと思って…ふふっ…」

「あら、そうなの?」

「あら、分かったわ」


 根拠不明の絶対的な信頼感で『あら』を多用することで、ネガとポジは少女が醸し出しているものに負けない上品さを作り出すことに成功した、と少なくとも二人は思っていた。

 実際のところは笑っている少女から分かる通りに、上品さの欠片も表現できていないのだが、二人は『あら』を妄信しているので、そのような可能性には気づきもしない。


「あら、ところで、あら、私達の行きたい場所を、あら、中心に回っても、あら、いいかしら?」

「あら、前から、あら、回りたいところが、あら、たくさんあるのだけれど、あら、いいかしら?」


 ついに上品さを表現する言葉が合いの手になったところで、少女は笑いを隠すこともやめて笑い出していた。


「あら、どうしたのかしら?」

「あら、面白いことがあったのかしら?」

「いや…あの…何でもないの…気にしないで…」


 少女は息も絶え絶えという様子で、ネガとポジとの会話を必死に継続させようとしていた。

 このままでは、合いの手が原因の死亡事件が竜王祭の最中に発生することになってしまうが、そのような危惧をネガとポジがもちろんするわけもないので、合いの手は継続のまま、ネガとポジは首を傾げる。


「あら、それで、あら、いいのかしら?」

「あら、ダメなら、あら、案内は、あら、難しいのだけれど」

「いや…あの…大丈夫…大丈夫よ…」


 もう少しで少女の息の根を止められるところで、流石に少女の方が手を上げた。トレーニング途中の腹部を手で押さえながら、途切れ途切れの言葉を繋げて、二人に懇願する。


「その…あらというのを…やめてもらってもいい…普通の話し方でお願い…」

「あら、そうかしら?」

「あら、あらをやめていいかしら?」

「お願い…」


 ネガとポジは気づいていないが、少女は倒れないように立つのが精一杯のようだった。仮に倒れてしまえば、着ている淡いピンク色のドレスが黒色のドレスに変わることになる。

 その染色が行われる前に、ネガとポジは上品さを表現するための合いの手を捨てた。


「じゃあ、行こうか」

「案内するよ」


 そう言って、少女に手を伸ばしてから、二人は顔を見合わせた。


「そういえば、自己紹介がまだだった」

「名前を言ってないし、聞いていない」

「た、確かにそういえば…そうね」


 ようやく呼吸を整えた少女が身体を起こし、自分に手を向けてくるネガとポジを見てきた。


「私はソフィア。貴女達は?」

「私はネガ」

「私はポジ」

『よろしく』


 ネガの伸ばした左手とポジの伸ばした右手に向かって、ソフィアは両手を伸ばした。片手でそれぞれの手を掴んで、軽く微笑みながら首を傾げる。


「よろしく」

「じゃあ」

「行くよ」


 ネガとポジは言い切ると同時にソフィアの手を引っ張って走り出していた。

 その突然さに驚きながらも、ソフィアは転ばないように軽く走り出す。


「私はこの格好だから、走りづらいのだけど?」

「じゃあ、ゆっくりね」

「ゆっくりと急ぐからね」


 アスマと同年代の少女三人の祭りはこうして始まった。

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