前々日(10)
グインが思っている通り、ベネオラは賢い子であり、基本的に何か粗相をすることはないのだが、この時は違っていた。グインの願いとは反して、ベネオラはベル達に迷惑をかけている最中だった。
ようやくベルが紅茶を飲み終え、カップを机に置いた瞬間、そこにスイッチでもあったようにベネオラが反応した。その反応にベルは顔を歪めてしまう。
(しまった…)
そう思った瞬間には遅く、ベネオラがベルに詰め寄ってきていた。
「おかわり、どうですか!?」
その一言に込められたベネオラの威圧感に、ベルが助けを求めるようにアスマ達に目を向けるが、既にベネオラの攻撃を受けたアスマ達は、露骨に目を合わせようとしなかった。それもアスマとオーランドだけでなく、アサゴまで合わせる気配がない。
そのことにベルが苛立ったところで、ベネオラの追い打ちがやってきた。
「遠慮しなくていいですよ!?何杯でも淹れますからね!?」
「いや、私もおかわりはいいかなぁ。そういう気分じゃないし」
正直な気持ちをそのまま言葉にすると、ベネオラの淹れた紅茶は特別不味いわけではないが、何杯も飲むほど美味しい物でもないというところなのだが、それをそのままベネオラに伝えることほどに酷なことはないので、ベルはできるだけマイルドな言い方で断ろうとする。
既にアスマ達三人も同じような内容で断っているので、ベルはそれだけで断れると思っていたのだが、何故かここに来て、ベネオラが脅威の粘りを見せてきた。
「そこを何とかどうですか!?」
「何で急に食い下がるんだ!?」
「一杯だけじゃ物足りないことないですか!?」
「いや、大丈夫だから。今は問題ないから、食い下がらないでくれ」
「そんな…私、まだ一杯ずつしか淹れてないんですよ?これじゃ、まるで私ができない子みたいじゃないですか…」
実際にできない子だったのだが、その言葉は飲み込んで、ベルは落ち込み始めたベネオラを励ますことにする。
「大丈夫だ。ベネオラはそれ以外がちゃんとできるから」
「それじゃ、やっぱり私のコーヒーや紅茶はうまくなかったってことですか!?」
「あっ」
自分自身の失言にベルが思わず零した言葉を聞いて、アスマが堪らず吹き出したので、ベルは苛立ちをそのままテーブルの下で、蹴りという形で食らわせることにした。
「痛っ!?」
「どうしたんですか?」
唐突に叫んだアスマをアサゴが驚いた顔で見ている隣で、ベネオラの執拗な視線による追及を受けていたベルだったが、そこでタイミング良く、救世主が店に現れた。
「ただいまー」
そう低い声を響かせながら、グインが店の中に入ってきた。両手一杯に荷物を持っているため、扉を開けられないようで、身体で扉を押しながら入ってきている。その姿にホッとしたのはベルだけではないようだった。
「グイン、おかえり~」
「マスター、ちょうど良かった。そろそろ、おかわりを頼もうと思っていたタイミングだったんだ」
「そうだね。俺もおかわりを頼むよ」
そう言って、帰ってきたばかりのグインに向かって、アスマとオーランドがカップを見せている。その姿にグインが苦笑を浮かべている中で、ベネオラはショックを受けた顔をしていた。
「やっぱり、お父さんを待っていたんだ…」
「ベネオラ。やっぱり、私もおかわりを貰おうかな。淹れてくれるか?」
流石にその表情を見ていると可哀相に思えてきて、ベルはついそう頼んでいた。ベネオラは途端に笑顔になって、グインが買ってきた物を整理してから、ベルのために紅茶を淹れると張り切り始める。
その姿にベルが少し後悔し始めたところで、アサゴが固まっていることに気づいた。その視線の先にはグインがいて、そういえば何も教えていなかったとベルは思い出す。
「驚いたか?」
ベルがアサゴにそう聞いたことで、アスマとオーランドもアサゴの様子に気づいたようだった。自分達が作り出した状況に、ニンマリとした笑みを浮かべている。
「想像よりも大きくて、想像よりも毛深いんですけど…?」
「だと思う」
「え?あの人って、あれですよね?獣人って奴ですよね?」
「ああ、そうだ。グインは獣人だ」
「亜人の一つの獣人ですよね?」
「ああ、そうだ。その獣人だ」
獣人のように一般的な人間と身体の構造が違う人種のことを総称して亜人と呼ぶ。それくらいの知識は誰でも持っているが、実際に亜人を見たことのある人となると、様々な人種の住むこの国においても、かなり少なくなる。
それはどの亜人も、一般的な人間と比べると圧倒的に数が少なく、それぞれの亜人でコミュニティーを形成していることが多いからだ。人間社会の中で暮らしている亜人となると、ほとんどおらず、グインはかなり珍しいパターンと言える。
だから、アサゴがグインを見て驚くのも当然だ、と言いたいところだが、もちろん驚きの理由がそこではないことは分かっている。
アサゴの次の言葉がその本当の理由を語っていた。
「お父さんって言ってましたよね?」
アサゴが指差す方向で、グインが買ってきた物をベネオラと一緒に仕舞っている。その姿は本当に仲のいい親子だが、その見た目は似ても似つかないものだ。もちろん、血が繋がっているようには見えない。
「ベネオラは養子だ。十六年前にまだ赤子のベネオラをグインが拾ったらしい」
