一日目(2)

 世間の騒がしさと反比例して、王城で悩み続ける男がいた。

 現代最高の魔術師とも呼ばれるエルこと、エルシャダイだ。


 祭りの騒がしさが外から聞こえてくる中で、エルはまだ王城に居残り、そこで一人で悩み続けていた。悩みの種はその騒がしさだ。

 騒がしいことが問題なのではない。ことが問題なのだ。


 エルには一つの明確ながあった。それはに起因する弱点なのだが、その弱点があるが故にエルにはできないことが多くある。

 普段の王都程度の賑やかさなら問題ないが、祭りほどに人が集まって騒がしくなると、エルはその中に入ることができなくなる。


 例年であれば、エルはその騒がしさの中に入るために、数人で祭りに出ていた。一人では難しくても、数人であれば問題がなくなるからだ。

 しかし、今年はその輪の中に入りづらいがあった。


 エルは決して嫌いではない騒がしさの中に、今年は一度も入ることができないかもしれない。

 そう思うと、エルの身体をシロアリのように寂しさが巣くってきた。王城にはまだ賑やかさが残っていたが、その賑やかさもいつもより少なくて、それがより一層寂しさを浮き彫りにするようだ。

 溜め息はエルの肺の奥底から、寂しさを伴って生まれてくるようだった。息に含まれた冷たさは春の陽気には合わず、ここだけ孤立している気ばかりが強まっていく。


「あ、エルさん」


 かけられた声に反応して首を向けると、パロールとラングが立っていた。師弟仲良く、これから祭りに出かけるところのようだ。


「やあ、お二人さん。お出かけですか?」

「エルさん、何をしているんですか?お祭りに行かないんですか?」

「パロールちゃん。質問に質問で返すのはやめようか」

「ご、ごめんなさい。つい…」

「私達はこれから、祭りに出るところなのですが、エル殿は何をされているのですか?」

「俺はね。ちょっと悩み中」

「お祭りでどこを回るかですか?分かります」

「いや、そんな共感はいらないんだけど」


 あまりに前のめり過ぎるパロールのテンションに困惑しながら、エルはできるだけ真面目な雰囲気を着込んで語り始める。


「俺はね。人が多過ぎるところに一人で行けないんだよ」

「え?それはどうして…」


 ラングは既に気づいていたようだが、パロールは理由を聞きかけた途中で気づいたようで、口から出かけた言葉を慌てて飲み込んでいた。

 その勢いに喉が詰まらないか、エルは少し心配になりながら、自分の悩みの種を口から飛ばす。


「だからね。どうしようかなって思って。行かないのはやっぱり寂しいんだけどね」

「いつもはどうしてたんですか?」

「いつもはアスマ殿下達と一緒に回ってたんだよ」

「それなら、一緒に回ればいいんじゃないですか?」

「いや、でもね。があったから、どうにも一緒に居づらいんだよ」


 多くを語らずともラングとパロールなら、エルが何を言いたいかは察してくれるはずであり、実際にそうであった。一滴のインクを水に落としたように、じんわりと二人の表情に暗さが広がっていく。

 そのことがエルの胸に小さな痛みを落とした。


 本当なら、二人はこんな気持ちを味わわずに、今頃祭りの喧騒の中にいたはずだ。エルの存在はその楽しみの邪魔をしている。

 その事実がエルの胸を食う。


「ベルさんを気にするんですね」

「いや、ベル婆じゃないんだ。俺が一緒に居づらいのは君の方なんだよ」

「シドラス様?」

「あの日、俺はシドラス君とぶつかったんだ」

「ああ、そうか。あの日の二人はそれぞれのですね」

「そういうことなんだ」


 エルの浮かべた笑みは笑みと呼ぶには寂しい色をしていた。

 そのことが分かるほどに、笑ったエルを見るパロールの表情は悲しいものをしている。

 ずっと昔のパロールのを思い出させるとても悲しい表情だ。


「それでしたら、一度シドラス様と話してみるとよろしいですよ」

「え?」

「エル殿の気持ちは一方的なものです。そこにシドラス様の気持ちはありません」

「本当のシドラス君の気持ち?」

「そうです。本当の気持ちは本人に聞くまで分かりません。それなのに、エル殿はそこに壁を作って、その先を見ることをやめてしまっています。それはとても勿体ないことです」

「ラングさんはシドラス君が何も気にしてないから、そんなに深く悩むなって言いたいんだね?」

「そうです」

「本当にそうならいいんだけどね。でも、何だろ。ちょっと怖いな」


 エルは自分の内側を掻き回す恐怖の正体を知っていた。それは何度も味わったものであり、二ヶ月前に自分を襲った絶望と同じ顔をしているからだ。


「エルさん、今日は私達と一緒にお祭りを回りましょうか」

「え?急だね」

「そうして、次は殿下達と一緒に回ってください。シドラス様とちゃんと話してください。大丈夫です。ダメだったら、また私達と一緒に回りましょう」


 パロールは笑えるくらいに無邪気な笑顔でそう言った。

 その言葉の温もりがエルにとって、どれほど嬉しいものだったか言葉にすることもできない。


「ああ、そうだね。そうしようかな。あれだね。パロールちゃんは本当に歩き出したんだね」

「はい?私は元々歩けますよ?」

「それくらい気楽に俺もなりたいな」

「何か褒められてる気がしないんですけど」

「褒めてるよ。凄く羨ましいと思ってるくらいだから」


 納得いかないようで首を傾げるパロールを見て、エルとラングが小さく笑いながら、三人は揃って騒がしさの中に向かっていく。

 その途中、パロールが気になったようで、傾げていた首を立ててから聞いてきた。


「いつもは殿下達三人と一緒に回っていたんですか?」

「いや、殿下とその騎士二人にもう一人おまけがいたよ」

「それって…?」


 パロールは聞いてはいけないことを一瞬聞いてしまったように顔を歪めていたが、それを確認した直後にエルがかぶりを振る。


「ライト君だよ」

「え?ライト様?どうして、アスマ殿下と一緒に?」

「さあ?先輩の圧力を恐れているんじゃない?」


 エルは冗談めいた言葉を口にしながら、ふと三日前の出来事を思い出した。


(そういえば、ライト君の用事はどうなったんだろう?)


