3 その言葉の持つ意味を
かおちゃんの問いかけが、ゆっくりとおなかの底へ落ちていく。そこが、じんわりと熱を持つ。
――好き。
たった二音の、たった二文字のその言葉が、世界の中でぽっかりと白く浮き上がってくるみたい。
「……うん」
答える声が、空気に波紋を広げていく。
「わたし、ゼンくんが好きみたい」
震える声がひっくり返らないように、そう告げるのが精いっぱいだった。
「そっかぁ」
かおちゃんが笑う。
「あのかっこでもいいの?」
「……ゼンくん、だから……」
言うと同時に涙がまたこぼれ始めた。頭が真っ白になる。
嗚咽が漏れる。
「でっ……でも、むり……」
「まりも?」
「きっ……きらわ、きらわれ、た、から。わ、わたし……もっ、もう」
言葉がぐちゃぐちゃの感情のまま溢れていく。涙と鼻水と一緒に、世界が崩れていく。
さっきのゼンくんの、すべてを見抜いている目が、怖い。
「わたし、ばかだった。ゼンくんの秘密を知ったつもりになって、特別な人みたいに勝手に思って、何にも見えてない。特別なんかじゃない、わたしは、変わってない。わたし、なんにも、変われてない」
お化粧をしてもネイルをしても、おしゃれをしても、無意味だ。変わってなんかいない。あの日、「花火になりたい」と言っておかあさんを困らせた小学生のわたしと、同じままだ。
浮ついて自分の気持ちばかりで、周りを見れていない子供のままだ。
「――変わる、かぁ」
少し困ったようにかおちゃんが呟く。
「変わるって、なんだろね。あたしは別にそれ、いらないと思うけどな」
「わた、わたしは、わたしが、嫌いだったから」
おどおどして、誰よりも秀でたものなんてなくて、うまくしゃべることも出来なくて、かおちゃんに守られてばかり。可愛くなくて、おしゃれでもない自分が、嫌いだった。だから、変わりたいって、思っていた。
わたしの言葉に、かおちゃんは静かに息を吐いた。
「変わらなくても、まりもが好きだよ。でも、最近変わったな、って思ってた。顔を上げている機会が多くて、楽しそうで、何かいつもわくわくしてた。まりもが楽しそうで嬉しかったけど、でもね、正直寂しかった」
かおちゃんの指先がくるくると踊って、かおちゃんの綺麗な髪の毛を巻き取っていく。するり、指を抜いて髪の毛がまた揺れる。
「あたしね、たぶんまりもが思ってるよりずっと、ひどいやつなの。まりもがあたしを頼ってくれてるのは知ってたし、それでいい気になってたよね。話してて分かってきた。あたし、まりもを独り占めしたがってた。まりもに変わってほしくなんかなかった。そのきっかけを作った野木がムカツクし、しかもあんな格好でふざけんなって思ってる」
いつものどこか間延びしたかおちゃんの話し方じゃない。早口で、ちょっとだけ吐き捨てるかのような口調に、胸の奥がざわめいた。
「かお、ちゃん」
わたしの声に一瞬だけ微笑んで、かおちゃんは立ち上がった。スカートのおしりをパンっと叩いて、後ろで手を組んだ。
「まりも。あたし、まりもが好きだよ」
それはいつものかおちゃんの言葉だ。でも、その声音が少し違う気がした。それはさっきかおちゃんが言った、ゼンくんへの苛立ちが入っているのだろうか。
「あり、ありがとう」
「いい加減気付かない?」
――え?
その言葉とともに振り返ったかおちゃんの顔に、目を見開くくらいしか出来なかった。だって、頬が濡れていたから。かおちゃんの頬がうっすらと濡れていたから。
かおちゃんが、泣いてる……?
「まりもは野木が女子の格好してたって、受け入れたんだよね。男子でもああいう格好が好きなら女子の格好したっていいじゃんって」
泣きながら、笑ってる。
そんなかおちゃんは見たことがなかった。
「じゃあさ」
真夏の日差しが廊下に光の窓を作っている。埃がきらきらと舞っていた。
かおちゃんが、泣きながら笑う。
どうしても、現実味が薄い光景だった。
その非現実的な世界で、かおちゃんは言った。
「――女子が女子を好きってのは、受け入れてはくれないの?」
その言葉の持つ意味を。
その言葉の向けられた先を。
理解するのにやっぱり時間がかかって。
ああ、って思った。
わたし、やっぱり何も変わっていない。
自分勝手で周りなんて見れていない。
見れていなかったんだ。
かおちゃんはずっと、そばにいたのに。
それからどうしたのか、よく覚えていない。
かおちゃんが何か話して、気が付いたら保健室にいた。授業に出れる状態じゃなかったわたしを、かおちゃんが連れて行ってくれたらしい。
結局早退することになって、一人で帰った。
いつもの乗り換えの、FIRE*WORKSがある駅。
少し迷ってから、FIRE*WORKSに足を向けた。本当は行くべきじゃないのかもしれない。でも、ゼンくんがいないうちがよかった。
お店に顔を出すとマスターは驚いていた。時間が時間だから。でも上手に説明も出来ないし、説明する元気もなくて、わたしはただ、預けていた絵を引き取った。
置いておけなかった。あの場所に、わたしの欠片を。頑張ったつもりになって、何も変わっていないわたしの欠片を置いておけなかった。
邪魔ものみたいな絵を抱えて、そこから地元への電車もひとりで帰った。
ただ、夏本番を迎えてわめきたてる蝉の声だけが、延々と頭の中に残り続けていた。
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