2章-3:マヒコとミサヤ、主従の関係?

 魔法を構築する子犬姿の魔獣を見つつ、命彦が自嘲気味じちょうぎみに深いため息をついた。

「母さんや姉さんは、雷電らいでんの精霊や樹木の精霊が使役できるから8種類の精霊を使える。祖父ちゃんや祖母ちゃんにいたっては、機械の精霊やら次空じくうの精霊やらと、合計10種類もの精霊が使えるらしいし、家では俺だけが6種類の精霊だ。才能の差ってのはホント残酷だよ、はあー……」

 同じ魂斬家の一員たる母や姉は、合計8種類もの精霊を扱い、また、命彦の魔法の師である祖父母にいたっては、10種類もの精霊達を使い分けているというのに、命彦だけが、基本とも言うべき6種の精霊のみを扱っていたのである。

 その現実が、命彦にとっては受け入れがたいらしい。

 命彦の魔法適性は悲しいほどにまで魂斬家の血を表し、意志魔法系統にかたよっていた。

 意志魔法に関しては、姉や母をも上回る天賦てんぷの才を持ち、短期間で多種多様の意志魔法を修得したというのに、精霊魔法に関しては、優れた師匠に師事して長い間非常に厳しい修練を行った上で、6種類の精霊を操るのがやっとだったのである。

 意志魔法の天才にして、精霊魔法のポンコツ。

 それが魔法の師匠である祖父母の、特に精霊魔法を教えてくれた祖母の、命彦に対する手厳しい評価であった。

 祖母の評価を覆したい命彦としては、1種類でも良いから基心外精霊を認識・使役したいと、切実に願っているのだが、現実は厳しく日々深いため息が出た。

 魔獣と、ある精霊儀式魔法によって契約した人間は、人間より魔法適性が高い魔獣の感覚と同調することで、自身が認識不能であっても魔獣側が認識可能である精霊を、間接的に認識することができる。

 これを訓練に応用すれば、精霊魔法の適性にとぼしい者でも、いつか自力で基心外精霊を扱える筈だと言う、ミサヤと祖母の言葉に従い、命彦はミサヤと精霊魔法の訓練を続けているのだが、未だに目立った成果は現れず、忍耐の日々が続いていた。

「ルオォォオオォォー……」 

 子犬の使う精霊魔法を間近で見て、微妙に落ち込んでいた命彦だったが、すぐに室内に響いた子犬の咆哮を聞いて、気持ちを切り替える。

 白い子犬が、咆哮と共に構築した精霊魔法を展開し、工房内の物が魔力の波動を受けて、ガタガタと揺れ始めた。

 そして、料理がのったお盆を押さえる命彦の前で、子犬が人の姿へとけ始める。

 子犬形態が解かれ、一瞬天井に届くほどの巨狼の姿が見えたが、展開された魔法の効力がすぐに発揮されて、肉体を再構築し、見る間に人の姿を形成して縮んで行った。

 巨狼の前足が手に、後ろ足が脚に再構築されると同時に、意志魔法も展開しているのか、魔力物質で構築された巫女装束が、美しい裸体を覆って行く。

 やがて魔法の効力が収束すると、楚々そそとした雰囲気の、1人の美女が立っていた。

「ふう……お待たせしましたマヒコ。髪型をどうしたものかと迷ってしまって。短い髪型を試すつもりだったのですが、魔法の想像図に思ったより時間がかかったので、結局いつも通りにしてしまいました」

 巫女装束の美女が淡く控えめに笑い、その美声を発する。

 美鞘ミサヤ魔狼マカミ、命彦が家族として愛し、相棒として信頼する、融和型魔獣であった。

 表情こそ乏しいが極めて整った顔立ちに、知性を感じさせる翠緑色の眼差し。まっすぐ腰まである純白の長い髪と、すべらかに見える褐色の肌。そして、巫女装束の上からも分かる、豊かに隆起した胸や腰付きを持つ、異国風の美女。

