単眼記 ~Hideout Of Outcast.

原田むつ

妖怪退治の太陽と約束の意味

 ある日の昼下がり、太陽が眩しい。

 雑草の生えた砂利道と一本の大きな梅の木はどこか神聖な壮観を見せていた。遠くで鳥の鳴き声と軽い足音だけが聞こえる。

 森に囲まれた長い石段を登り、ボロボロになった鳥居をくぐる。ここは神社だった。

 信仰心が薄れ人が来なくなった神社も、今となっては本殿を壊され、風変わりな店があるだけである。

 しかし元々は人が来なくなった廃神社、店を建てても人が来ないのは当たり前だった。

 石段の頂上まで上るという面倒な行程を経てようやく店が見えてくる。

 主人はティーカップで緑茶をすすりながら本人にも意味のわからない本を読んでいるに違いない。

 知恵を得ようとしているのか格好つけたいのか、ただ暇なだけなのか。

 店内もまた一風変わった品物が多い。シンプルなデザインの槍と弓、水色の下緒が金色の鞘に巻き付いた刀。武器屋にも見える。

 名前もまた有名なものが多いが、すべては偽物、レプリカ、おもちゃである。

 槍先は削られ弓は糸がゴム製、刀は刃が落とされて斬ることが出来ない。ほとんどが飾り用の品だった。

 店の看板には多々良堂の四文字。おもちゃ屋『多々良堂』はそこにあった。


 ――ドンドン。

「多々良さん?居るんでしょ?」


 久々の来客のようだ。しかし出たくない。

 全く、お客様は神様なんて、はた迷惑な勘違いもあったものだ。神は死んだんじゃないのか。


 ――ドンドン!

「多々良さん?」


 扉を叩く音と声の高さが変わったのがわかった。このままでは店の扉が壊れる、僕は慌てて扉を開けた。


「サン、鍵は開いてるんだから勝手に開ければ良いだろ」

「そんなことより聞いてくださいよ、今ですね、石段下の道路で豆腐小僧が豆腐を売っていまして」


 いつもそうだ。目の前の服から肌の色まで真っ白なこの少女は他人の話を聞こうとしない。この少女のとしての名前を僕は知っているが、少女の名前は知らない。僕はとりあえず、サンと呼んでいる。太陽からとったものだが、彼女は少し気に入っていた。

 サンはこの世界に住む妖怪を祓う仕事をしているらしい。もっとも、普段の彼女からはそんな大それたことをしそうな気品は一切感じられないが。

 言い遅れてしまったが、僕は多々良一たたらはじめ。閑古鳥が毎日鳴く店を営んでいる。よほど鬱憤が溜まっているのか、サンはやや早口で語り続ける。


「豆腐小僧に私の名前を言ったらですね、そんなわけないでしょて笑われたんですよ。ありえます?」

「名前って、サンの方?それとも本名?」

「本名ですけど」


 僕はさっきの質問に対して、ありえるね、と答えた。彼女の言う本名というのは彼女の存在の名前である。普通ここにいてはいけないものが彼女なのだから、豆腐小僧がそういうのも仕方ないだろう。


「……で、なんか腹立ったので無害な妖怪ですけど退治しようと思って適当なお札ぶん投げたんです、そしたら」


 サンは「ほら」、と豆腐まみれの服を見せびらかし、頬を膨らました。甘い匂いがする。


「かわして反撃してきて杏仁豆腐ぶつけられたー。ねぇ、杏仁豆腐って豆腐じゃありませんよね、何で豆腐小僧が杏仁豆腐売ってたんですか?」


 杏仁豆腐は中国発祥の食べ物だ。そして中国語で豆腐とは「豆腐状に固めた食品」という意味があるため、豆腐小僧が売っていてもなんの違和感もない。文明開化とでも思えば良い。