「養子?それじゃ、血が繋がっているわけでは…」
「そう見えるか?」
「見えないですね」
グインとベネオラの関係については納得がいったようだったが、獣人自体は珍しいので、アサゴはじっとグインを見つめ始めていた。二ヶ月程前にベルも似たような反応をしていたので、その様子に懐かしさを覚えてしまう。
「いらっしゃい」
しばらくして、グインがアスマとオーランドのおかわりコーヒーを持って、テーブル近くまでやってきた。目の前に来ても、アサゴはグインをじっと見ている。
「すみませんね。ベネオラは何かやらかしませんでしたか?」
「まあ、大体あんな感じだったよね?」
オーランドが指差す先では、ベネオラがベルの頼んだ紅茶を淹れようと奮闘している。その手つきはやはり覚束なくて、少し零しているようにも見える。
「ああー、もうちょっとできるだろうと思っていたんですけどね」
そう言いながら、小さく笑うグインの表情はやはり父親のそれと同じだった。血の繋がりこそないが、その関係性は非常に深く、ベルはそのことが羨ましかった。
「でも、珍しいね。グインが店を空けるなんて」
「普段はそうならないように気をつけているんだが、今日はちょっと失敗してしまったよ」
「何かあったのか?」
「あー、いや、何でもないんですよ。ちょっとしたことなんで」
グインは少し頭を掻きながら、ベルにそう言ったところで、ようやく自分を見つめるアサゴの存在に気づいたようだった。
「初めて見る顔だけど、この人は?」
「殿下の財布の恩人らしいよ」
「落とした財布を拾ってくれた人だ」
「危ないな。殿下は立場的にもうちょっと気をつけないと」
「本当にその通りです…ごめんなさい…」
しょんぼりとしたアスマの隣で、グインがアサゴと顔を見合わせた。それから、小さく会釈をする。
「初めまして、店主のグインです」
「あ、はい。初めまして、アサゴです」
軽く頭を下げながらも、ついグインの身体を見てしまっているアサゴの様子に、グインは笑い始めた。
「そんなに気になりますか?」
「す、すみません。こんなに見られると気分が悪いですよね」
「いや、見られること自体は慣れているから問題ないですよ。獣人は珍しいですからね」
「獣人もそうですけど、僕、亜人を見るのも初めてだったので」
アサゴがそう言った瞬間、ベルを始めとする他の四人はぽかんとしてしまった。ようやく紅茶を淹れ終えたらしいベネオラが、その間に紅茶をテーブルまで運んでくる。
「どうしたんですか?何か悪いことを言いましたか?」
アサゴが戸惑っている隣で、オーランドは納得した顔をしていた。
「そういえば、一度も言ってないよ」
「え?俺、言わなかった?」
「言ってないな。私も忘れていた」
「何の話をしているんですか?」
「亜人なら、ずっと目の前にいたって話だ」
「え?」
「私は小人だ」
「ええ!?そうなんですか!?」
アサゴは大きく目を見開いて、ベルの全身をまじまじと見てきた。こうやって見られると何とも小恥ずかしくて、ベルの顔はつい赤くなってしまう。
「ベルさん、かなり小さいのに不思議に思わなかったの?」
「いや、確かに小さな子が働いているなんて、大変なんだなとは思いましたけど、そういうこともあるのかと思っていました」
「普通はないだろ?」
「ああ、やっぱりそうなんですよね。それじゃ、ベルさんはおいくつなんですか?」
「年を聞くのか?」
「あっ!?ごめんなさい!!」
女性に年齢を聞く失礼さに、アサゴは聞いてから気づいたようで、必死に頭を下げてベルに謝っていた。
しかし、小人は総じて見た目から年齢が把握しづらい。十代前半で生育が止まり、二十代半ばくらいまで見た目はほとんど変わらず、三十代の間で死んでいく短命な種族だ。年齢を聞かれることに抵抗はなく、さっきの一言もアサゴを揶揄おうと思って発した一言だった。
そのため、ベルはアサゴがそこまで謝ってきたことに、逆に罪悪感を覚えてしまう。
「いや、いいんだ。聞かれ慣れているから、そんなに気にしないでくれ」
そう言って、アサゴに頭を下げることをやめさせてから、空気を変えるために小さく咳をした。
「この身体で二十二歳だ」
「と、年上だったんですね」
そう驚いてから、アサゴが次に言った一言がベルの動きを止めさせることになる。
「どうして、王都に来たんですか?」
カップを口に運ぼうとした瞬間のまま止まり、ベルは小さくアサゴを見る。ベルは特にその視線を意識したわけではなかったのだが、アサゴが戸惑った顔をしたから、もしかしたら睨んだように見えたのかもしれない。
「ベル…?」
アスマも心配するようにそう声をかけてきて、ベルはできるだけ平常心を装いながら、小さく答えた。
「大丈夫だ。いろいろとあったから、とだけ言っておく」
それから、ようやく啜った紅茶は最初の一杯よりも不味くなっており、ベルは一口でカップを置いた。
「グイン」
「どうしました?」
「ベネオラに才能はない」
「どういう意味ですか!?」
ベネオラにコーヒーや紅茶を淹れさせてはいけない。それが祭り二日前に判明した新たな事実だった。
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