第6話・魔王
彼がスライム――ラムネと一体化してより、十年ばかりが経った。
その間も実に様々なことがあった。
例えば魔王とよばれる存在の出現。
ほぼ全ての魔物が魔王の登場と同時に強化され凶暴化した。
もちろん彼は例外である。元気いっぱいではあったが、むしろ魔物を狩るほうに一生懸命であった。いまから考えればそれも凶暴化ということになるのかもしれない。ともあれロタール殿下は人間として采配を振るったり、あるいは魔物を従えられる人間を探し集めては希望者をあちこちに向かわせたりと、弟君と協力してこの魔王禍を最低限の被害に抑えていた。
そして魔王の居場所が判明すると、すぐさまそこへ向かった……単騎で。普段魔物を狩ってばかりいる分身であるから、王宮に常駐するロタール殿下ではない。とはいえ、私は気が気でなかった。そのときの彼との念話は以下である。
『何やってるの!』
『これが一番早い上に被害も少なくて確実だろう?』
『取り込まれでもしたらどうするわけ!?』
『そうなりそうだったら僕(注:魔王と対峙している分身)が自爆するね。お、あれが魔王か。黒いモヤモヤみたいだな』
『やめてよ、そんな、自爆なんて……。……私にも見えているわ。ねぇ、王宮の援軍を待ったらどう?』
『いーやーだーねー』
『ちょっ……』
『せえいっっ!』
何回か斬りかかり魔法を放つも、魔王は無傷だった。
『どうするの、ぜんぜん効いてないわ』
『ふむ、どうやら魔力の塊に近い性質を持っているようだね。だから普通の剣はほぼ効かないし、魔法で一旦は散らせてもすぐに再集結して元に戻ってしまう』
『倒しようがないじゃない!』
『やりようはあるさ、なに、スライムならスライムなりの戦いをすれば良いんだよ』
と彼はおもむろに魔王に走りより、切りかかるかとみせて魔王にかぶりつく。あまりにもあまりのことでとっさに魔王は反応できず、そのまま彼の擬態により体内へと包み込まれてしまった。
『えっ』
『うるさいなぁ、ひとのお腹の中で暴れないでほしいなぁ』
人型を崩し大きな袋か風船のようになった彼のうちで、魔王は何をしていたものやら。凸凹と彼が体内から魔王にあちこちを変形させられるのがわかった。けれど彼自身は余裕の表情。やがて抵抗もやみ、ロタール殿下は徐々に人型に戻っていった。
『ね、ねぇ、大丈夫なの……』
『ん、へーきへーき。なんなら力が漲るような気がしてくる』
『ねえそれほんとに平気? めちゃくちゃ影響受けてない? お腹こわしてない?』
『あはは、面白い心配の仕方だね。君ほどじゃあないけれど普通に美味しい魔力だよ。なんか負の想念みたいなのがくっついてるけど、僕には意味ないし関係も興味もないし。しかしここまで魔力の塊なのは魔石でもそうそう見ないよ』
そしてあとからやってきた王宮側と、何も知らない人間を納得させるべく分身同士の茶番めいた戦闘をして終了。被害が本当に少なかったのは良かったのだが、なんだか釈然としない結末のような。
しかし本番はある意味これからだった。魔王を取り込んで彼はさらなる強化を遂げる。条件を満たしたゆえ昇位できる、しかもスライムとしては恐らく最後であると彼から聞く。魔王討伐後しばらくして呼び出されたのは、
『部屋で昇位するとなんだかまずいような予感がするんだ』
との彼の答え。
『まずいって、一体何が?』
私は勢い詳しい説明を要求した。
『正直魔王を取り込んで以後ずっとものすごくはち切れそうな心持ちだったんだ。普段昇位時期に君に触れると君の魔力の影響を受けて腰砕けになるけど、その余地すらないくらい魔力でパンパン。もう限界。君一人なら何があっても守りきるけど、城の中だと何が起こるかわからない』
『え、ちょっと、それ本当に大丈夫?』
『君には傷一つ負わせないから』
そうじゃない。そうではないのに。あなたがいなくなったら意味がないのに。
『もしもーし!』
