52話 劣等ペインター
♡
おかわりで頼んだカフェオレはミルク多めで、コーヒーの香りは好きでも味が苦手な私でも飲めるクリーミーな味わいで気に入った。
「んー……………」
頭をかく武田は真面目に課題に取り組んでいるらしく、最初に頼んだコーヒーがほぼ減っていない。そうなると既に二杯目の私は真面目ではないという連立方程式が完成してしまうため………、
「古文、教えてやろうか?」
露骨に有能さをアピールすることにした。
逆さ文字でも数式や地図、イラストや英単語がないところから見ると国語科目。そして武田が行き詰まっているところから見て古文。
「は?」
「だから教えてやるって言ってんの」
「教えてもらわなくてもできるし。考えてるだけ」
「へー」
武田は苦虫を噛み潰したような顔をし、大きなお世話と言ったが、苦し紛れの抵抗も虚しく、ただ悪戯に時間が過ぎていくだけ。
「♪〜」
私は日本史のワークを開き、回答欄に次々と戦国武将の名前を入れていく。
「…………………」
「ヘルプ?」
「………ヘルプ」
「イェスヘルプ」
私は手を止めて古文の教科書を開く。
「武田は古文の訳って書いた?」
「書いたけどそれすら堅苦しくてわからん」
「その訳だよ」
「どの訳だよ?」
「その訳した堅苦しい訳をさらに訳せばいいんだよ」
私は教科書の「いとおかし」に線を引っ張って見せる。
「それでも覚えられなかったら、こうするのさ」
「いとおかし」の隣に「クソワロス」と「マジすこ」と書く。
「『いとおかし』は『いと』と『おかし』に分けられる。『いと』の意味合いは『とても』とか『めっちゃ』って意味」
「平安時代に『めっちゃ』はねぇだろ」
「例えですぅ。重要なのは『おかし』の方。これは『おかしい』と勘違いされやすいけど、本来の意味は『興味深い』とか『見事だ』って意味になる。つまり?」
「マジすこ?」
「そう」
クソワロスにばつ印を書いてマジすこを丸で囲む。
「一見難しい文字でも、こうやって若者翻訳するとわかりやすいしイメージが掴みやすい。その上インパクトがあるんよ」
「なるほど」
武田は教科書に書いてある現代訳を、さらに若者翻訳していく。
やはりこいつは何でもできてしまうんだな。おそらく私が教えなくてもなんとか結果を出すに違いない。
つい嫉妬する。つい無い物ねだりもしてしまう。昔からの悪い癖だ。
私は昔から何事も人並み以下で、いわゆる劣等生。優等生はもちろん人並みの凡人すら羨ましかった。
「そう。単語の1文字目以外の『はひふへほ』は『わいうえお』と読む」
当たり前ができなかった。
みんなができることでも、私だけは出来なかった。そしていつしか、そんな自分を責めるようになった。
しかし、いや、だからかな。
ある時、自分はこのレベルなんだと思って、これが限界なんだと思って、出来ない事を諦めることにした。
するとその日から、重い鎖が解かれたように身軽になって、やっと息を吸うことができたような気がした。今までも呼吸はしていたはずなのに、肺を洗ったように、清々しい気持ちになったのは、その時が初めてだった。
「そこは読み方はちょっと違うんだよ。『く』と『わ』は合わせて『か』と読むから正しくは………」
それでもまだ、普通に対して憧れを抱いている。
だって、一人ぼっちは寂しいから。
劣等生は孤独だ。普通はみんなと一緒。優等生は孤高で優秀だ。
出来ればみんなと一緒がよかった。出来れば普通でありたかった。でも、その才能がなかった。
だから憧れは憧れとして、孤独を埋めるには、寂しさを紛らわせるには、自分の出来ることはマンガを描くしかなかった。
マンガを描いてる時は現実を忘れられて、言いたい事を吐き出せて、思い通りの夢を見れて、そしてたまに共感してもらえる。言ってしまえば自己満足の行動だけど、私にはそれ以外の道などなかった。
「そう。…………だからここはこうなって」
私はコンプレックスの塊だから、認めたくないけどそれが私の軸になっているものだから。そんな軸を曝け出すのは、恐怖どころの話じゃなかった。
馬鹿にされるかもしれない。見放されるかもしれない。もっと孤立するかもしれない。恐怖は拭っても拭ってもあったけど、それでも私は投稿した。
多分吹っ切れたというより、負けた。孤独の苦しさに負けて、吐き出してしまった。
初めて見てもらえた時は、なんというか、こう、とても嬉しかった。想像以上に嬉しかった。顔も名前も知らない人に、どこの誰かわからないけど、私の自己満足に「イイネ」と言ってくれた。それだけで救われた。
私の作品に勇気を振り絞ってファンですと言ってくれた人がいた。好きになってくれる人がいた。あろうことか、感動してくれる人もいた。
特にコミケの時、好きな同人作家さんに読んでもらえたあの時は、感情のバケツが溢れかえって、大泣きした覚えがある。
1人じゃない。そう思えたことだけで幸せだった。
暗闇でうずくまって泣いていた私に、手を差し伸べ引っ張ってくれた彼らに救われた。生まれて初めて、見てもらえたと思えた。
厳密に言えば私を私として、見てくれたのはただ一人。昔から見てくれてたのはたった一人。
これからも救ってくれた彼らを裏切らないように、もしくは今までを乗り越えるために、私はあの時、筆を走らせることができる気がする。
「…………………」
「んだよ」
「何でも」
「何なんだよ」
可能性の話。もし私が趣味全開ではない、それでも個性があり万人受けするような、そんな物語が書けたなら、その時はしょうがないからこいつに、成りきらせてやろうじゃないか。劣等生として。マンガ家として。
「ペンが動いてないぞ。サボりか?」
「うっせ。小休憩じゃゴルァ」
よく思う。腹立つ奴だ。
でもまぁ、こいつを気に入る事は決して無いけど、反りが合わないわけではないのだ。
運命なんて信じちゃいないが、ここまで長続きしたのなら、そう易々とは別れそうもないし、今後ともこの関係は途切れることが無さそうだ。
だからもう少しだけ、出来損ないの自己満足を、私の夢物語を続けていこうと思う。
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