2章-4:工房の不便さと、魔法士のお仕事

 ミサヤの胸の感触と甘い声に、えつに浸っていた命彦であったが、楽しい時間は1分と経たずに終わってしまった。

 ニヤつく命彦の視界の端に、突然それが映ったからである。

「うへへへ……って、うおぉうっ! び、びっくりしたぁっ!」

 工房の窓の外で、木の上に登ったエマボットが1体、しきりに多目的腕部を振っていた。

 命彦の工房の窓も、窓の形をしている特殊型魔法具、〈選別の扉〉であり、閉じている限りは外部から工房内へ干渉することは極めて難しい。

 外部からの干渉は、そのほとんどが結界魔法の魔法防壁によってさえぎられるため、外から工房内に声を届けたり、電波を送受信したり、窓越しに工房内の様子をうかがうことさえも、不可能だったのである。

 一方、たとえ〈選別の扉〉が閉じていても工房の内部からの干渉、つまり工房内から外の様子を見ることは、普通に可能であった。

 窓型の〈選別の扉〉を通じて、外から別館内の様子を、工房内を見ようとすると、結界魔法の効力が働き、空き部屋のように偽装された工房の姿が見えるのだが、工房内から外を見る時は、この結界魔法も機能せず、外部の様子をそのまま見られるわけである。

 窓型の〈選別の扉〉と同じ高さの木の上で、ひょこひょこと踊るように跳ねるエマボットの姿は、極めて異様で目に付きやすかったため、命彦もすぐに気付けた。

「あーあ、せっかくの良い所を邪魔してくれやがって……」

「まったくです、雰囲気を壊されました」

 お楽しみを邪魔され、ムスッとした命彦と、残念そうに着物のすそを整えるミサヤであったが、エマボットに文句を言うのは筋違いであると、2人共分かっていた。

 命彦達に知らせたいことがあるからエマボットは行動した、それだけのこと。

 1度工房内に入るとそこは隔離された密室空間であるため、工房に出入りできる魂斬家の者達以外で、工房の内と外とで連絡を取り合うことは不可能であった。

 唯一の連絡手段も、家の者が一々工房へ出入りする必要があるため、工房に出入りすること自体が難しい時は、窓型の〈選別の扉〉に近い場所でエマボットに合図させ、工房にいる者が自発的に気付くのを待つ、という非常に回りくどい方法が取られたのである。

 窓型の〈選別の扉〉を命彦が開けると、エマボットは役目が終わったとばかりに、すぐさま木を降りて行った。

 それと同時に、工房内の机の上に置いて、充電されていたポマコンが突然震動する。

 外部と通じる窓型の〈選別の扉〉が開けば、その部分の魔法防壁に多少の隙間が生まれ、工房内にも電波が入った。

 振動するポマコンを見て、先ほどの余韻よいんで薄らと紅かった表情を、無表情にサッと戻したミサヤが言う。

「どうやらあのエマボットは、ポマコンに電波を届けて私達に着信を知らせたかったようですね?」

「ああ。そうらしいや」

 やたらと長く振動するポマコンを恐る恐る手に取り、続々と届く着信を見ていた命彦は、発信者が全て同一人物であることを確認して、渋い表情を浮かべた。

「マヒコ、誰からです? ……まさかとは思いますが、マイトですか?」

 命彦を溺愛する姉の命絃は、時折人外とも言うべき勘の良さで、命彦とミサヤがこっそりいちゃついている時に、連絡して来ることが多々あった。

 但し、その時の命彦の表情は筆舌に尽くしがたく、今のように表情や顔色に余裕があることはまれである。

 そもそもこの時は、工房に命彦とミサヤが2人でいることを命絃はすでに知っていたから、母の魅絃の制止を振り切っていれば、いつも通り用件の有無にかかわらず、工房にそのまま乗り込んで来る筈であった。

