1264円の本
池田蕉陽
1264円の本
「なんで万引きしたん?」
つい三分前、パートの人が万引き犯を捕まえたと言って書店のスタッフルームに連れてきた。今そこで、学生服を着た少年が俯いて座っている。正面に座る店長の男からでは、少年の顔色は伺えない。自らの過ちに、何て馬鹿なことをしたのだろうと悔いているのかもしれない。もうしばらく床屋に行ってないであろう乱れた髪からは、ろくな家庭環境ではないなと男は了察した。
「なあ、そこ答えてくれな分からんやん」
口を開こうとしない少年に男は追い打ちをかける。
「……ださい……」
「え?」
「親にだけは……言わないでください……」
質問の答えになってないと言う代わりに男は溜息をついた。
「んーでも親御さんに連絡はせざるを得ないよ?」
「お願いしますお願いします……見逃してください」
「ええ加減にせえよ。まだこっち謝ってすらもらってないねんで? それやのに、なになにしてくださいやらなんやら、どういうつもりなん?」
「すみません……」
少年の声が一層小さくなった。心做しか今の一瞬で身体までもが萎縮してしまったような気がした。
「もうとりあえず盗んだ本だして」
男は呆れ様で机に乗ったリュックサックを顎でしゃくった。鞄の表側に『MARVEL』と表記されてある。これがアメリカ合衆国の漫画出版社を示していることは今年48歳を迎える男でも分かった。
少年はそのリュックを開け、中から一冊の本を取り出した。無論、万引きした本だ。
男はそれを受け取ると、その本のタイトルを目で追った。しかし、それは無意識に口から零れていた。
「100%成功する……人を呪い殺す方法……これで、あなたが恨む人はこの世から葬られ、平和な人生が待ってることでしょう……」
「あの、お願いします……やっぱり親にだけは言わないでください。お金ならあるだけ払います。ですから……」
「んー、まああれやな、君万引きは初めてなん?」
「え、あ、はい」
「そっかそっか、えーっと……急にこんなこと聞くのおかしいかもしれんけど、君はニュースとかでたまに見る殺人事件についてどう思う?」
「え?」と少年は顔を上げ、きょとんとした。
「動機は怨恨として考えて」
「え、なんでそんなこと聞くんですか?」
「いやあの、その君の答えによって、俺の出方も変わってくんのよ」
はぁ、と少年は納得がいかないと首を傾げみせたが、やがて男の質問に答えた。
「まあ僕は殺す以前に、加害者に恨まれるようなことした被害者に問題があると思いますけどね。そういう意味では、加害者と被害者は逆ですよ」
少年は宛転と喋った。そこから強い意思が感じられるようだった。
「ふーん、まあ確かにな。うんうん」
「えっと、これと今回の問題なにが関係してるんですか?」
「あ、ごめんごめん聞いただけ。せやな、まあ万引きまだ1回しかしてないんやったらな〜、まあこれから人生も長いやろうし、この1回のミスでな、なんか世間に変な目で見られるってのは酷な話やし、まあ……今回だけやで?」
「え、いいんですか!?」
「おん、今回だけやで? 次からは注意しいや」
「はい! あの、この本の分のお金払います」
「あ、いらんいらん。もってき。俺払っとくわ」
「え、何でですか!? そんなことして大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫。命より大切なもんなんてないから」
「あ、ありがとうございます!」
「何ならブックカバーつけたろか?」
「え?」
「そんなもん読まれてるのバレたら修学旅行の班決めでハブられんで?」
「確かにそうですね。じゃあお願いします!」
「よっしゃ任せとき」
そうして、男は最高のもてなしで少年を帰した。男は1264円の損失で命が助かったと安堵したのであった。
1264円の本 池田蕉陽 @haruya5370
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