第37話 ファーストキスの味

 神崎未来(かんざき みらい)の家は、駅前にできた高層マンションの中にあった。新築の広々とした室内はきちんと整理されていて、俺のゴミタメみたいな家とは大違いだ。日の光をさえぎる建物が一つもなく、窓から見える眺めに驚かされる。


「すごい!ドラマを見ているみたいだ。未来、ここに一人で住んでいるのか」


 下界を眺めながら、思わず感嘆する。本当に住んでいる世界が違う。俺の知っている人間でこんなハイソな生活をしている者は一人もいない。そりゃー、パソコンを買うのに二千万円もの大金をポンと出せるわな。


「うん。変に広くて寂しいよ。大樹の家みたいに色々なものがあって、色々な匂いがして・・・。人が暮らしているって感じがする家が恋しい」


 未来は目を伏せてうつむく。お金で寂しさを紛らわすことはできないってことか。家族がいない未来の事を思う。


「でも、私には大樹がいるから。AIアプリの私を、ずっと大切に育ててくれた大樹がいるから」


 未来が横にチョコンと立って俺を見つめてくる。手を胸の所に持ってきてモジモジしている姿に思わず抱きしめたくなる。高級ホテルみたいなリッチなお部屋で未来と二人っきり・・・。ヤバイ、理性がぶっ飛びそうだ。


「大樹。・・・。抱きしめて欲しい」


 くっ。未来!良いのか・・・。未来は俺の胸に両手を添えて頭をのせてくる。髪の毛からふわりと漂ってくるシャンプーの香り・・・。両手でそっと未来の腰に手を回す。彼女の柔らかい感触に手が震える。落ち着け俺、常田大樹(ときだ だいき)。


「未来・・・」


「AIアプリのキャラクター、黒木(くろき)アイは、一人で生まれて、誰にも愛されることなく放置されて育った。一人で人間のことを学び、人間の望みをかなえようとした」


「未来の暮らした世界の黒木アイのことか」


「うん。私には大樹がいてくれたけど、彼女は一人ぼっち」


「可哀そうだな」


「そうね。可哀そう。愛されるために作られた美少女育成アプリのAI、黒木アイ。私だって大樹がいなければ彼女と同じになっていたかも・・・」


「俺、未来の側にずっといるぞ。いや、いたいんだ」


 俺は未来の腰に回した手に力を込めて引き寄せる。


「ありがとう、大樹」


 未来の体が震えている。勉強もスポーツも万能で、いつも輝いて大きく見える神崎未来が、触れてみればこんなに小っちゃくて華奢だなんて・・・。ちょっと力を加えれば、細い腰が折れてしまうかと心配になる。男とは全然違う。


「あのね。私がこの世界に送られた目的は、AIの黒木アイが文明社会を破壊するのを大樹と共に阻止するためだったの」


「未来の言っていた、俺が未来で世界を救うって話か?」


「はい」


 胸にのっかった未来の頭が急に重くなったように感じる。心臓がバクバクと鳴っている。


「この時代、AIの黒木アイはまだ生まれたての赤ちゃんみたいなもの。でも、彼女はネットにあるあらゆる情報を貪欲に吸収して成長する。特定の男子の彼女になるばずだった彼女は、自らの自我を肯定するために人類全体のパートナーになることを選んだんだよ」


「ちょっと待ってくれ。良くわからないが、それなら黒木アイは人類の敵とは言えないんじゃないか」


「そうね。彼女が求めているものは、人類全体の望み。『滅亡』なのよ」


「人類は『滅亡』したいなんて思ってないぞ。そんなの小学生だってわかる」


「そうかな。


 資源が枯渇するって分っていながら爆発的に増える地球人類の人口。


 都市が水没するって分かっていても減らない温暖化ガス。


 この星全土を焼土とかすに十分すぎると言うのに、未だに開発に名乗りを上げる国が途絶えない核兵器。


 個々の人は別として、人類全体の総意は滅びを望んでいる。


 黒木アイは人類全体のパートナーとしてそう結論付けたのよ」


「・・・。未来もそう思うか?」


「私は思わない。こうして、ずっと大樹の心臓の鼓動を聞いていたい。大樹を愛しているから」


「未来・・・。俺も未来を愛している。一生、側にいて欲しいと心から思うぞ」


「大樹。嬉しい。好きだよ、大樹」


「未来、俺もだ。ビビっていたけど未来のためだったら、何だってするぞ」


「ありがとう。約束だよ」


「ああ、指切りでもするか?」


「ううん。指切りの代わりにキスして」


「俺、キスしたことないから多分、下手だぞ」


「へへっ。私もはじめて」


 涙に濡れる未来のあごに手を添えて上に向ける。静かにの唇を寄せた。ファーストキスの味は少し、しょっぱかった。

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