第20話

「ところでさ、君は、僕の家に来たいと思ったことはない?」


 真昼の問いを受けて、月夜は黙って彼の顔を見る。


「あるよ」


「じゃあ、今度、来てみない?」


「それは、来てほしい、ということ?」


「そうだよ」


「うん、分かった。じゃあ、行く」


「よかった。いやあ、これで、楽しみがまた一つ増えたなあ」


「また一つ、ということは、ほかにも何か楽しみがあるの?」


「あるよ、沢山ね」


「たとえば、どんなこと?」


「興味があるの?」


「訊いてほしいのかな、と思って」


「そうだ。訊いてほしい」真昼は頷く。「たとえば、君と会ったり、君と話したり、君と歩いたり、といったことが、楽しみ、の例かな」


「全部、私が関わっているんだね」


「そうさ。僕は、君とともにあるんだ」


「なんだか、どこかで、聞いたことがあるような台詞だけど」


「そう? 僕は知らないな」


「知る、というのは、どういう意味だと思う?」


「君さ、今日はやけに喋るね。何かあったの?」


「何か、というのは?」


「いいこととか、ハッピーなこととか」


「いいと、ハッピーの違いは、何?」


「漠然としているか、それなりに確固としているか、じゃないかな」


「いいことは、あった。君に、サンドウィッチを食べてもらったこと。ハッピーなことは、なかった」


「知るというのは、情報を得る、ということだよね、たぶん」真昼は、先ほどの月夜の質問に答える。「でも、この動詞が示す範囲を考えるのは、ちょっと難しい。知る、じゃなくて、知っている、だとさらに難しいね。たとえば、知らない英単語を初めて見て、意味を理解しても、それだけでは、知っている、とはいえない。たった今目にして理解したから、たしかに、さっきと比べて、今は知っている、とはいえるかもしれないけど、でも、それでは、知っていることにはならない。その情報が頭に定着して、恒常的に意味も理解できていなければ、知っている、とはいえないんじゃないかな、と僕は思うよ」


「うん、私も、そう思う」


「よかった、意見が一致して」


「どうして、よかったの?」


「意見が一致すると、それなりに嬉しいものだよ、人って」


「そうかな」


「君は嬉しくないの?」


「嬉しいよ」


「じゃあ、それでいいじゃないか」


「うん、いいよ」


「君は、けっこう、素直というか、純粋というか、単純だよね」


「単純が、いくつも合わさって、複雑になるから、その言い方は、間違えではないと思う」


「では、君は、自分は複雑だ、と認識しているの?」


「うん、そうかも」


「それは、いいことかもしれないね」


「どうして?」


「さあ、どうしてだろう」


「でも、君が、いい、と感じたのなら、それは、私にとっても、いい、と思う」


「うん、如何にも君が言いそうな台詞だ」


「私が言ったんだから、私らしくて、当たり前だと思うよ」


「本当に、そう思うの?」


「ううん、違う」月夜は首を振った。「ごめんね。適当に言った」


「謝らなくていいよ」


「でも、失礼だな、と思って」


「失礼でも、いいんだよ」真昼は話す。「親しき中には、礼儀なし、だから」


「それって、本当に、そんな諺があるの?」


「いや、たぶんないと思う」


「たぶん、というのは、どれくらい?」


「それ、言うと思ったよ」


 道が急に開けて、目の前に広場が出現した。巨大な噴水が中心にあって、今も水を吐き出している。月夜も、真昼も、その場で同時に足を止めて、流れ続ける水を観察した。いや、どちらかが足を止めたから、それに伴って、もう一方も歩くのをやめたのかもしれない。


 夜空を映す水面は、綺麗だった。


 それは、エネルギーの消費が抑えられているから、ではない。


 月夜は、直感的に、そう思った。


「ねえ、月夜。僕と一緒に、人生を攻略しない?」


 彼女が黙っていると、真昼が唐突にそんなことを言った。


「えっと、それは、どういう意味?」


「うん、つまりね」真昼は人差し指を立てる。「僕と結婚してくれないかな、という意味なんだ」


 月夜は、彼の目を見て、それから、一度、瞬きをする。


「私は、結婚できる年だけど、君は、まだ、結婚できる年ではない」月夜は、真顔で答えた。「だから、できません」


「君さ、僕が、今、どれくらいの度胸が必要だったか、分かる?」


「表現する単位が不明で、私は君じゃないから、分からない」


 真昼は月夜を抱きしめた。


「……何?」月夜は尋ねる。


「コート、返して」真昼は言った。

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