ヘッド・ショット
江戸川台ルーペ
スペツナズ
ヘッドホンから聞こえてくる声は聞き慣れた相棒の声で、確信に満ちていた。「楽勝だ、後は頼む」「分かった」
俺は温くなった麦茶を一口飲んで応答した。
CDOはもう五年以上昔のゲームで、第二次世界大戦をモチーフにしたFPSの礎を築いた。現役のFPSゲームに比べればプレイヤー人口は少ないが、世界中の熱狂的ファンによって支えられている。有志によって一週間に渡って開催されたオンライン・プライベートマッチ大会の最終日。チーム・デスマッチの5対5は現在、こちらが残存3名、相手は1名と楽勝パターンに持ち込めた。優勝は間近だ。オンラインの観戦者は2千人を超えた。旬が過ぎたとは言え世界的なゲームだけあって、かなり多い。
爆発と同時に南西の方向にドクロマーク。
「クソ! 道の真ん中にC4が仕掛けてあった……すまん!」
死んでから8秒間だけ、音声を仲間に伝える事が出来る。
「油断すんじゃねーよ」
道の真ん中にC4爆弾か。
あいつの得意技だったな、と俺は試合中に思い出した。
◆
彼女が俺の元を去ったのは二日前だった。同棲は簡単に終わった。始まりは有名オンラインRPGで、ズッシリとした前衛の動きに惚れて、俺から声を掛けた。「余裕っすよ」と当時はテキスト・チャットだったから勝手に男だと思い込んでいたのだが、いざ(何やかやを経て)オフで会ってみると、女だった。そのカスミと名乗る女がなし崩し的に俺のアパートに居座るまで、時間は掛からなかった。
モニターを隣り合わせに遊ぶRPGは楽しかった。
今までもバイトから帰って即ゲーム機の電源を入れれば、誰かがそこにいた。オンラインだけじゃなくて、その時の俺にはリアルワールドにまで綺麗な同居人がいて、いつも隣で良い匂いをさせていたのだ。寝食を共にするパートナーがいるというのは新鮮で、とても楽しかった。──へんな事を想像するなよ?
だが俺がそのRPGからバージョンアップの際にきっぱりと足を洗って、このCDOにくら替えすると、カスミは途端に退屈そうにし始めた。俺がいないRPGはつまらない、と。それで、俺がやってるCDOを興味深々に覗き込んでくるものだから、試しに一回やらせてみた。
もちろん、最初はバンバン殺された。初心者の洗礼、兎狩り。
「もう! 何なのよ!」
「最初は仕方がないよ。マップを覚えて、武器の特性を覚えて、話はそこからだ」
「クソが! 背後守れよザコ! あーもう。ちょっと、こっちにもそれインストールして!」
そうして俺とカスミの特訓は始まった。
のめり込むとカスミの集中力は凄まじかった。
「もっと視界を上に上げて……そう。スティックの感度が高いから、初心者は遅くした方がいい」
メキメキと上達していった。
そうしてカスミはFPSの基本である周囲の察知、物陰から建物に侵入する方法、広い視野を確保できるスナイプポイントを次々と俺から吸収していった。やがてカスミは独自の侵入ルートをこしらえ、どうしても上達しないエイミング力(標的を狙う手捌き)をカバーする為に、遠距離スナイパーの練習に時間を割いた。練習でカスミが撃ち抜く動く標的役は俺だった。遠くで左右に動いて「ほらほら、俺に命中させろ、はよう」と煽ると、すぐに頭に血が上って命中精度が落ちた。
カスミがこっそりと俺がチョコマカと動く場所にC4爆弾を置いて、遠隔爆破するという作戦を編み出したのもその時だった。そこは地面がちょど斜めに傾いている場所で、C4爆弾が地面のポリゴンに埋まり、慣れていても見つけるのが難しい。
「FPSをやると性格が悪くなるな」
「やだも〜。いつも可愛いカスミちゃんでちゅ〜☆」
数週間程、俺がバイトへ行って帰って来ても、カスミはずっとモニタの前に噛り付いていた。身に覚えのないアマソンの段ボールが打ち捨てられ、新しいピンク色のヘッドフォンを身に付け、廃人のように目の下にはクマが、髪はボサボサで、いつもの良い匂いは何かしらの有機的な異臭に徐々に侵食されていった。
さすがにイラッとした。
「おい」
「何よいま話し掛けないで」
「おい」
「HAHAHA!(何よ後にしてよ)」
ブチブチ、とゲーム機に繋がるコードを引っ張って外し、乱暴にヘッドフォンをカスミの頭からもぎ取った。
「ちょっと! 痛いんだけど何すんのよ!」
久しぶりに見たカスミの顔は不摂生な生活のせいか、パンパンに浮腫んでいた。少し太ったようにも見える。髪は力士のように結い上げられ、目やに、ガサガサな唇と、かつてのカスミとは程遠い様相を呈していた。
「お前さ、ずっとゲームばっかじゃん。食費くらい入れてくんない? まじ有り得ないんだけど」
「は? あたしをお前呼ばわりってどう言うこと? 図々しくない? ちょっと前まで童貞ゲーマーちゃんだった癖に女子を『おまえ』って超ウケるんですけど。何? 昨日寝る前に『おまえ』って言う練習したの? かーわーいーいー!」
「ふざけんな!」