「頭に角がぶつかっていれば、少しは先を考える能力がついたかもしれないのに、残念。で?僕に洗濯をしろと?」

「返すのは後でいいです、とりあえず今は着替えを下さい」


 よく見ると床に杏仁豆腐だったものが落ちていたので、僕は雑巾を探した。


「着替えって、そんなもの持ってないぞ」

「多々良さんの服があるじゃないですか。あ、でも着替えを覗いてはいけませんよ」

「女の見るなは見てくださいという意味だ」


 まったく。僕は雑巾の代わりに使ったティッシュをゴミ箱に捨て席に戻り、飲みかけの緑茶に手を伸ばした。しかし、ティーカップの中には何も入っていなかった。


「ふむ、やはりお前の点てた茶は美味い。器が少々減点ではあるが」


 今思えば、外の掃除をしていたとき黒猫が目の前を横切っていた。


「なんだジジィか、ちょっとあの太陽の癖に嵐みたいな女を持ち帰ってくれませんか?」

「お前ほど儂らに軽口を叩けるものはおらんだろうな」


 目の前の髭の長い真っ黒な衣服に身を包んだジジィは、サンのお世話係のようなものである。名前はサンと同様口にするのも恐れ多いので、僕はジジィと呼んでいる。


「何しに来たんです?ジジィ」

「視察よ視察。お前がきっちり仕事をしておるかどうか確認に来たのだ」


 そうですか。

 ジジィは埃やクモの巣を近くにあったハタキで払いながら、じっくりと観察している。


「むぅ……確かにここを好きに使えと言ったのは儂だが、少々私物が多くないか?」


 ジジィは売り物の模造刀を手に取り、神妙な顔つきで見つめる。


「ただの玩具おもちゃではないか」

「でも妖怪に効くように造ってますよ。サンの為に妖怪祓い用の武器を造ってくれって言ったの、あなたでしょう」

「お前の豊富な知識と、鍛冶の能力を見込んで頼んだのだ。人間嫌いの癖に店など開きおって、その髪で隠した左目の中で何を考えておるのか」


 このままじゃ説教に入りそうだ。僕は話題を急いで切り替えた。さっきのサンとのやり取りを話題にあげた。


「そういえばサン、僕に対して着替えを覗くなって言ったんです」

「……どこが面白い?」

「日本において女の見るなを守った男がいたと思います?」


 ジジィは笑った。いるわけないな、と。

 そう、日本において女の見るなを守った男はいない。


 古事記にこのような話がある。イザナギは妻であるイザナミを迎えに黄泉の国に行った際、イザナミの見るなを破ってしまった。その時のイザナミの怒りによって日本では一日に千人が死亡し、千五百人が生まれるようになったのは有名な話だ。

 これだけではなく、古事記にはもう一つ女の見るなを守らなかった男がいる。それは現在の浦島太郎のモデルとなったと言われる神、山幸彦だ。山幸彦は妻の出産を覗いてしまったとき、妻の正体が鮫だということを知る。そして二人は離婚したという話だ。これは、鶴の恩返しともよく似ている。

 とにかく、日本には女の見るなを守る男はいないのだ。


「ですがジジィ、こういう見方はできませんか?男が約束を破るんじゃない、女が約束を守らせないのだ、と」

「なるほど、そういう見方もある」


 イザナギとイザナミの経緯としては、イザナミが黄泉の国の者に外に出てよいか相談に行くため待たせたというものだ。人を待たせ過ぎるのも大概である。

 山幸彦の話もそうだ。誰だって我が子に早く会いたいものだ、生まれたとわかれば入ってしまうのも仕方ないし、もしかすると山幸彦は妻に労いの言葉を述べたかったのかもしれない。


 そしてなにより、千人殺すと行ったあとに千五百人が生まれるようにするというイザナギの提案を却下しなかったのにも疑問がある。日本の母たるイザナミならば、二千人でも一万人でも殺すことは容易だったのではないだろうか。

