姉は、コロナに殺されました。

枕木きのこ

遺書 ——『ダ・ヴィンチ』2020年9月号より抜粋

 以下の文章は、『ダ・ヴィンチ』2020年9月号に掲載された、一般の方からの投書を一部抜粋したものである。

 私はこの文章にひどく心を動かされ、そして多くの方にこれを読んでもらいたいと思い、『ダ・ヴィンチ』編集部および、それを経由し投稿者本人より許諾をいただいたためにここに転載することが叶った。

 これは当時紙面にも載ったことであるが、初めて読む方もいると思われるため、予めいくつかの注意を書かせていただく。


 ①この文章は、個人や団体を批判するものではない。

 ②また、特定の状態に関して揶揄する意味合いや、教唆するものではない。

 ③人物の特定を投稿者は望んでいない。

 ④しかし、「姉」の残した言葉の意味を、紐解いてほしい。


 以上の注意文を前置きとして改めて据えることは、ここへの転載の際における条件でもある。どうか理解されたうえで、読み進めてほしい。


 ♢


 私の姉が亡くなりました。6月に誕生日を迎えたばかりの、24歳でした。

 姉は、コロナに殺されました。


 2020年に入って猛威を振るった新型ウイルスに対して、4月には「緊急事態宣言」が発令され、世の中が事態の深刻さにようやく青ざめていったのも記憶に新しいことでしょう。

 それに至るまでに、日本に限らず、多くの国々で、たくさんの方が亡くなりました。年齢も、性別も、有名か無名かも問わず、様々な人がコロナに罹りました。

 しかしそれでも、私や、私の姉、友人、あるいは見ず知らずの人たちは、危機感を持つことができず、「自分だけは大丈夫」「若いから問題ない」とどこかで過信して、マスクこそすれ、本質的に身を守るような行動を取ってはいませんでした。


 (中略)


 姉から電話があったのは、先月末のことです。

 インスタグラムやツイッターを見ていて、彼女が相変わらず活発に行動をしている様子は知っていましたから、私を呼ぶその声を聴いたときにはひどく驚きました。

 弱弱しく、かすれていて、まるで生気を感じられなかったのです。

 私は姉を心配しいくつかの声を掛けましたが、彼女は何も返事をすることはなく、しばらくすると泣き出してしまいました。

 昔から姉弟二人きり、多くの経験をともに乗り越えてきました。一般的に言って、仲のいい姉弟だったと思います。幼い時分に母を亡くした時も、私たちは互いを抱きしめて寂しさを埋めました。それから、男手ひとつで育てられる中協力して家事を行ったのも、今や懐かしく微笑ましい思い出です。

 ですから、私は彼女の泣き声を、それこそ、どこか懐かしいように感じながらも、黙って聴いていました。

 やがて泣き止んだ彼女は、ポツリと、

「罹った」

 と言いました。もちろん、何をとは問いませんでした。世の中は快方に向かいつつも、決して依然収束の見えない渦の中です。今、泣きながら、私に対してその電話をしてくるということは、一にも二にも、それしかないだろうとすぐに行き着いてしまったのです。

 なるべく語気の強まらぬよう、私は彼女に問いかけました。すると詳細に言えば、彼女は「罹った」のではなく「罹ったかもしれない」という状態でした。

 医療機関が十全に回っていないのは、皆さんも理解しているところでしょう。「いかにもそれらしい」という症状がない限りは、病院ではまともな検査も受けられません。また、彼女はなるべく金銭的な面を抑えたいと、余計なことを考えてしまったのです。ですから彼女は、簡易キットを用いて自己診断を下したようだったのです。

「罹ったかもしれない」という状態ではあるものの、彼女はすでにひどく憔悴しているようでした。ようやく実家を出ることができ、恋人とも順調に進んでいるとは、先日連絡を取った際に聞いていました。結婚を考えて彼の実家にも行った、と報告を受けたのも、記憶に新しい話です。そういった幸せから、月並みに言って転落してしまったわけですから、彼女の悲しみは計り知れません。

 彼の家には、ほとんど寝たきりの祖母がいたそうです。持病を患って、一日のほとんどをベッドで過ごす祖母への挨拶も、当然済ませていました。嬉しそうに破顔する祖母と、長く話し込んだとも、私は聞いていました。

「潜伏期間を逆算すると」

 と、姉がそこまで言って、大体のことを理解しました。理解してしまったのです。私と姉は、私が実家を出てからはもう会うことはあまりありませんでしたが、彼女は、夫となり得る男性の家族へ感染させてしまったかもしれないと、その恐怖に怯えているのが、そこでようやく理解できたのです。

 彼とはしばらく連絡が取れていないと続きました。


 (中略)


 姉の訃報を聞いたのは、今、この文章を書いている前日のことです。

 突然の電話でK県警に向かうと、対面した姉の姿は、まるで姉には見えないものでした。損傷が激しく、四肢こそ揃ってはいましたが、とてもあの、美しかった姉には思えませんでした。

 父も同席していましたが、彼もひどく驚いたような顔をして、言葉も、涙もなく、私の隣で膝をつきました。遺体は河原で発見されたらしく、死因は溺死。自殺と推定され、解剖はされないまま、父が引き取りました。

 私は昨日のうちに姉の住んでいたアパートの一室に荷物整理に向かわされ、そこで、以下のような「遺書」を発見し、それによって今、こうしてノートPCに向かいキーボードを打っているのです。

「遺書」が書かれていたのは、姉が昔から大好きだった「ポムポムプリン」のイラストが描かれた、小さなかわいい便せんでした。


 死地は綿 転んだら血が煮えん 死が成さん


 イラストとの不釣り合いさや、文章の不気味さこそありましたが、私はそれを見て、ぼろぼろと泣き出してしまったのです。

 コロナさえなければ。物事がきちんと順番通りに——症状に応じて病院に行き、きちんと検査を受け、彼の家族と会うことを止めていれば。

 そう考えてしまうと、姉の不幸を嘆かずには居られなかったのです。

 彼女はやっとのことで掴んだ幸せさえ取りこぼしてしまうほど、小さく、弱く、可哀想な人だった——。

 だから私は、自分勝手を十分に理解したうえで、この文章をとある出版社に送り付けることにしたのです。

 世の多くの人間に知らしめるために。

 小さくか弱い彼女の存在を。

 隠れて生きてきた私が、世界へと発信するのです。


 ♢


 結末ではないが、抜粋はここまでにさせていただく。

 私は投稿者の姉が残したと言う「遺書」について思いを馳せるたび、その中に隠された彼女の悲痛な叫びを聴き取ってしまうようで、——一方でそれが、彼女と言う存在そのものなのだと思うと、得も言われぬ気持ちが心中を満たし、胸を掻きむしりたくなってしまう。


 世界は美しい。それは間違いがないだろう。

 しかし美しく見えるものにこそ隠れた一面があることを、我々は忘れてはいけない。

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