終章-7:交渉の依頼と、マイコの心配

 建物に入った命彦と舞子へ、命彦を診察した、あの白衣白髪の鬼人女性が声をかけた。

「おやおや、玄関の方が妙に騒がしいと思えば、若様だったのかい? さっき会った新顔のお嬢ちゃんも一緒だね」

「あ、お邪魔します。自己紹介が遅れて申し訳ありません。私、歌咲舞子と申します」

「マイコだね? 憶えたよ。メイアから聞いてるかもしれんが、あたしゃトトア・三島だ。【精霊本舗】のお抱え医師さ。もっとも、今は営業部長代理だがねぇ? 古株で店の営業事務も多少知ってるから、ソルティアが忙しい時は、それを代わることもあるんだよ。さて、自己紹介も簡単に済んだところで、どうしたんだい若様?」

 建物の玄関先からすぐに見える机の上で、宴会の用意で忙しい営業部長のエルフ女性に頼まれたのか、店の事務書類を作成していた鬼人女性。

 その鬼人女性へ、命彦が言う。

「トト婆、急にごめんよ。タロ爺は上にいるかい?」

「いるよ。いつも通り、2階で書類に埋もれてるさね。ウチの人に用事かい?」

「ああ。できればトト婆にもね?」

「あたしにもかい? ……ふむ。その顔、急ぎの用件と見たねえ。分かった、ついといで」

 命彦の表情に宿る真剣さを瞬時に見抜き、鬼人女性は小さく首を振った。

 鬼人女性の先導で、廊下を抜けて階段を上り、2階に着くと、三島法律事務所と書かれた扉があった。

「本当に1階が病院で、2階が法律事務所ですね」

「ああ、外の看板のとおりだろ? まあ、病院と言っても診察室と手術室、入院用の寝台が3つあるだけの、小さい仕事場さね。2階もウチの人が開いてる法律事務所だが、実体は【精霊本舗】の法務部だしねぇ? あんた、若様が来てるよ」

「ほーい、開けとくれい」

 鬼人女性が扉に呼びかけると、扉の先から声がした。

 鬼人女性が扉を開けると、所狭しと書類や専門書籍が置かれた部屋に、机が3つあり、そのうち1つの机の上で、書類のたばを押しのけて1人の老人が笑顔を見せる。

 修行僧のように髪を剃った、禿げ頭の老人であった。

「これは若様、よう来られた。2度も倒れたと聞いた時は少々心配しとりましたが、壮健そうけんそうで安心しましたわい。ふむ? 初めて見る顔のお嬢さんもご一緒のようで」

「邪魔するよ、タロ爺。回復したのに顔見せが遅れてごめん。こっちは歌咲舞子。ごく最近、ウチの【魔狼】小隊で預かって面倒を見てる、新人の学科魔法士だ」

「ほう? これはまた愛らしい魔法士がいたものだ」

 カッカッカと軽快に笑う禿頭とくとうの老人へ舞子が会釈する。

「歌咲舞子と申します。以後、お見知りおきください」

「これはこれは、礼節を知るご令嬢でいらっしゃる。ワシは三島みしま法太郎ほうたろう。そこのトトアの亭主ていしゅで、【精霊本舗】の法律顧問をしとる弁護士じゃ」

 禿頭の老人が会釈して言うと、命彦が補足した。

「ウチの店で扱う、顧客との契約書の管理や交渉を、タロ爺こと三島弁護士に一任してるんだ。トト婆やドム爺、ソル姉と同じく、【精霊本舗】の創設期からいる、最古参の従業員と言っていい。あとタロ爺は魔法士じゃねえけど、ウチの祖父ちゃんと互角の剣の腕を持ち、俺もよく稽古をつけてもらった剣術家だ。全力でうやまえよ?」

「あ、はい!」

 命彦の発言を聞いてかしこまる舞子。その2人を見て、禿頭の老人が笑う。

「ははは、互角とは誉め過ぎじゃよ若様。会長にはもう負け越しとる。いやはや、年を取ると身体が動かんからのう。そこだけは、魔力の細胞活性作用で若さをある程度維持できる魔法士が羨ましいわい。近頃は、物忘れも激しくていかんしのう。娘にも書類が違うと、日々怒られる始末だ」