最後の昇位だから、危険だとわかっているけどどうしても君に見ていて欲しくて、ごめんね、と念話を切って彼は笑ってみせた。よく見ると人型の輪郭が時おりブレている。擬態を安定させられないほど彼のうちで魔力が荒れ狂っているのがわかってしまう。逆にこれほどの魔力の奔流を、外部に害を与えることなく、輪郭がブレる程度でおさめている彼の魔力制御能力は恐ろしい程であるが。
疑問と不安を抱きつつも、恐る恐るいつもと同じように手を繋ぐ私。今回は二人立ったまま。やがて彼はいつものように唸り出し、痛みと快楽とを堪えていたが、いつもに輪をかけて苦しそうだった。どうにも尋常ではない様子に、魔王のせいかと聞く。彼は魔王の影響ではあるが君が思うような乗っ取りなどではない、ただ莫大な力が自分の身の裡に溶け込んだから、それに耐えられるよう器が変化するだけなのだと言う。
心配だったが私にできることは手を繋ぐこと、そしてせいぜい彼の背中をさすることくらい。
「はなっ、れてっ、くれっ……!」
「え?」
「うがァアアアァァアあっ……!」
私は彼の言葉に従った。心配ではあったけれど、急いで彼から走り去り距離をとる。私が十分離れたのを確認した瞬間、悶え続ける彼の身体がみるみる膨れ上がっていく。初めて彼が分裂したときのように、今度は彼に触れてもいないのに急激に魔力が吸い取られる。
めきめきと木が、けっこうな大木が折れる音がするが、倒れてはこない。彼がその膨れ上がったスライムの身体で片端から吸収しているのだ。
色合いは暗くてわかりにくかったが、ラムネと同じどこまでも透明な薄青。この色はずっと変わらない。大きな核が一つに、無数の小さな核が体内に散らばっている。大きさはちょっとした小屋くらい。
城の書庫に確かこれが描かれた本があった気がした。
「確か……アルケタイプ」
全ての生き物の原型ともよばれる、神の一柱とさえされる魔物である。
『ねえ、私の声が聞こえる? ちゃんと意識はある? 人間の状態に戻れそう?』
『……』
念話も無言であり、あまりにも変わり果てた彼を前に、私は死をも覚悟した。けれど、彼はいつまでたっても動かず、ただぷるるんとその身体をゆらすのみ。
『ねえ、返事をしてよう、聞こえるなら、お願い……』
念話が涙交じりの響きを帯びる。私は彼を諦めかけた。
『あー、あー。ただいま試験中。悪い、このままだとあんまり保たないからもう一度僕にくちづけてくれないか?』
その声に、気持ちが一気に明るくなる。
『もう、なによう、いくらでもするわよ!』
私はひんやりとした彼の身体にとびつき、ひたすらむしゃぶるようにくちづけた。こんなときでもつめたくぷるんとした感触が心地よかった。
『びっくりさせてごめんね、僕の持つ魔力があまりにも高くなったから、今までの経路が不安定になった上、君を傷つける恐れもあったんだ。調整は済んだからもう心配しなくていいよ』
『本当に。あなたがいなくなったかと思ったわ』
『これくらいじゃあ僕は消えないよ。……いったん人型に戻ってみるかな』
そうして小屋ほどの大きさのラムネっぽいスライムは消え、いつものロタール殿下が現れた。しかしどうにも渋い顔をしている。
『うーん、どうにも不安定だなぁ……これほどの力をこの大きさの人型に収めるのはやはり無理があるのかも……』
そう言うとまたすぐに巨大なスライムへと戻った。今度はスライムの中から切り出すように人影が現れる。やはりまた人型のロタール殿下だ。
『こうやって力を分ける感じならなんとかなりそうだな。まだ同期が終わってないのが幸いだ、今回は他の僕も今の僕と同じ状態になるようにしておかないとだめだなぁ』
彼がぶつぶつと何かを呟く。巨大なスライムの方の彼は表面や質感が岩のようになるよう擬態をする。そして人型の彼は私の手に手をとり、行きと同様擬態で生やした翼と魔法をもって、王城まで空を飛んで帰ったのだった。
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