 イザナミは見るとわかっていて、イザナギと別れを告げたいが為にあんな約束を施したのではないだろうか。


 ――ビチャビチャ。

 窓の外を見る。あの黒猫は、この事を暗示していたのかもしれない。

 その時、店の扉の現状の原因となった少女の足音が聞こえた。


「やっぱり多々良さんの服は大きいですね、ほら、ダボダボする」


 サンは戻ってくるなり不満を言い放った。当たり前だ。彼女と僕とではかなりの身長差がある。サンはこの世界で違和感無く生きるために少女のような風貌でいるらしいのだが、それが仇となった。


「あれ、おじいさん、珍しいですねこんなところで」

「仕事で少しな。だがお前に比べれば真っ当な客ではあるぞ」

「僕の店を『こんな』ていうのはひどいんじゃないか?あとジジィ、自らを客だと思うなら何か買ってくださいよ」

「全くその言葉遣い、良いのか?客は神らしいぞ」


 なるほどとんだ邪神だ。


「私だって真っ当な客ですよ、今だってお仕事依頼しましたし、この刀も買うつもりでいましたし」

「うちはクリーニングはしてないんだぞ。あと、欲しいんだったら金を払え」

「え、多々良さんお金に興味あったんですか?」


 僕は「当たり前だ」といっそう強い口調で言った。サンは苦笑いを浮かべてジジィを見る。しかし当のジジィもお金を持っていないようだ。


「やれやれ、なら交換条件としよう今すぐその刀を持って――」


 ――ビチャビチャ。バンバン!

 今度は窓にもぶつけられた。掃除が大変になりそうで刀一本との交換条件にしては釣り合わないのではないか……。


「今すぐ店の前にいる妖怪を退治してきなさい!」

「居るのはわかってるんだぞ白いのー!よくも変なお札なんかぶつけたなぁ!」


 甲高い声が店内にまで響く。豆腐小僧は他の妖怪と比べて低級だから害は少ないが五月蝿うるさいことこの上無い。


「わかりました、行ってきます!私の勇姿、しっかりと見ていてくださいね!!」


 その言葉に僕は「はいはい」と適当な言葉を返した。

 やがて、サンは店の扉を蹴り開け、豆腐小僧に向かって啖呵を切る。


「しつこいですね、負けたんだから諦めて帰りなさい」


 梅の木の近くには、ボロボロの服を着た少年がいた。負けたというのも本当だろう。


「あれ?なんかさっきと服違う、赤い」

「蛇の目傘ってなんだか赤色のイメージありません?」

「んーわからなくもな……いやそうじゃなくて、復讐に来たよ、覚悟しろ!」


 二人は戦闘を始めた。と言っても片方は刀で片方は豆腐なのだ。どっちが勝つかなんて明白だ。

 僕は流れ豆腐が飛んでこないうちに扉を閉めた。


「良いのか?サンは見ていろと言ったぞ」

「……さっき僕は、女の見るなは見ろという意味だと言いましたよね。なら女の見ろは見るなだと思うよ」


 ジジィはいつのまにか自分でお茶を淹れてくつろいでいた。ティーパックの紅茶の良い香りが充満する。機嫌は良さそうだった。

 外からはサンの楽しそうな笑い声と豆腐小僧の泣き声が聞こえる。何が起こってるのかなんて知らない。僕はありとあらゆることを見て見ぬふりしてきた。

 そうやって、江戸時代から今までを、この神楽町で暮らしてきた。


「それにしても豆腐小僧とは、神楽町には妖怪が多いと聞いたが本当のようだな」


 豆腐小僧は無害な低級妖怪だ。豆腐を売ることしかしてこない。だからこそ、もう人々からは忘れ去られていた、はずだった。

 だがしかし、この神楽町には低級妖怪から有名な妖怪や神に至るまで、様々なモノが存在している。何故かを考えることは、出来ない。その代わり、サンやジジィが居るのだから。


「俺にできることは、鍛冶おもちゃづくりをすることだけだよ」


 ――多々良堂だって、ただの暇潰しだ。

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