ぶらっくこーひー

明人

@カフェ


・私はこの感情につけるべき名前を知らない。

・私はこの感情に名前をつけてしまうことを躊躇っている。




------------正しいのはどちらか?


 



 私は、悩んでいる。


 コーヒー一杯で粘るつもりで来たカフェの机の上にはやるべき課題が開かれている。なのに、席に着いてからここまでに私がノートに書いたことはこれだけだった。



シャーペンで書いたたったの二行などすぐに消せるはずなのに、その上に消しゴムを滑らせる決断力さえないから悩まなければならない。


文字にしてしまえば早く解決するかと思ったのが間違いだった。



ああ、もう。

全く腹が立つ。なぜ他人にここまで悩まされる謂れがあるのか。


腹いせのようにカップのコーヒーを飲み干す。喉を落ちる温い液体は苛立ちをあいにくと和らげてくれない。


お代わり自由にかこつけてもう一杯コーヒーをもらう。そういえば彼はブラックコーヒーが飲めないらしい。ブラック派の私とは大違いだということを妙に覚えているのはそれが友人から聞いた話だからだろう。



いつも角砂糖入れてるよ、という情報はどうせなら、自分で知りたかった。



そんなことをポツリと零したくなるようなこの気持ちが。



きっと、たぶん、私の本音だろうというのは分かっている。


この気持ちを邪魔するのは矜持なのだろうか、それとも。




ふと、コーヒーに角砂糖を一つ落としてみる。


少しずつ茶色に染まって溶けていく砂糖みたいにプライドを無くしてしまえたら、なんてクサい言い回しで私の心はほぐれないけれど、そうなれたらよかったのに。


舌にじんわりと広がる甘い味を美味しいと感じる術を私は持たない。

もしも私が決断したなら。そんな味よりももっと甘いものを彼は飲み、そして私たちはお互いの味覚センスの相違について語り合うのだろうか。


店内BGMはいつの間にかラブソングになっていた。すがすがしいくらいの純愛を描いた、昔の洋楽。


目を閉じて、聴覚に集中する。



……この隣に彼がいたら少しばかり素敵な事ではなくて?


普段なら笑ってしまうような妄想も、カフェという舞台装置のもとには受け入れられるのが滑稽で、嬉しかった。


そして私はシャーペンをとる。偽らない気持ちを書けるうちに、とっくに知っていた答えを書きつけるために。


ふと、遠くから音がした。見れば、カップルらしき男女の足元にパフェが飛び散っている。ふわふわとした甘いものを詰め込んだ、夢の食べ物。それが男女の間に線を引くように倒れていた。


その男女が、だんだんと自分と彼に見えてきて。


私はノートに書きつけた答えを消した。


だってそれが皮肉のように思えてならなかったから。彼との間には隔たりがあって、超えようとすればガラスを踏むような痛みと生クリームの纏わりつくような不快感を感じるだろうから。


直視するにはつらい、よく知った現状。



惨めな気分に耐え兼ねて、カップに残ったコーヒーを飲み干す。



彼の恋人が教えてくれた彼の好みのコーヒーは、やっぱり私には合わなかった。

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