 命彦と儀式魔法によって互いを縛り、融和型魔獣こそ、ミサヤであった。

「いやいや別にいいよ。いつもより魔法の展開が遅かったから、容姿に手を加えたかったんだろうって分かったし。それに、いつも通りの髪型も似合ってるからさ? こっちは良い目の保養させてもらって、勝手に楽しませてもらってたから、待つのも全然気にしてねえよ」

 命彦が巫女装束を押し上げるミサヤの胸やお尻を見て、鼻の下を伸ばしつつ答える。

(魔力物質の着物の生成を、もう少し後で展開してくれると嬉しかったが……いやでも丸見えはいかんよ。チラ見えで我慢だ。しっかし、我が相棒は本当に別嬪べっぴんさんだぜ)

 命彦が、視線をミサヤの頭の先からつま先までわせて、うんうんと首を振る。

「マヒコ、そのように見られると照れてしまいますわ」

 ミサヤが頬をほんのり染めると、その姿を見た命彦も頬を染め、でへへと照れていた。

 精霊儀式魔法《人化の儀》。数多ある精霊でも、特に認識が難しい基心外精霊に分類される人間の精霊達を魔力に取り込み、使役して、原子単位で自己の肉体を再構築し、頭に思い描いた人間の姿にそっくり化けてしまう、非常に高度で難しい魔法であった。


 攻撃・結界・付与・治癒・探査・儀式の、6つの魔法術式でも、効力が特殊である分、儀式魔法術式は最も扱いが難しいと言われている。

 その儀式魔法でも、とりわけ魔法の具現化や維持、制御が難しいと言われているのが、自分の身体を別の生物へと作り換える、肉体の再構築であった。

 人間の精霊を利用して自分の肉体を人体へと再構築する。というように、特定の精霊を活用して望むモノを作り出す、造物系の効力を持った精霊儀式魔法は、そのほとんどが基心外精霊を介して具現化されるため、その精霊を使役できる者自体が限られる人類では、使える者も滅多におらず、この手の魔法を使うのは主に魔獣達の方である。

 自分を別の生き物に見せたいのであれば、わざわざ肉体を再構築せずに、情報の操作が専門である探査魔法によって、その生き物の魔法幻影を作り、着ぐるみのように自分を幻影で包んでしまった方が、魔力消費量や魔法的効力の安定性から見て、余程効率的であった。

 実際、人類が一般的に使う他者へ化ける魔法は、ほとんどがこうした撹乱系と呼ばれる精霊探査魔法の魔法幻影である。

 しかし、幻影によって他者に化ける場合、実体はそのままであるため、幻影と実体との差が現れやすく、身に纏う精霊や魔法の気配を隠しても、見破ることは意外に簡単だった。

 その一方で、《人化の儀》に代表される、肉体そのものを再構築する精霊儀式魔法は、実体から他者に化けるため、精霊や魔力の気配、つまり魔法の気配自体を完全に隠されてしまうと、見破ることがほぼ不可能である。

 ミサヤが化けた美女の姿を見て、命彦は思考した。

(魔法に長けた魔獣が《人化の儀》を使って人間に化けると、肉体の構造すらも人間を完全に模倣もほうして化けちまう。姿形はおろか臓器さえも人間そのものであり、医学的検査を行っても、魔獣と人間とを見分けることは極めて難しい。確かに、人間の世界へ魔獣達が簡単に潜り込める点で、この魔法は恐ろしいが……でも、ミサヤが使う分には怖くねえわ)

 地球人類が魔獣を恐れる原因の1つとも言われる魔法、《人化の儀》。

 本質的には極めて恐ろしい魔法であるが、命彦にとってはミサヤが使う限りにおいて、危機感を抱かずに済むのであろう。美女を見てデレデレしている少年のように、命彦はノヘーッとミサヤを見て笑っていた。

