Ally-37:窮地なる★ARAI(あるいは、クレイズME/ビフォアダンシング)
「……アライくんと、れ、れんら……くが取れなくてっ」
だいぶ走って来たのかな。三ツ輪さんが息を荒げてるとこなんて見るのは初めてだ。いやそうじゃないって。無理やり思考をどこかからか外そうとしてないか? 僕。
「もう帰ったんじゃないかな……ほんとに『直談判』とか、行かないでしょ、もう行く意味もあんまり無さそうだし」
殊更平坦に、心の奥底を悟られないように注意して言葉を発したつもりだったけど、目の前で呼吸を整えた天使にはやっぱり通用しなかったみたいで。何言ってるの、みたいな非難が籠もってなお、天上の
その、差し出された白魚のような指に挟まれていたのは、真っ赤なウォークマン。何かこれももう懐かしいな。
「……さっき落ちて壊れちゃったかもって……動くか……音出るか確認してみたの……」
それだけ言って俯いてしまう三ツ輪さん。その声の調子とは反対に思わぬ力強さでそれは押し付けられてくるので思わず受け取ってしまった。端子には三ツ輪さんの私物か音楽室にあったものか分からないけど真っ白いイヤホンが刺さっていたわけで。聞いてみろってこと? アライくんに前頼んでも、なんだかんだではぐらかされて聴かせてもらえなかったんだよなあ。手に入れた当初はあんだけクラスでもシブか音がどうとか自慢しまくってたのに。勝手に聞いてしまってもいいのかな?
「……」
三ツ輪さんは何か切なそうな顔をすっと上げてからは、ずっと僕の方を上目遣いで見つめてきている。場合が場合なら、ぐらりと来ても致し方ない状況であったものの、不思議と何か、僕の心は凪いでいた。イヤホンのねじれをゆっくりと直してから、イヤーピースをとりあえず左の耳穴に入れて<PLAY>ボタンをがちゃりと押し込んでみる。
……砂嵐のような(本物は聞いたことないけど)
刹那……だった。
―おーう、スライヤ、
日本語に……変わった。変えた……んだろうか。博多弁……かな、たぶん。そしてたぶんこの声の主は、
―あと何日やろう? ま、もうすぐ生まるーお前に、あー、俺はあんまお前んそばにいれんけん、何かしてやらなて思うてな、代わりに歌ば歌うてやるばい。スルターナと一緒に。
「……」
MDは
ちょっとしたやり取りがあってから、アーアーという喉を慣らしているかのような発声練習のあと、
「……」
優しい声と、ちょっと音程を外した声が、絡み合うようにして紡ぎ出してきたのは、僕の知らない、それでもこちらの心を静かに落ち着かせて来るような、異国の子守唄のような歌だったわけで。
……これを、聞きたかったんだ。これを……聞いていたんだ。
イヤホンを慌ただしく外すと、三ツ輪さんの胸元に今度は僕が押し付ける。こんなことしてる場合じゃないよ。アライくんを、探しにいかないと。
慌て過ぎて踏み出した一歩目二歩目を連続で踏み外しながらも、四つん這いになってしまいながらも両手でざらついたコンクリの表面をかきむしるようにして僕は階段を上がっていく。
どこ行くのぉっ、との三ツ輪さんの言葉が僕を追いかけてくるけど。じ、実行委員のとこ、そこに行ったんだと思うからぁっ、とせわしなく答えて僕は新館の校舎を、はやる気持ちに全然ついて来ない両脚に苦労しながらも最大速で走っていく。
何となく分かったよ、アライくんが1985年に……過去にこだわるわけが。「過去を振り返ってみても何にもならなかった」? そんなこと無いよ。そんなことは断じて無い。だってこんなにも「過去」は、今も
「かっ……へっ、はへっ……」
