第5話 ネタバレの目的

 俺はしばらく立ち尽くしていた。目の前の男を開口状態で見つめながら、なんとか頭を整理しようと試みる。

 この男が未来の俺だと? そんなの、どう考えても現実的ではない。ふざけている。こいつは俺を馬鹿にしている。

 ……という考えは、不思議とすぐにどこかへ消えてしまっていた。男の虚ろな目に、既視感のようなものを覚え始めたからだ。


 ――ああ。この目、鏡越しに何度も見たことがある。

 人生の壁にぶつかり、途方に暮れている時の目。

 夢を諦め、平凡な人生を歩む決断をした時の目。

 同じだ。俺の目と。

 よく見れば、細かい顔のパーツもことごとく俺にそっくりだ。違うのは、男の顔に年相応のしわが入っていることくらい。

「……そうか」

 俺は無意識に呟いていた。

「だからあんたの声に聞き覚えがあるように感じたんだな。他ならぬ俺自身の声なんだ。そりゃ聞き覚えもあるはずだ」

 未だ状況は理解できないけど、こいつが俺自身だということは否定する気になれなかった。

「信じるのか?」

 今度は男が戸惑ったような表情になる。俺がすんなりと受け入れたことに驚いたのだろう。


「……ああ。信じるよ。あんたが未来の俺だとしたら、『クワイエット・ゾーン』のネタバレを知ってたことも説明がつくしな。それに、フィクションに魅せられた者としては、この非現実的なシチュエーションに少し興奮してる。あんたなら分かるだろ?」

 俺は未来の自分である男に微笑む。それを受けて男も「ああ」と口角を上げた。

「俺はあんたの言葉を信じる。だから全部説明してくれ。あんたはなぜ過去にやってきたのか、そしてなぜ俺にネタバレを喰らわせるのか。今日ここに来た理由も、全て正直に話してほしい」

 俺は顔を引き締め直して男に状況の説明を求めた。

「もちろんそのつもりだ」と男が応じる。続けて、「その前にとりあえず座らないか?」と提案してきた。

 頷いてデスクの椅子に腰かけた俺と、ベッドに再び腰を落とした男が向き合う。

 そして男は、大きく息を吐いてから話し始めた。


「まず俺がこの時代に来た理由だが、これは全くの偶然だ。俺も自分が過去に戻るなんて想像していなかった」

「偶然? てっきりタイムマシンでも使って来たのかと思ったけど、違うのか?」

「タイムマシンなんて、俺の時代でもまだ夢物語だよ。むしろ実現不可能論の方が強くなってるくらいだ」

 男が肩をすくめて小さく笑った。

「なら、どうやって?」

「…………飛び降りたんだ。高層ビルの屋上から」

「はっ?」

 飛び降り? それって……。

「自殺しようとしたんだ、俺は」

 顎が外れそうになった。自分の未来にそんな展開が待っていたなんて。


「色々あってな。ヤケになってビルの屋上から身を投げ出した。風の抵抗を受けながら真っ逆さまに落ちてったよ。そのまま地面に衝突するはずだった。でも、その直前に俺の意識が無くなった。そして次に目を覚ましたら……」

「この時代に来ていた?」

「ああ。実家の庭で寝そべってた」

「……何で、自殺なんか」

 俺の問いかけに対し、男は伏し目がちになりながら答えた。

「……おそらく君も数年後に出会うことになる、ある映画のシリーズがきっかけだ。俺はそのシリーズに人生で最大の情熱を注いでいた。新作が公開されるたびに十回以上劇場へ足を運ぶほど」

「行き過ぎだろ」

 俺の映画の複数回鑑賞記録は、今のところ三回。これでもだいぶ熱を持っている方だと思うが、もっと凄いシリーズに出会えるということか。

「それだけ俺にとってどストライクのシリーズだったんだよ」

「……で? 何でそんなシリーズが、自殺のきっかけに?」

「……ネタバレさ」

 男が両の拳を握る。顔は完全に伏せられ、その拳の震えだけが男の心境を表していた。


「十年以上続いたそのシリーズの完結編。終わることに寂しさを覚えながらも、俺は首を長くしてその映画の公開を待った。そしていよいよ公開を目前に控えたあの日、俺は喰らったんだ。……最大最悪のネタバレを。あのハイトーンボイス野郎が、ネットで見た情報をうっかり俺に零しやがった」

 俺が往復ビンタで誅した彼か。あいつほんと反省しないんだな。

「もしかして、そのショックを苦にして自殺を?」

「いや、さすがにそれだけで死のうとは思わないよ。……ネタバレを喰らった怒りのあまり我を忘れた俺は、彼につい手を出してしまったんだ。傷害事件に発展した。……俺は逮捕され、その綻びから家庭は一気に崩壊。呆れた妻は子供を連れて出て行き、俺は仕事も家族も全てを失うことになった」