 小麦色の肌の和装美女、ミサヤは、着物の着崩れを整え、ほわんとする命彦へ歩み寄る。

「さて、甘えさせてくださいね、マヒコ?」

 ずっと思念で聞いていた女性の声が、ミサヤの口から紡がれた。

 人体を手に入れた今の状態であれば、人間としての発声器官があるため、ミサヤも話すことが可能である。

 そのミサヤの声を耳に心地よく感じつつ、命彦は上機嫌に応じた。

「どうぞどうぞ、幾らでも甘えてくれよ。徹夜の整理作業のお礼だ」

 改めて工房内を見てみると、机の上には書類の束のように、魔法具の一覧表が置いてあり、昨日の時点で工房の床に散らばっていたほこりや紙くずまでもが、掃除されていた。

 ミサヤが魔法具整理のついでとばかりに、隅々まで工房を掃除したのであろう。

(ここまでしてくれたんだ。一杯甘えさせてやろう)

 その命彦の想いを感じ取ったのか、ミサヤが座卓の上のお盆を見て言った。

「……では、お昼ご飯を食べさせてくださいますか?」

「あいよ。任せてくれ」

 和室っぽくあつらえてある畳場に2人で座り、命彦が手ずから料理を食べさせる。

「ほれ、あーん」

「あーん、はむ。……うふふ、おいしいです」

 ミサヤがどこか控えめに頬を染め、新婚夫婦のようにあーんと口を開けて、箸で運ばれた料理を咀嚼そしゃくした。初々しい沈黙と桃色の空気が、工房内に充満する。

 魔力物質製の巫女装束を揺らし、淡い笑みを浮かべてミサヤが命彦を見た。

 視線で続きを催促さいそくするミサヤの、外見に反した甘える態度を見て、命彦は淡く笑い、また箸を動かす。

「昨日の整理作業は疲れただろ? だから2人でしよって言ったのにさ」

 ミサヤが料理を飲み込むのを待って命彦が問うと、ミサヤはくすりと笑った。

「確かに。自分から言い出したこととはいえ、昨夜は思いのほか疲れました。でも1人でしたことを悔いてはおりません。私がそれをすることで、マヒコの手助けができる。我が主に休む一時ひとときを与えられる、それこそが重要ですから……」

「尽くしてくれるのは嬉しいけど……無理は止めろよ? ミサヤも母さん達と同じくらい過保護だから、俺としてはそういうとこが心配だ」

「うふふ。本心を言いますと、私はマヒコに心配して欲しいのです。構ってほしいのです。尽くせば尽くした分だけ、我が主はこの身を案じ、深い愛情を返してくださる。それが、私の生きる原動力。マイトやミツルも同じだと思いますよ? マヒコに尽くし、甘えさせ、溺愛する。過保護に扱う。するとその愛情が、そのまま分かりやすく自分へと帰って来る」

 ミサヤが優しい目をして、命彦を見詰めて言った。

「それがとても嬉しく、温かく、心地良いのです。自分が愛されている、傍にいて良いと、命彦に想われている。そう感じられますからね?」

「ま、真顔で恥ずかしいことを言う……顔が火照るだろ、甘えん坊魔獣め。くくく、俺もミサヤのことは言えねえけどさ」

「うふふ。家族は互いに甘えたり、甘えられたりするモノ。私も2人だけの時は、できる限りそうありたいと思っております」

 命彦の言葉に、ミサヤがまた淡い笑みを返した。

 照れ隠しのように、命彦が視線を反らしつつ、ちらちらミサヤを見て頬を染める。

 傍で2人の様子を見ている者がいれば、尻がむずがゆいことは請け合いの会話であった。

 そして、命彦を溺愛する命絃が今の2人の様子を見たら、あまりの羨ましさに、歯噛みして悔しがるだろう。

 命彦とミサヤ。切っても切れぬ間柄という表現が、2人にはよく似合っていた。


 お盆の上の料理が半分ほど消え、命彦の身体にミサヤが不意にもたれかかる。

「私は幸せです。ただこうしてマヒコが構ってくだされば、それでいい。マヒコのお傍にいることが、私の望みですから……」

「い、いじましいことを言ってくれるぜ。不意討ちは止めろよ、ミサヤ」

 異国風の美女が巫女装束を纏い、控えめに言うと、その言葉の破壊力は凄まじい。

 どうにか言葉を返したものの、命彦の思考は動揺していた。

(……い、いかん、キュンと来てしまったぞ)