俺はテーブルを蹴り上げた。モニターとポテチと飲みかけのペットボトルがひっくり返った。さすがの剣幕にカスミも押し黙った。
「あたしがあんたより上手くなったからムカついてるんでしょ」
へへ、とカスミが舌を出して挑発した。
「あんたはいつもそう。最初だけパーッと上手くなって、すぐ慢心して止めちゃうの。最初は下手だけど、コツコツと練習を積み重ねる人にあっという間に追い越されて、『つまんね』って言って辞めちゃうの。可哀想な人。センスがあるのに、根気がないからいつまでも雑魚の中の王様止まり。だから腹が立つんでしょ、あたしみたいな『コツコツ』タイプに」
「俺はお前にちゃんと生活がして欲しいだけだ」
図星を突かれた事に気付かれないよう、トーンを落として言った。
「一日中ゲームをする生活から抜け出して、ちゃんとした社会生活を送ろう」
「今は緊急事態宣言でどこも行けないんですけど〜」
「じゃあ何か勉強しろよ! 有意義な時間を過ごせよ!」
しらっとした目でカスミが俺を見た。
「あー、はいはい。じゃあ出て行きますよっと」
「そういうつもりで言った訳じゃない」
「実はそろそろ潮時かなって、思ってたのよ。RPGもすっかりやらなくなったしね。あたしだって、やりたい事がない訳じゃない。その為にはこのゲーム機じゃ不十分」
カスミがニッコリと笑顔を見せた。
「じゃあね、トシ。結構楽しかった。次会う時は、戦場ね」
そうしてカスミは居なくなったのだ。
◆
ドクロマーク。
M40A3の特徴的な狙撃音。最後の仲間から汚い言葉が聞こえた。
「すまん、どこから狙撃されたか分からねえ。多分北西の小屋だとは思うが、射線的にあり得ないはずなんだが」
あの小屋の右下、板が破れた場所からスナイパーライフルを飛び出させ、通常不可能な射線から狙撃をする。カスミが得意とする作戦だった。まさか、本当にカスミなのか。
ここは俺がカスミの練習相手になったマップでもある。
まさかと例の場所へ向かうと、灰色の上部がチラッとだけ剥き出しに置いてあるC4爆弾が地面に設置してあった。破壊。間違いない、最後の一人はカスミだ。割れた窓からあいつが潜む小屋が見える。音で場所がバレたので、迂闊に顔を出したら一発で
「元気〜?」
残り五分を切ったところで、敵との通信が繋がった。決勝の特別ルールとして、観客は対戦相手同士の言葉でのフェイクや煽り言葉の掛け合いも楽しめるのだ。
「君、トシでしょ。相変わらず下手な横好きやってる〜?」
明るい声で通信が入ってくる。間違いない、カスミだ。
「お陰様で」
「良かった。ねぇ、その廃屋に隠れてるんでしょー? ちょっとだけほら、顔上げてみなよ〜。ここら辺かなぁ?」
射撃音と共に目の前の木の壁に穴がスパッとあいて、陽が射す。ここはリアルだ。本当の2020年夏αの平行世界だ。
「全然場所ちげーよ」
「バレバレぇ。ほらー、とっととその糞顔上げなさいよ〜」
「嫌だね」
「あんたさ、本当にエッチ下手だったよね」
「おい!」
俺は思わず日本語で大声を上げた。
「あたしが寝てる時に『ハァハァ』言い出しちゃって、あちゃーって思ったわよ」
「やめろ!!」
「コンドームつける時に出しちゃったりして、可愛かったナァ」
「やめろー!!」
「でもすぐ回復したから流石よ。童貞の性欲、グレイト」
観客が増える。やめろ、やめてくれー!
「洗濯もお上手だったわよねぇ」
容赦がない。
「あたしのパンツ、好きだったでしょう」
「やめろ」
「洗い方が上手過ぎて、確かめたかったのかな。頭に被っちゃって」
「やめろおお!!!」
俺は頭を抱えた。こいつマジで勝つ事しか考えてない。
「ミッキーマウス歌いながらブラジャーを頭に載せるのもやめた方がいいわよ〜。これはガチ目な忠告」
「お願いです、やめて下さい……」
「麦茶おいちーかな?」
「うるせえよ! ビッチ!!」
「お腹の具合、どうかにゃ〜?」
先程から、俺の腹の中の茶色の悪魔が鎌を振り回していた。
「あたちが作っておいたんだけどぉ〜☆ ニャンニャン☆」
「おおい!!」
「特製粉末でお腹ビリビリィ☆ トイレがマイフレンドフォーエバ〜☆」
半端ない腹の痛さだ。冷や汗と目眩が凄い。
俺の後ろの方のバリケードに茶色いスペツナズ達が超絶殺到。
まさに突破寸前。「フラグアウト!」
精神的にも肉体的にも、もうダメかもわからん。
「あっ……うん。えん。おっ……あっ……くっ……」
堪えろ!
「ごめんねぇ。ここで優勝したら、e-Sportsの有名クランからお声掛けされるからさ〜。今度埋め合わせ、するね☆」
霞む視界で時間を確認すると、あと2分30秒。
突撃するか、されるかだ。チキショウ、トイレに行きたい、トイレに行きてえぞ……! 茶色いスペツナズが
嗚呼。
【
ヘッド・ショット 江戸川台ルーペ @cosmo0912
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