 そこで男が顔を上げ、「その結果がビルからの飛び降りさ」と自嘲気味に笑った。


 ……いかにも俺らしい末路だと思った。俺は少し頭に血が上りやすいところがある。この男にキャプテンのネタバレを喰らった時も思わず殴りかかりそうになったし。

 あの時はなんとかブレーキを掛けられたけど、この男が喰らったネタバレはブレーキもぶっ壊れてしまうほどショックの大きいものだったのか。

「……実家の庭で目覚めた時、一体何が起こっているのか理解できなかった。ここが過去だと気付いた時には尚更混乱した。でも、ふと頭の中に声が響いたんだ。『最後に少しだけチャンスをやる』ってね。誰の声かは分からなかったけど、俺は考えた。もしかしたらこれは、神様がくれたチャンスなんじゃないかと」

「チャンス?」

「そう。過去に干渉して、君が俺と同じてつを踏まないように導くためのチャンス。俺の人生は一時いっときの怒りに身を任せたせいで台無しになってしまった。もう取り返しはつかない。でも、この時代にいる君を救うことはできる。紆余曲折を経て新たな戸籍を取得した俺は、そのために行動を開始した」

 俺を見据えるその目は、とても嘘を言っているようには見えなかった。

 でも……。


「待てよ。あんた、この前もメッセージで俺を救いたいって言ってたけど、それが何で俺にネタバレを喰らわせることに繋がるんだ?」

 言動と行動の乖離かいり。俺はこいつに救われるどころか、楽しみにしていた作品のネタバレをされている。これのどこが救いだというのだろうか。

 男は「その疑問も当然」とばかりに頷き、説明を続けた。

「言いたいことは分かるよ。でも、俺がネタバレに逆上して暴力行為に走ったのは、ネタバレ耐性が無かったからだ。昔から過剰にネタバレへ反応し続けた結果、いざ重大なネタバレを喰らった時に理性を保つことができなかった。せめて、僅かでもネタバレに耐性を持っていたら。『運がなかった』と割り切ることができていたら。警察に捕まった後も、俺はその後悔をぬぐい切れなかった」

 男が顔を伏せる。俺は黙ったまま話の続きを待った。


「この時代で目覚めて君を救うと決めた時にも、真っ先に浮かんできたのはその後悔だった。ネタバレに対する耐性が無かったことへの後悔。だから俺は君のネタバレ耐性を高めるため、比較的傷が浅くて済む内にいくつかの映画のネタバレを喰らわせることにした。ネタバレというものに慣れてさえしまえば、いつか君があのシリーズに出会い、そしてもしネタバレを喰らったとしても、俺のように道を踏み外すことはない。そう考えたんだ」

「俺のことを想ってのネタバレだった、と?」

「そうだ」

 男が視線を俺に戻した。

「楽しみを奪ってしまったのは本当に申し訳ない。でも君には、俺のようになってほしくなかったんだ。大好きなはずの映画が原因で人を傷付け、あげく自らの命も投げ出すようなクズには。……ビルの屋上から落ちながら、初めて気付いたよ。もう映画が観られないことの悲しさに。……こんな気持ち、君には味わってほしくない。多少の代償があったとしても、生き続けてほしい。俺の行動の根底にあったのは、その一心だけだったんだ。……頼む。信じてくれ」

 未来の俺が、声を震わせながら頭を下げた。


 ……正直、複雑な胸中だ。

 まず思ったのは、わざわざそんな回りくどいことをしなくても、初めから全部俺に事情を話して警告してくれれば良かったのではないか、ということ。

 ――お前は将来、大きなネタバレを喰らったのがきっかけで自殺するから、ネタバレには十分気を付けろ、と。

 でも、もし仮に俺がこの男から警告を受けていたとして、いざ実際にそのネタバレを喰らった時に自分を制御できるのだろうか、とも思う。

 結局俺はネタバレに対して敏感になったままで、彼と同じ末路を辿ったのではないか。

 そう考えると、この男の強引な行動を咎める気にはなれなかった。 

 俺は一度深呼吸してから、頭を下げたままの男にできるだけ柔らかく声をかける。


「……顔を上げてくれ、ネタバレマン。最初に言っただろ、あんたの言葉を信じるって。だから俺はあんたの一言一句、全てを信じるよ。その気持ちも、全部な。……あんたの苦しみに比べれば、俺が喰らったネタバレのダメージなんてかわいいもんだ」

 俺は椅子を離れて男の前に立ち、その肩に右手をポンと乗せた。

「約束するよ。俺は、絶対に自分の命を投げ出さない。あんたの分も、ちゃんと生きる。……だから、もう俺にネタバレをするのはやめてくれるか?」

 虚ろだった男の瞳が潤い始めた。その様子を見て、俺は頬を緩ませる。

 男も鏡写しの様に表情を綻ばせ、さらに小さく頷いた。


「……そういえば、さっき『あまり時間が残されていない』って言ってたけど、あれはどういう意味なんだ?」

 俺は一歩下がってからたずねる。あの時はまだこの男の正体を知らなかったため、ただの意味不明な言葉にしか聞こえていなかったが、全てを知った今ではその響きに胸を絞めつけられそうだった。

「ああ、あれは……」

 男はベッドから腰を上げ、俺の前を横切ってデスクへ向かうと、引き出しの中からハサミを取り出し、そのハサミで身を包む黒タイツの両袖を切った。

「こういうことだよ」

 あらわになった男の両腕。

「……そんな……」

 その両腕は半透明で、男の背後の景色を透過していた。

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