 そう思ったところで、ライトに確認する方法はなく、エルはすぐに思ったことすら忘れていた。



   ☆   ★   ☆   ★



 始まりは三日前だった。そこでアスラからベルへのプレゼントのことを聞かされたライトは正直、このギリギリの時期に言うことなのかと思っていた。

 もっと早くに言ってくれたら、もっと考える時間があったのに、この三日前のタイミングで言うのかと心の中で何度も言葉にした。

 それもアスラの若さ故の過ちと思い、ライトは必死に言葉を心の中に縛りつけていたが、そう思ってしまうほどに、ベルへのプレゼント探しは難航した。


 そもそも、ベルという人物が難解過ぎる。

 ライトの知っている情報だけでも、ベルを一つの言葉で表せないのに、そこに内情が加わって考えなければならないとなると、その難解さは筆舌に尽くしがたい。

 仮にベルの心の全てを解き明かすことができたのなら、解明した人物は世界中の国から大金を貰うことが許されるだろう。

 ベルの心は世紀の難問と肩を並べるくらいに答えが見つからないものなのだ。


 そんなベルへのプレゼントとなると、その難解さに一石を投じるものではなくてはならない。

 ベルが受け取って簡素な礼の言葉で終わってしまっては、アスラがライトに向けた期待を裏切ることになってしまう。


 その思いだけで三日を費やし、ライトはを導き出しかけていた。

 そのとなったのが、セリスとパロールの話だ。


 セリスの話でプレゼントの付加価値という新たな概念に気づき、パロールの話でライトの知らないベルを知ることができた。

 それはライトに確かな方向性くらいは与えてくれていた。


 いよいよ、物を用意するところまで、それによって踏み込むことができる。

 そう思ったライトは一足早く、王都の街中に繰り出していた。

 もちろん、アスラには許可を取っており、ウィリアムも納得はしていないようだったが、ライトを放置してくれた。


 問題は決まった方向性の中で、プレゼントをどの店で用意するかというところだった。竜王祭初日の王都はどの店も盛大に売り出し中であり、方向性が決まったところで特定の物を探すのは骨が折れる。

 できれば、そこまで練り歩かずとも、ベルへのプレゼントに相応しいものが見つかってくれると嬉しい。


 そう思ってライトは街中を歩いていたのだが、そこまでうまい話があるわけがなかった。プレゼントに相応しいものは見つからず、貴重な祭りの初日を浪費するばかりだ。

 急いで見つけないといけないと思った時に、ライトの目に入ってきたのは、プレゼント候補でも何でもなく、知り合いのカフェ店主だった。


「ああ、マスター」

「ん?ライト様か」

「こんなところで何しているんですか?」

「ただいま、自警団として待機中ですよ」

「ああ、自警団に入ったんですね」

「そう。それで、ライト様は?アスラ殿下の護衛はどうしたんですか?」


 ライトを見下ろすグインの瞳は子供の悪戯を咎める目だった。直接的に言ってこないが、アスラの護衛が騎士としての仕事のはずなのに、どうしてこんなところで油を売っているのだと聞きたいはずだ。

 それについては、ライトの確かな言い分があった。


「詳細は言えないけど、その殿下からの頼みで行動中なんですよ。ちょっと探し物を探しているところ」

「ほお~、そうなのか~」


 どうやら、グインからの信頼はあまりないようで、ライトはまだ疑いの目を向けられていた。

 ライトとしても、信頼よりも疑いを勝ち得る素行の悪さだと自覚しているので、その目も甘んじて受けることにする。


「まあ、ただ探し物も見つかるかどうか、まだ分からないんですけどね」

「見つけにくいものなんですか?」

「というよりも、見つけたと思いにくいものなんですよ」

「急に難問だな」

「こっちの方が難問ですよ」


 ライトが自虐気味に笑ったことで、ようやくグインは信じてくれたようだった。小さな溜め息らしき息を吐き、呆れの混ざった笑みを浮かべている。


「まあ、頑張れよ」


 グインは予告をするように、ライトの背中に手を当ててから、勢い良く打ちつけてくる。

 その衝撃はライトの肺の中の空気を一気に吐き出させるほどで、ライトは事前の告知があったとはいえ、そのような行動に出てきたグインは小さく睨んでしまった。


「ちょっと…痛いんですけど!?」

「まあ、そんなに怒らないでくださいよ。俺なりの応援です」

「応援って…まあ、そう思っときますよ」

「探し物が見つかるといいですね」

「そうですね。そう願っています」


 ライトは嘘偽りなく、心の底からが見つかることを願っていた。


 何故なら、見つからないとからだ。


(早く終わらせよう)


 ライトは心の底から願っていた。

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