明石に嫌われている。
山戸 良治
明石に嫌われている。
旧校舎三階にある図書室からは、放課後のグラウンドがよく見えた。開けた窓の向こう側。陸上部やサッカー部の群は右へ左へと駆けていき、彼らから伸びた長い影は、下校時刻が近いことを知らせているようだった。
僕はわざとらしく大きな伸びをして、ずっと28ページを開いたままにしていた『地球の歴史図鑑』を畳んだ。その本はカラー写真が多くて、文字が少なくて、僕がここにいる口実でしかないけれど、それだけで十分だった。表紙に描かれた褐色の恐竜から目を反らし、貸出カウンターに座る明石伊織さんの方をこっそり盗み見る。彼女は、セミロングの黒髪を耳にかけて、今日も黄色い表紙の文庫本を読みふけっていた。
彼女は、図書委員にしては珍しく……というと失礼かもしれないけれど、とても快活で人当たりがよく、実際、交友関係も僕とは比べ物にならないほど広い。誰かが訪れるたびに、「あ、朱里ちゃん! この前貸した小説どうだった? え、もう読んでくれたの!」とか「今度こそはちゃんと返却日を守ってくださいね、タ・カ・ヒ・ロ君!」って、本当に誰でも、女子でも男子でも、後輩でも先輩でも気さくに声をかけるし、そのほとんどの人の名前を憶えているみたいだった。「静粛に」と張り紙がされた図書室内で、一番騒がしくしていたのは間違いなく彼女だったけれども、みんながその和やかな雰囲気を快く思い、彼女を目当てに放課後の図書室へ通う男子も少なくない。
そして、僕も例に漏れず、その一人だ。
僕は人付き合いを避けるタイプの人間で、この性格のせいで疎まれることもあるくらいだから、彼女の社交性は素直に尊敬する、憧れの対象だった。彼女の朗らかな様子を見ていると気持ちがいいし、変な言い方かもしれないけれど、僕が声をかけても「許される」気がしたんだ。それで、その勘違いに甘えて、彼女に話を振ったのは、先日の閉室間近のことだった。
「え、これですか? 森絵都っていう私の好きな作家さんで、家から持ち込んで読んでいるんです。ちょっと待ってくださいね……。あー、図書室にある分は、今、貸し出し中みたいですね。予約しましょうか?」
話題にしやすいと思って、彼女がいつも読んでいる小説について聞いてみたけれど、読書経験が皆無の僕にはむしろ失敗だったかもしれない。返事に詰まった僕は、そそくさと退散してしまう。
グラウンドのスピーカーから下校時刻を知らす放送が流れ、僕の意識もほろ苦い失敗の回想から帰ってきた。ため息とともに席を立ち去り、背伸びして『地球の歴史図鑑』を書架に返す。ちょうどその棚の上に『イラスト図解!花言葉辞典』が置かれているのを見つけた。明日の「口実」もすんなりと決まったことに少しだけ安堵した。
エナメルバッグを肩から掛けなおし、部屋を出ようとしたとき、意外にも明石伊織さんから声をかけられた。
「あ、下田くん。この間言っていた小説が返却されたんだけど、借りて帰りますか?」
突然のことに、僕はまたうまく返事ができずにいた。黙ったままの僕は、開けっ放しにした遠くの窓から舞い込んできた花の匂いに意識を取られていて、なぜだかその匂いがうっとうしいものに感じられた。
翌日、辞典で知ったその花の名は、「セキチク」だった。
明石に嫌われている。 山戸 良治 @yamadooori
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