 空席の机を見て言う禿頭の老人に苦笑を返し、命彦が舞子に説明した。

「ウチの法務部は基本、タロ爺とタロ爺の娘さん達で運営されてるんだ。娘さん達も弁護士だぞ? しかも魔法士資格を持ってる。とても優秀だ」

「はえー……親子2代で弁護士の上に、娘さん達は魔法士でもあるわけですか。凄いですねえ」

「凄いものかよ。この老骨に自分達の仕事を押し付けて、宴会の手伝いに行っとる酷い娘どもだぞ?」

 禿頭の老人がグチを言うと、命彦が頭を下げた。

「そうだったのか。……ごめんタロ爺、俺が宴会するって言ったから、迷惑かけちまったみたいで」

 頭を下げた命彦の肩をポンと叩き、鬼人女性が笑顔で言う。

「いいんだよ若様、ウチの人ももう年だから、頭を使っとらんとすぐにボケる。これも良い頭の体操さね。娘らもそう思って仕事を押し付けたんだよ」

「おいおい、ポンコツ老人扱いはやめんか。仮にも亭主だぞ、ワシは?」

「はいはい、分かってるよ亭主様。ほど良く打ち解けたところで、そろそろ若様の話を聞こうかい?」

 事務所の皮椅子の前に案内され、命彦はすぐに用件を述べた。

「実は、祖母ちゃんが呪詛研究用に使ってる、[陰龍の爪]が欲しいんだ。祖母ちゃんがアレの所有を諦めるよう、説得というか……交渉をして欲しい」

 突然の命彦の言葉に、皮椅子に座った3人は驚きに目を見開いた。

「[陰龍の爪]って、地下の素材倉庫のさらに先にあった、呪いの塊っぽいアレですよね?」

 舞子が呪詛の怖さを思い出すように青い顔で告げると、命彦が縦に首を振る。

「ああ。眷霊種魔獣の討伐には、どうしてもアレが必要だ。頼めるか、タロ爺?」

「[陰龍の爪]か……会長や代表からは、もう2度と手に入らん呪詛物と聞いとりましたが。魔法が絡むだけに、ワシ1人ではどうにも荷が重そうだ。トトアを同席させてもよろしいですかの?」

「勿論だよ。トト婆にも是非、その交渉には同席してほしいんだ。古参の2人の言葉だったら、祖母ちゃんも耳を貸すだろう。俺が頼むより、よっぽど成功率が高い筈だ」

「どうだろうねえ、代表は結構意固地いこじだから……ただまあ、やれるだけやってみるさ。母親の仇討ちを、息子が命懸けでしようってんだ。できることはするよ。しかし、眷霊種魔獣にまた挑むとはね……あたしが注意したのに、いつも無茶するねえ、若様は」

 苦笑して言う鬼人女性に、命彦は決意を瞳に宿して言う。

「俺の我がままだよ。母さんを傷付け、魂斬家の魔法を見下したアイツは、俺の手で討ちたい。それだけさ。でも、俺1人じゃどうしたって勝てねえから、家族の力や友達の力、店の力まで総動員して、勝つための方策を練ったんだ。[陰龍の爪]はその方策の核心だ。これだけはどうしても外せねえんだよ」

 まっすぐに言う命彦を見て、禿頭の老人がフッと頬を緩めた。

「暗い話題が耳を打つ現状の三葉市の情勢で、取り止め寸前だった宴会を行うと言われ、宴会の趣旨が決起会と聞いた時から、ある程度予想はしとりましたが、若様は本気で破壊神の使者を討伐されるつもりのようだ。昔の会長達を思い出しましたわい。いいでしょう、この老骨、必ずや吉報をお持ちしますとも」

「頼む。祖父ちゃんをこちら側に引き込むように根回しして、祖母ちゃんをやんわり諭してもらえば、交渉が成功する確率はもっと上がると思うんだ。……時間は、限られてる。次の眷霊種魔獣の襲撃がいつかも分かんねえから、できるだけ早く交渉を終わらせたい。2人には苦労をかけるけど、どうにか急いで祖母ちゃんを説き伏せてくれ」

