髪を捧ぐ
西順
第1話 7月の天晴
暑い。
202X年、まだ今年も7月だと言うのに、連日30℃を超える日々だ。
気象庁のデータでは、1980年の7月の平均気温が24.2℃だから、40年で6℃以上上がっているのだ。地球温暖化をひしひしと感じる。
そんな暑い最中でも、私はストレートの黒髪を腰まで伸ばして街を闊歩していた。
目的地は美容室だ。
この腰まで伸びた艶々ロングの自慢の黒髪とも、今日でおさらばである。
思えば小学生の頃から20歳まで、私はずっとロングのストレートだった。
きっかけも憶えている。小児がんだ。
私は小学校低学年の頃に小児がんに罹った。
闘病は長期に渡り、両腕は点滴の射ち過ぎで青アザになり、山盛りの薬の副作用でいつも気分が塞ぎ込んでいた。
そんな中で一番私を悲しくさせたのが、脱毛だ。
薬の副作用で頭髪はおろか眉毛も全身の毛という毛が抜けた。
残ったのはボロボロで生白く、血管の浮き出た骸骨みたいな自分だった。
その日から何日泣いたか分からない。
学校のクラスメートがお見舞いに来たのも、金切り声で追い返していた。
こんな自分は自分じゃない! 寝て起きたら元気な自分に戻っている! と信じていつも眠りに就いたが、起きればそこは病室だった。
そんな私を可哀想に思った両親がプレゼントしてくれたのが、ウィッグだった。
ショートカットのそのウィッグは、私に生きる元気を与えてくれた。
そのウィッグを大層気に入った私は、薬でダルい身体をおして、点滴のスタンドに寄り掛かりながら、入院している子供に解放されていた遊戯室へと歩いて行くのを日課としていた。
遊戯室には同じようにウィッグを被った子供が何人か居り、そんな子たちと寄り集まって手遊びや読書をしていたものだ。
幸い私のがんは薬と手術で何とか寛解となり、20歳の今まで再発はしていない。
それからである。私が髪を伸ばし始めたのは。
一度失ったものを取り戻した私はとても髪を大事に扱った。
シャンプーは髪を痛めないように優しく。トリートメントにヘアオイル。水分は髪の天敵だからしっかりドライヤーで乾かす。
そうして育まれた美髪は、我ながらうっとりするほどで、この髪に惚れて告白してきた男子は数知れず。私の自慢の髪だった。
だけどそんな髪とも今日でお別れだ。
私が美容室の椅子に座ると、馴染みの美容師が鏡越しに心配そうに尋ねてくる。
「本当に良いの?」
私の意志は変わらない。力強く頷くと、
「良いんです。バッサリ切っちゃって下さい!」
私の目に根負けした美容師が、後ろ髪を持ち上げ、バサリと首元でハサミを入れた。切られた髪を美容師は大事そうに横の台に置いていく。
ああ、私の髪がバサリバサリと切り取られて
いく。その行為が走馬灯を呼び起こし、自然と涙となってこぼれいった。
1時間後の私は、奇しくもあの頃のようなショートカットになっていた。
笑っている自分がいた。
「ではこちらのお髪、ヘアドネーションとして使わせて頂きますね」
「はい。お願いします」
私は美容室の奥へと運ばれていく自分の髪に後ろ髪を引かれながらも、その髪たちに思いを馳せる。
ヘアドネーションは私のように小児がんになった子供や、先天性の脱毛症や事故によって頭髪を失った子供たちに、髪を寄付してウィッグを作る取り組みである。
私の髪も巡り巡って子供の為のウィッグとなり、私のような笑顔を生み出してくれると嬉しいものだ。
美容室を出た私は、軽くなった髪を一度さすり、ニカッと笑って街へとくり出した。
髪を捧ぐ 西順 @nisijun624
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