必死こいて足を繰り出すものの、やっぱりまだ長い距離はだめだ体力が続かないよ……校庭に面した入り口から校舎の中へ。一階の右奥、「催事室」と名前は付けられているけど、「元老院」の専用部屋みたいになってる二間続きの結構な広さの区画へ急ぐ。
あの三姉妹も恐いは恐いんだけれど、そのバックには血の気の多そうな輩もいるって聞いたし、いつかの食堂での騒ぎの時にも確かにこちらの動向を窺っていた。その時は表立って出ては来なかったけど、裏で暗躍……そんな噂はいくらでも聞いてる。やっぱりアライくんひとりで行かせたのは間違ってたよ……後味最悪になっても無理やりにでも止めておけばよかった……ッ
詮無い思いを振り切って、廊下でも祭りの準備作業をしている人たちをかき分けるようにして、僕は走る。目的地が、やっ、と見え、てきた……
「あ? 何だおめ」
到着。酸素を求めて腹から上がもう断続的に波打つ状態だったけど、そんな僕に大した興味も無さそうに、でも明らかに敵意とか悪意を持った声が投げつけられる。「催事室」の扉の前、五人くらいの、ひとことで描写するとガラ
「あ、えっと……ちょっと元老さんにですね、用事があるっていうか、その、ですね……」
据わった目に囲まれると、やっぱり僕は腰が引けて卑屈になってしまう。だめだ……
部外者は立入禁止なんだよ、悪いねえ小太りくーん、と、小馬鹿にした口調で嘲られただけに終わった。はあそですか、あどもすいません、とすごすごその場を辞そうとしたけれど、いや、そんなんでどうするッ……と、俯いた僕の視線の先の床の片隅に、小さな円く金色に光るモノが。僕は殊更自然な感じを装いつつ、それを静かに拾い上げた。そして。
帰りますよと見せかけて、全力で扉に取り付いて押し開け入る。ゴラァッ何してんだぁッとの罵声怒声も無視して、体のあちこちを背後から引っ掴まれるけど、腰を落として一歩一歩、引きずるようにしてにじり進む。扉の先、黒い遮光性のカーテンみたいな布で仕切られていたその合わせ目を押し広げて、無理やり室内へ。
「……!!」
そこは僕らの教室の半分くらいの広さの空間だった。会議室で使うキャスター付きの長机が何台もあって、今はそれが部屋の中央に集められてひとつの島を作っている。そしてその天板の上に仰向けにされて、両手両脚を、四人の下卑た笑いを貼り付かせた男たちに押さえつけられ組み伏せられていたのは、僕の探していたその人だったのだけれど。
「お、おうげじ、ジロー、何ちょら、愛想ば尽かされたご思ちょったんがじな……」
精一杯のしゃがれ声でそう、ぐずぐずの博多弁みたいないつもの口調でのたまってくるけど。もういいよそんな無理はしなくて。殴られたのか、その左頬は引き攣れんばかりに腫れあがっていて、図らずも普段なら出来てないウインクみたいな表情を呈しているけど。それよりも。
「何だコラてめ、こっちゃ取り込み中だっつーの、童貞臭ぇおめーにゃ刺激強すぎっからよぉ、さっさと出てけや」
アライくんの上にのしかかって、そのボブ・マーリーのTシャツを乱暴にたくし上げていたのは、ひときわ筋肉が張った、何か格闘技やってそうな細マッチョだったのだけれど。そいつがテンプレ気味の言葉を投げつけてくるのだったけれど。
「へへ、けったいなカッコしてっけどよ、ハーフっつうのはやっぱ発育違ぇのか? きっついブラ巻いてやがるけど胸もたぶん凄えもん持ってそうだぜぇ、たまんねぇ」
露わにされた胸元の、その褐色の肌と下着の白色のコントラストから目を逸らすと、僕は急速に自分の呼吸が穏やかになってきていることを自覚する。そして、
「……出ていくのは、おまえらだよ」
怯えも、気負いも無く、そんな言葉が口をついて出ていたわけで。
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