「ああ。任されたよ、若様」

 鬼人女性と禿頭の老人の夫婦がニコリと笑った。


 病院兼法律事務所の建物に入ってから、凡そ15分ほどで外に出た命彦と舞子。

 時刻は16時30分であり、亜空間の上方に魔法で投影された現実の太陽は、西へと傾いていた。

 命彦が目を覚ましてから1時間以上が経過しており、宴会の開始予定時刻まで、残り1時間半である。

 時間の経過を自覚して、命彦は一瞬考え込んだ。

(眷霊種魔獣はいつ動くのか……軍や警察が【魔晶】への魔法攻撃で、魔獣達を召喚するその力を多少でも乱していれば、【魔晶】の乱れを安定させるために、眷霊種魔獣もすぐには動けねえ筈だ。できる限り時間が稼げればいいんだが)

 そう思いつつも、明日の昼までには三葉市が戦闘に巻き込まれている予感を、命彦は感じていた。

 太陽を見上げて考えていた命彦が、ふと思い出したように舞子へ言う。

「言うのを忘れてた。舞子、ここで聞いた会話は、全てが終わるまで他言無用だぞ? 誰に聞かれても、答えることは許さん」

「はい、承知しています。情報の拡散は、時に自分の想像を超えた害を作ることがあると理解していますので」

 神妙に首を縦に振る舞子を見て、安心した命彦が〈余次元の鞄〉からポマコンを取り出して操作する。

「分かってるんだったらいい。それじゃ、ドム爺に会いに行こうか。……ふむ。タロ爺やトト婆と同じく、ソル姉はドム爺にも宴会の手伝いをさせてねえらしい。商品や素材の管理書類を作成させてるそうだ。古参の部長職には最後まで仕事をさせてるのか。ソル姉らしい話だ。ってことで、ドム爺はいつも通り開発棟にいる。居場所も分かったし、すぐ行くぞ舞子」

 宴会の用意を仕切るエルフ女性に、ポマコンで確認を取った命彦がそう言って歩き出す。

 その命彦の背に、後ろに続く舞子は不安をぶつけた。

「……あ、あの、命彦さん! 私は、親方に怒られるでしょうか?」

「怒られる? どうしてそう思うんだ?」

 不思議そうに命彦が問い返すと、舞子は目を伏せて言う。

「私は、自分の無茶で親方がせっかく作った魔法具を壊し、傷を付けました。人助けのためとはいえ、壊れたのは借り物の魔法具です。賃貸契約も完了しておらず、初回の賃貸料さえまだ私は払っていません。そのくせ、魔法具を壊してしまいました」

「壊れた魔法具を買い取れるだけの臨時収入を得てるだろうが? 依頼所からドリアードやミズチの討伐報酬で、3000万円ほどが払われてた筈。以前過剰の魔力消費で倒れた舞子へ使った、〈魔霊薬〉6本分の180万円を差っ引いても、十分定価で魔法具を買い取れる予算があるだろう。それで壊れた〈魔甲拳〉を買い取れば済む話だと思うが?」

「勿論買い取るつもりですが、私が気にしているのは、好意で貸してくださった魔法具を壊してしまった私に対し、親方が今後も魔法具を売ってくださるかどうかです」

 舞子が眉をハの字にして、不安を露にした。

 〔魔具士〕学科の魔法士にとって、魔法具とは我が子も同然である。

 それを買い取ったとはいえ、無茶苦茶に使われて壊された日には、〔魔具士〕達も良い気はすまい。

 買い取り主に不快感を覚え、魔法具の売買を避けることもあり得る話であった。

 舞子の場合、買い取りどころか賃貸のためのお試し期間で、貸した魔法具を壊している。

 普通に考えれば、取引をまず避けるべき相手と、舞子は思われるだろう。

 たとえ弁償する意味で魔法具を買い取ったとしても、貸してもらった魔法具を壊したことで、親方に嫌われるかもと不安を覚え、親方の魔法具を今後も自分は購買できるのかどうかを、舞子は心配していた。

 命彦が苦笑して言う。

「誰かを救うために自分の魔法具が使われ、壊れつつも魔法具はその役割をまっとうした。装備者を守り、装備者が守ろうとした者達までも、魔法具が守った。多くの〔魔具士〕にとって、そうした魔法具を自分が作ったことは誇りだ。心配いらねえよ。事情を話せば、ドム爺は今後も喜んで、舞子に魔法具を作ってくれるだろうさ」

 命彦がそう言うと、舞子の表情から少し不安の色が薄れた。

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