 つまり、わざわざポマコンを使う時点で、今連絡しているのは命絃以外の者。

 そこまで推測しつつも、念のために問うたミサヤは、じっと命彦の返答を待った。

「いいや、姉さんじゃねえよ。こずえさんからだ。仕事の話だろ、多分……」

 命彦の言葉で、自分の推測が当たっていたことを確認したミサヤは、安心とも落胆ともとれるため息をつき、お箸を手に持つと、無言のまま自分で食事を再開した。

 傍で聞いているから話をしてもよい、というミサヤの意図を察した命彦は、ポマコンをミサヤにも聞こえるように設定し、起動する。

「……梢さん、命彦だけど?」

『あ、命彦? ようやく繋がったわ。あんまりにも不通だったから、工房にいるんだろうと思ってたけど、早めに魅絃叔母様に取次ぎを頼んで良かったわね。ふふふ……』

 手に持つポマコンへ命彦が語りかけると、上品そうに笑う女性の声が耳を打った。


 起動させたポマコンを机の上に置き、椅子に座った命彦が問いかける。

「さっきのエマボットは母さんに頼まれたわけか。……それで梢さん、用件は?」

『もう、分かってるくせに。依頼所の従業員がわざわざ連絡するっていったら、依頼の斡旋あっせんでしょ普通? お仕事よ、お仕事』

 女性の言葉を聞き、渋い表情を浮かべた命彦がすぐさま応じる。

「そうだろうと思ってたよ。えーゴホン、本日は休業日です。日を改めてご連絡ください。また、梢さん経由で来る依頼は危険だったり、ややこしかったり、面倒だったりすることがやたらと多いので、営業日でも断る可能性があります。予めご了承ください」

『あはははは、言うと思ったわ。でもそう言われると、今回ばかりはとても困るのよね? 私が困るのは勿論だけど、おもにウチのお店、依頼所の方が困るのよ』

 スラスラと拒否の言葉を返す命彦に、ポマコンの連絡相手である女性は、意味深に聞こえる言葉で応じた。

 ミサヤと顔を見合わせ、命彦が不思議そうに再度問う。

「梢さんが困るのは別にいいとして、依頼所が困るってのはどういうことだよ? たかが依頼を1つ、所属する魔法士に断られるだけだろ? 俺以外の魔法士にその依頼を回せば済む話だ。まさかとは思うけど、俺以外に適任者がいねえとか、他に受けてくれる魔法士がいねえたぐいの、依頼所が対応に困る依頼だったりすんの?」

『その通り。今回命彦へお願いする依頼は、依頼主が、依頼の受領者を命彦に指定してる依頼だからね? 命彦だけが最適任者ってわけよ』

「はあ? 俺を依頼の受領者に指定してるだって? 依頼主って俺の知り合いかよ? いやしかし、贔屓ひいきにしてる人や会社からは、事前の連絡がこっちに来てねえぞ?」

 思わず耳を疑い、ミサヤとまた顔を見合わせる命彦。

 その声から命彦の慌てる様子が手に取るように分かるのか、女性がすかさず提案した。

『くふふふ、少しは関心を持ってくれたみたいね? 話を聞いてくれるかしら? まずはポマコンの設定を通常設定にしてくれる? そしたらこっちも説明もしやすいし……というか、どうして家にいるのに節電状態? 迷宮から自宅へ戻ったんだったら、すぐに通常設定へ戻すでしょ? こっちの映像通信、さっきからずっと真っ暗よ?』

「忘れてたんだよ。いいだろう別に……母さんのお遣いで2日前に迷宮へ行ってて、節電状態のままでずっと充電してたんだ。迷宮でポマコンの電源が切れると色々困るし。そもそもこっちのポマコンは迷宮専用だ、日常用のポマコンは通常設定にしてるよ。今は俺の部屋に置きっぱだけどさ」

 自分の動揺を相手に見透かされたことを恥じているのか、命彦は渋々といった様子で、ポマコンの設定を節電状態から通常状態へと戻した。

 ポマコンには多くの機能があり、特に迷宮では電子地図として、また、遭遇した魔獣達や発見した異世界資源の情報を確認する電子資料として、よく使われている。

 加えて、魔力を節約して誰かに連絡したい時の通信装置や、迷宮内での出来事や現象を記録する、記録装置としても使われており、小さい外見に反して非常に役に立つ機械であった。

 ただ、あれこれとよく使うため、迷宮ではポマコンの電力を消費しやすく、迷宮に潜る学科魔法士は、たとえ予備電源バッテリーを持ち歩いていたとしても、充電機器の類を持っていたとしても、慣習的にポマコンの機能を一部封印して、必要時以外は常に節電状態で携帯している。

 節電状態の時は通信機能が制限されて、より電力量を消費する空間投影装置を使っての映像通信は行えず、声のみによる通信である電話機能だけが起動した。

 ポマコンを、迷宮用と日常用とに2台で使い分けている命彦は、迷宮用のポマコンを、当の迷宮から戻った際に工房内で節電設定のまま充電して置いていたため、映像通信を受信してもポマコンの空間投影装置が起動せず、電話機能のみが立ち上がり、映像情報が排除されていたわけである。

 節電状態による機能制限が解かれると、ポマコンの空間投影装置がすぐさま作動して、机に置かれたポマコンの上に、半透明の平面映像が浮かび上がった。

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