第42話

 真昼の家は、月夜の家からほど近い場所にある。だから、降りる駅はいつもと同じだ。電車を降りて、駅舎の外に出てから、右に曲がるか、左に曲がるか、で、目的地が変わる。真昼の家に向かうから、月夜は右に曲がった。駅前は閑散としていて、人の姿はない。バスターミナルにもバスは停まっていなかった。まるで、世紀末を迎えた地球に、一人だけ取り残されたような気持ちになる。空は曇っていて、雪が降ってきそうだった。十二月に差しかかっているから、降雪があっても不思議ではない。彼女は、まだマフラーを巻いていなかった。


 寂れた道を一人で歩く。


 すぐに、真昼の家に到着した。


 インターフォンを押すと、高い女性の声が聞こえた。それを耳にして、月夜は多少驚いたが、真昼の母親だろうとすぐに分かった。身分を名乗ると、分かりました、という声が聞こえて、通話は切れた。


 玄関の扉が開く。


 真昼の母親は、この時間に、この場所に、月夜がいることに対して、なんの疑問も口にしなかった。きっと、そういう人間なのだろう。普段から家にいないみたいだし、きっと、特別な才能を持ち合わせているに違いない。学校に通う、ということが、如何に馬鹿馬鹿しくて、不必要なことであるかを、彼女は理解しているのだろう。


 階段を上って、真昼の部屋に向かうように言われる。真昼の母親は、にこにこ笑って、月夜を見送ってくれた。その間、月夜は終始無表情だったが、母親がそれを気にする素振りを見せることはなかった。


 真昼が、両親に、自分のことを話したのかもしれない、と月夜は考える。


 それは……。


 そう考えると、少しだけ嬉しかった。


 ドアを開けると、ベッドの上で、真昼が横になっているのが見えた。


 入り口の付近に気配を感じて、真昼がゆっくりとこちらを向く。彼は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐにいつも通りの笑顔になって、やあ、と掠れた声を出した。


「まさか、来るとは思っていなかったな」真昼が話す。


 月夜は、後ろ手にドアを閉めて、彼の方に近づいた。


「テストは、どうしたの?」


「さぼった」ベッドの傍にある椅子に座って、月夜は答える。おそらく、真昼がいつも勉強する際に使っている椅子だろう。


「そんなことして、いいの? 君は、いつも、あんなに、勉強を頑張っていたじゃないか」


「頑張っては、いない」


「平均以上には、頑張っていると思うよ」真昼は言った。「まあ、僕の考える平均なんて、全然当てにならないけど」


 真昼は、薄手のパジャマを着て、額に冷却シートを貼っていた。熱があるのだろう。熱がある、というのは、平常時に比べると、体温が高い、という意味を示す。熱がないものはない。


「大丈夫?」月夜は尋ねた。


「え? ああ、うん……。ちょっと、頭がぼんやりしていて、君の顔がよく見えない」


「どうして、風邪を引いたの?」


「うーん、どうしてかな……。あ、もしかすると、恋の病かもしれないね。急に引っ越すことになって、君に会えなくなる、と思ったから、そのストレスに耐えられなくなって、体調を崩したのかもしれない」


「私も、そうだと思った」


「え、それ、本気?」


「私に、会えなくなるわけじゃないよ」月夜は話す。「いつでも、会えるよ」


「うん、そうだけど……。……距離ほど、人間にとって障害になるものは、ないんだ」


「携帯の、電話や、メッセージで、ある程度は解消できる」


「君は、いつでも合理的だね」真昼は笑った。「羨ましいよ。僕には、そんな能力は、まったくないから……」


「話していて、平気?」


「まあ、まだ、大丈夫そう」


「まだ、というのは?」


「これから、悪化する可能性がある、ということ」


「その可能性は、どのくらい?」


「今は、数値計算ができるようなキャパシティーは、残されていないんだ」


「分かった」


「試験で、単位が取れなかったら、留年じゃないの?」


「今までの分があるから、大丈夫」


「なるほど。予め計算済みなんだね」


「計算は、大事」


「うん、まあね」


「まあ、というのは?」


「一度唇を合わせてから口を開けて、そのまま、続けて、喉から声を出す、という発音」


 沈黙。


 どうやら、思っていた以上に真昼は元気そうだ、と月夜は思った。

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