今日は豪雨になる

私は帰る。


大切なはずの親友を置き去りにして、私は逃げ出した。新しい学校ではうまくやっていけると心で唱えながらも、また失敗したらどうしようと考えたりもする。ただそれ以上に背徳感が私を襲っていた。

「可愛いってよく言われるでしょ〜?」

「天使みたいだ…。てか、天使がいるなら絶対君だよ!!」

愛想笑い×100。何それ何なの面倒すぎでしょ。天使って何。何その肩書辛すぎる。何で私はいつもずっと綺麗なままでいなきゃいけない存在なの。何で一目置かれなきゃいけないの。どうしてみんな私を選ぶの。他に魅力的な子はいっぱいいるでしょ?

「おはよ〜!」

例えばほら。この教室の隅でずっと私を睨んでいる女の子。私が何かしたって言うの。噂で聞いたけど、あなたの彼氏が私を好きになったとか知らないから。噂は噂でしかないし、私はあなたの彼氏に告白されてなんかいないわ。勝手な妄想で憎んでこないでよ。

「おはよ…。」

でも最近何となく感じる。この子の存在感。日を増すたびに薄くなっている気がする。見えなくなっていると言うか、この世界から消え始めているというか。まあ、他人の心配より自分の心配。このまま、また告白されるもんだったら、”また”学校を変えなきゃいけない。


通学路を抜けて、いつもの道で帰るはずだった私はなぜか、見知らぬ道に出ていた。ちゃんと帰っていたはずで寄り道だってしていない。天使な優等生の私は何も間違ったことはしていない。

「ここどこ…?」

迷子になるなんておかしな話しだ。転校はしたけど引っ越しはしていない。それに学校同士はそう遠くない。引越しの理由がくだらないと親に笑われた私に、次の学校の場所の選択肢は与えられない。

「何で迷子になってるのよ。」


ゲコゲコ


醜い声。天使とは真逆の沼地に住むそれは私にじわじわと近づいていた。姿も本当に醜い。

「ちょ、近寄らないでよっ!!!」

そう言って手を振り回すが地面にいる彼には全くの効果をなさない。かと言って触りたくもない。ヌルヌルとした感触はあの理科の実験の時だけで十分だ。

「きゃ!!!」

彼は私の制服の上で平然としていた。それでももう服が汚れてしまえば、嫌悪感は消える。私という人間をこの蛙で汚せば、天使をやめられるのではないかと思ってしまう。

「帰りたい…。家に帰りたいよ…。」

そう呟いて蛙を見つめる。あろうことか、蛙は私の発言に首を振っているように見える。首というか体全体を横に振っている。

「帰る場所が違うって言いたいんでしょ…?」

わかっていた。私が帰らなきゃいけないのはあの学校だった。逃げ出した学校だった。


数日前のことだ。その日は理科の実験で、天使な私と対等に話してくれる友達はおらず、ペアになってくれる人もいなかった。最初はみんながみんな私を慕ってくれていたのに、急な裏切りだ。可愛い可愛いと言っていた女子たちは、ぶりっ子ぶりっ子と言うようになり、私の周りから人は徐々に減っていく。

「先生。実験のペアがいません。」

私はいつものように先生のもとに行った。いつものように1人または、先生とペアを組む。

「先生待ってください!私がペア組みます!!」

その子は腕を震わせながらも、手を挙げていた。周りの人間は作業を停止し、一気にその子に視線が集まる。冷たく、軽蔑するような視線が集まる。

「何で手をあげたの…?」

今日は蛙の解剖だ。他の子たちは吐きそうだとか、命をくれる蛙に対して酷い言葉を吐きながら、メスで切る。

「だって、天使なら蛙を大切にしてくれると思ったから。」

その子は決して友達がいないわけではなかった。イツメンと静かに仲良くしているタイプの子で、生物係をやっていた。

「この蛙はね、うちの池の蛙なんだ。沢山生まれたから、間引くためにって実験に使うんだって。」

大人しい子で当番などはおろか他人の分までやるような控えめな子だ。蛙の世話をよくしていたのだという。

「でもきっとみんな気持ち悪いって言うから、天使ならそんなこと言わないと思って。」

私は天使じゃない。実際蛙を見て気持ち悪いと思うし、醜いと思う。ただ、彼女にとって蛙が大切なもので、彼女にとって私は依然憧れで天使なことはわかった。きっと彼女に話しかける人はいなくなるだろう。

「あのさ、これから私と過ごすことになっちゃうと思うけどいいの?」

なるべく突き放すように言う。他人を思いやる心はないけど、他人を巻き込みたいとも思わない。

「私は蛙を気持ち悪いって言わないような人と付き合いたい。」

そう言った彼女の目は真っ直ぐで、なぜか私を納得させた。



「君は帰れって言ってるんでしょ?彼女のところに。」

この蛙はあの時実験で使われた蛙なのだろう。彼女が友達よりも大切にしていた蛙なのだろう。

「私には無理だよ。あの後のことが今でも忘れられないもん。」



実験が終わった。私たちは蛙の崩れた遺体を埋葬する。そこで事件は起きたのだ。

「ほら蛙女。お前の好きな蛙だよ〜!」

今まで私をいじめていた女が彼女に蛙の遺体をかけた。崩れた遺体は固体液体混ざった状態で彼女に降りかかり、歪な匂いが彼女に纏う。こうなることはわかりきったことだったのに、彼女は蛙を重じて、私は何もしなかった。目の前で蛙を拾い集める彼女を見て”醜い”と思ってしまった。

「手伝わなくていいから。天使は空の上から見てるのがお似合いでしょ?」

そう言った彼女の声は震えていた。私の心を見透かして、いやそもそも気がついていたのだろう。事実私が蛙を気持ち悪いと思っていたことに。醜いと思っていたことに。そして同様に彼女を醜いと思っていることも。

「知ってるから。蛙を気持ち悪いって思わない人のが少ないし、それを口に出さない、そんなあなたと一緒にいたいだけだから。」

彼女はそこまで言うと息をもう一度吸い込む。

「似てるんだよね。思ってることはっきり言わないところ。私だって蛙は気持ち悪いよ。でもそれを思うのと言うのじゃ違うんだよ。思ってても優しく接するべきなんだよ。あなたを見てるといつか壊れそうで心配だから、私と一緒に頑張ろうって、上から目線だよねこんなの。」

長々とそう述べると、彼女は埋葬をさっさと済ませて、その場を去っていった。私が学校を去ったのはその次の日だった。



黒い雲が空を覆う。雨の匂いがする。湿ったようなジメジメした香りだ。目の前にいる蛙の匂いなのかもしれない。

「彼女のもとに帰ればいいの?」

蛙がうなずいたように見えた。帰って今更何をすればいいのだ。互いに理解した上での関係を築けばいいのか、それとも。今日は豪雨になる。

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