 命彦が思わず箸を止めて、火照った紅い顔でミサヤを見詰める。

 自分にもたれて、うるんだ上目遣いのミサヤと目が合い、思わず見惚れる命彦。

(吸い込まれそうだ……宝石みたいに美しいって言葉が、本当によく似合う)

 命彦の想いを表情から読み取ったのか、ミサヤが花の咲くように笑った。

「温かい瞳……私への深い愛情を感じます。そのお気持ちが感じられただけで、ミサヤは千年、万年、この命が続く限り、マヒコのお傍に控えましょう」

 命彦が手に持つ箸を抜き取り、お盆の上に置いたミサヤは、もたれかかった命彦の胸に、顔を埋めてそっと抱き付いた。互いの体温が伝わる。ミサヤの想いが命彦にも伝わった。

「み、ミサヤ……その姿でくっ付かれると、その、アレだ。色々と粗相そそうをしちゃうかも」

「構いませんよ……私は? マイトとどのように睦み合ったか知りませんが、同じようにしてくださっても、それ以上のことでも、マヒコがしたいと言うのであれば……幾らでもしてください」

「い、幾らでもだとぉうっ!」

 命彦が、またもや青少年の欲望を刺激され、ビクリと震えて返した。

(落ち着け、俺! 息を吸え、すぅぅーはあぁぁー。姉さんが切れる、姉さんが切れる、姉さんが切れる、姉さんがブチ切れるぅぅーっっ! ……でも、触りたぁぁーいっっ!)

 落ち着こうと深呼吸しても、鬼の形相の命絃の姿を思い出しても、欲望はたぎり続けた。当然である。

 ミサヤは、命彦の心のウチを理解し、姉のように甘やかしたり、母親のように癒したりしてくれる、命絃や魅絃と同様に命彦が愛する女性(=雌の魔獣)の1人。

 そのミサヤが、絶世の美女の姿で淡く頬を染め、上目遣いで甘い吐息を発して、柔らかい胸を無造作に押し付けてくるのである。

 重度の姉偏愛主義者シスコンかつ母偏愛主義者マザコンの命彦がこらえるのは、相当難しかった。命彦を溺愛する命絃が、ミサヤを自分と対等の相手と認めて対抗意識を持ち、警戒しているのも当然のことである。

 命彦の心の激しい葛藤を見抜き、ミサヤがたわわに揺れる胸に、命彦の手をみちびいた。

「マイトのことを気にする必要はありません。私との約束を盾にすれば、ある程度私達の愛情表現は許容させられますし、後で同じことをしてあげれば、彼女の怒りはすぐ消えます。単純ですからね? ミツルも、多分これくらいは許してくれるでしょう。さあ存分に、私に触れてください…………んっ!」

 命彦に抱き締められるように、ミサヤが着物の内側に命彦の手を導き、自分の胸に触れさせる。手から伝わる素肌の感触が、命彦の全身を駆け廻った。

「おうふっ!」

 ミサヤの言う約束から、命絃が言っていた密約という言葉を思い出した命彦であったが、その温かくプリンと弾む胸の感触を知ると、すぐに思考が桃色に侵食された。

(母さんと同じくらいでけえ……そして、気持ちいいぃっ! これはもはや兵器だっ!)

 マニマニと、ミサヤの胸の体温と柔らかさを右手で堪能する命彦の表情は、幸せと色欲、荒い呼吸にいろどられた、これ見よがしの助平すけべ顔であった。

 見た目小柄で地味だが、煩悩と情欲はどうやら人一倍あるらしい。

 身近に美女がいて、しかも、その美女が自分を好いており、誘惑して来るのであれば致し方あるまいが、そうは言っても、こらえ切れずに誘われるまま、美女に手を出しているその姿は、普通に破廉恥はれんちであった。

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