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 翌日、一睡もしなかった俺はぼやけた頭、痛みのある目、怠い体に鞭打って、約束の時間に喫茶店に着いた。睡眠欲より性欲が勝った瞬間である。なんなら昨晩も睡眠欲より性欲が勝ってた。

 くそ、強化人間である俺は本来一日寝ないくらいどうってことないはずだが、なんだこの疲労感は……。興奮しすぎたってことか? 確かに昨晩はちょっと盛り上がりすぎたかもしれんが、あくまで気持ちだけで今日に備えて何もしなかったってのに。


 店に入ると、昨日と同じテーブル席に夏子さんは座っていた。

 俺は早足でその席へと向かう。約束通りの時間に着いたとはいえ、相手を待たせてしまったのではないかと一抹の不安が走る。


「ごめん、待った?」

「ううん、今来たとこ」


 俺の質問に夏子さんは笑顔で答えた。

 待たせてないなら良しだ。やっぱり男として、女性を待たせるのってどうかと思うからな。待たせちまったらエッチ出来る確率が三割は下がる。いや知らんけど。完全に机上の空論。誰かスパコン使って実際に計算してみてくれ。

 俺は夏子さんを待たせていないことを確認すると、ホッと胸を撫でおろし、夏子さんの向かいに座る。すると、夏子さんはクスと笑った。


「なんか、今のやり取り、恋人みたいだったね」


 その一言に、俺の心はズガンと撃ち抜かれた。ギャルっぽい見た目で男慣れもしてそうな人が、そういうこと言う? めっちゃ意識しちゃうじゃん、恋人として! 隣一緒に歩いてて、周りの人に「恋人に見えるかな?」とか考えちゃうじゃん! ああ、これなら、この人ならイチャイチャラブラブ出来そうだ――。




 一息つくと、俺は夏子さんの案内の元、目的地へ向かった。

 ごく普通の町中を歩いていく。これからついに童卒と思うと緊張するが、いったいどんな所へ向かっているのだろうか。

 道すがら俺は夏子さんに尋ねた。


「そこでイケない事をするわけですよね? どんな所ですか?」

「とあるバーの地下室よ」


 珍しいな。ホテルとかじゃないんだ。


「実家ですか?」

「いえ、知り合いの店」


 知り合いの店でイケない事をするって肝が据わってるというか、知り合いもよく場所を提供してくれたもんだなあ。覗くつもりじゃねえだろうな。

 俺はダメもとで一つ提案してみる。


「……学校の教室じゃ駄目ですか?」

「駄目よ」


 即却下された。残念だ。初エッチは夕暮れ放課後の教室が良かった……。

 だ、だがそれで初エッチを棒に振るわけにはいかねえ。それに夏子さんはいきなり俺を誘惑してきた。つまり俺に惚れてるってことだ。きっと二回目がある。その時に学校でしようって頼めばいいじゃないか。

 俺は自分に繰り返しそう言い聞かせ、三十分かけて何とか納得させた。




 俺がどうにか、初めてが夕暮れ放課後の教室でイチャイチャラブラブじゃなくてもいいかと納得出来たとき、それとほぼ同時に目的地のバーに着いた。


 バーは営業中だった。表の入り口から店に入り、奥の階段を使って地下へと降りた。

 夏子さんに誘導され二、三ある部屋の一つに入ると、そこはコンクリート打ちっぱなしの壁と、長机が一つあるだけの簡素な部屋で、怪しげな黒ずくめの男たちが六人いた。男たちは全員、謎のアタッシュケースを持っている。

 俺はその男たちに警戒心を抱かずにはいられなかった。

 俺と夏子さんがイケない事をするこの会場に、何故他の男たちが居るのか。もしかして、こいつらもイケない事の参加者なのか。だとしたら聞いてないぜそんなこと! 初めてで男の方が多いとか嫌過ぎる! こうしちゃいられねえ、排除してくれる!

 俺が腕まくりをして暴れる準備をしていると、


「では始めようか」


 黒ずくめの男の一人がそう言い、男たちは皆アタッシュケースを長机の上に置いた。お? 向こうも臨戦態勢か? がしかし、もう少し様子を見ていると違うらしい。男たちは置いたアタッシュケースを開いて中身を検め始めた。

 ケースの中身は三つが現金、後の三つは白い粉のようなものが入った手のひらサイズのビニール袋がいくつも入っていた。……これは?


 どうにも様子がおかしい。おい、イケない事をするんじゃなかったのか?

 美人お姉さんとイケない事と聞いて想像するムフフな展開に、ここから発展するビジョンが全く見えない。イケない事って夏子さんは、いったい何のことを言っていたんだ?

 俺はたまらず夏子さんに尋ねた。


「そういえば、イケない事をするって言ってたけど、具体的に聞いてなかったなあって……」


 この問いに夏子さんはあっさりと答えた。


「麻薬密売よ」


 ………………。


 ホントにイケない事だったぁぁぁッッッ!!!

 イケない事と言って、本当に法的にイケない事に誘う人がこの世に居る!?

 嵌められたぁ!? ハメたかったのに!?

 飛ぶくらい気持ちいいって言ってたから期待してたのに……いや、確かに薬キメたらそれくらい気持ちいいのかもしれないが、強化人間の俺は薬物耐性が備わってるからそんなに効かないし……。


「で、でも、なんで俺を呼んだんですか? 俺、麻薬買う金ないですよ」

「用心棒としてよ」


 そ、そりゃそうか。あまりの衝撃に馬鹿な質問しちまったぜ。

 しかし、厄介なことに巻き込んでくれやがって。前科はヤバイって何度も言ってるだろうが。俺は絶対違法な仕事はしねえって決めてんだ。彼女作り辛くなるから。しかも麻薬は罪が重すぎる。

 合法的殺人のバイトだって合法だからやったんだ。

 ちなみに今更だが、殺人なのに合法なのは、例えば軍人が戦場で敵兵士を殺しても普通の法律で裁かれないのと同じ原理だ。




 俺はこの場を離れることに決めた。悪いがこれ以上付き合うわけにはいかない。


「俺は帰るよ」


 夏子さんは俺の言ったことに当然驚いた。


「ちょっと待ってよ! もうあなたの口座に報酬を振り込んであるのよ!?」


「だったら後で返すよ、俺は本当は、ここにイケない事をするつもりで来たんだからな」


「いや、今まさにイケない事してるんだけど……」


 そういうことじゃないんだよ……!


 俺は涙をこらえ、その言葉を背にバーを去っていった。

 夏子さんたちは案外諦めがよく、誰も俺を追いかけてこなかった。まあ、強化人間を引き留めることは出来ないと分かっているのだろう。




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