第30話 勝負しろ!

「おい、あそこの子。来た時、泳げなかったよな?」


「泳げないふりしてたんじゃないの」


「いや、絶対に泳げなかったぞ。一メートルも進んでなかった」


「でも、普通に二十五メートルをクロールで泳いでいるよ」


「いや、一時間前に見た時は、とても泳げるような状態じゃなかった」


「きれいなフォームで泳いでいるわ。見間違いじゃない?」


「そんなはずは・・・」


「どんなに上手に教えたとしても、一時間であそこ迄、泳げるようにするのは無理でしょ」


「だよな」


 市民プールの指導員の驚きの声が洩れ聞こえてくる。かなり気持ちいいぜ。うはは。泳げるってやっぱ最高だな。人生で初めて夏が来るのが楽しみになった。俺は水をかく手足に力を込めてスピードを乗せる。スーッと体が進んでいく。


「だっ、大樹が泳いでる!」


 幼なじみの矢島萌奈美(やじま もなみ)が素っ頓狂な大声で叫んでいる。ぐはは。驚いたか。萌奈美め!もう、金づちなんて後ろ指をさされる言われもない。神崎未来(かんざき みらい)のチート特訓は完璧なのだ。


 俺はプールの端にタッチして水面から顔を出した。萌奈美と幸田一馬(こうだ かずま)がプールサイドを駆けてくる。あ然としながらこちらを見ている指導員は注意もできないでいる。当の本人の俺が一番驚いているのだから当然と言えば当然か。


「大樹、お前、いつ特訓したんだ?」


 イケメンの一馬の目が大きく見開かれている。男子のくせして目がデカいなこいつ。ほんま、どんな顔していても美男子顔を崩さんな。感心しながらも天才万能男子の一馬を驚かせたのは鼻が高いと言うものだ。


「たった今、泳げるようになったぞ」


「大樹の癖に生意気だ」


 萌奈美はいつもワンパターンだな。神崎未来によって俺は生まれ変わったのだ。


「萌奈美。毎年、毎年、よくも俺のことを金づちと罵ってくれたな。俺がどれだけ惨めな思いをしたか。勝負しろ!」


 俺はコースの反対側のプールサイドにいる未来の顔を見る。未来は自信満々でコクリと頷いた。よし、勝てるぞ。


「はあっ。萌奈美が大樹に負けるわけないだろ」


 萌奈美は口を尖らせて、唾を飛ばしながら言い張る。こっちはもはや美少女だいなしだな。小学生かよ、萌奈美。ピンクの水着が幼さを引き立てている。


「どうかな。萌奈美は平泳ぎしかできんだろ。このカッパ女子め。クロールの方が断然早い」


「ぐっ。それでも大樹なんかに負けるものか。勝負だ!昔みたいに泣きべそかくなよ」


 こうして俺と萌奈美は二十五メートル自由形で勝負することになった。約一月、丸々続けた『一回三分で体スッキリ体操』で体力もみなぎっている。遂に萌奈美に一矢報いる時が来たのだ。積年の恨みを晴らしたるわ。


 一馬の掛け声で俺と萌奈美は一斉にスタートした。萌奈美のやつ、飛込スタイルかよ。俺はまだ未来に飛び込みを教わっていない。隣りのレーンで前を行く、萌奈美のガニ股を捉えて追いかける。


 落ち着け俺。あせったら負けだ。未来に教わった通りやれば勝てる。リズムを崩すな。よし、良い調子だ。体力もパワーも男子である俺が上だ。俺は少しずつ加速して萌奈美の横にならび、一気に追い越した。


 そのまま、ペースを崩さず一気にゴールへと泳ぎ切る。やっ、やったぞ!勝利の感動が押し寄せ、泳げないことをバカにされ続けた過去の記憶が走馬灯のように脳裏を廻る。うわっ、涙が出てきた。俺はプールの中に顔を沈めた。涙を洗い流して浮かび上がった時、ようやく萌奈美が追いついてプールサイドにタッチした。


 反対側で待っていた未来と、プールサイドを駆けて先回りした一馬が迎えてくれる。


「大樹、カッコ良かったよ」


 未来は自分の事のように嬉しそうに微笑んでくれた。この笑顔の為ならいくらだって頑張れる気がする。正直、ちょっと萌奈美には大人げないことをしたと言う気持ちになる。


「大樹、すげえ。泳ぎを教えた未来ちゃんはもっとすごいな」


「一馬、見ていたのか」


「ああ、チラッとな」


「そっか」


 一馬め、あんなに熱心に泳いでいてもちゃんと周りを見ていたか。さすがイケメン頼られ男子。抜け目ない。


「未来ちゃんは大樹にはもったいないと思うやつが多いと思うが、俺は二人はお似合いだと思うぞ。大樹がドンドンすごいやつに変わっていくのは未来の影響だろ」


「ああ。未来、無しだったら、俺はクソのままだ」


 俺が見つめると未来の頬がぽっと赤くなる。


「負けたわ。完敗!今まで大樹の事をいじってごめん」


 悔しがって暴れ出すかと思った萌奈美の顔は、意外に晴ればれしている。頭を垂れて差し出してくる右手を俺は握り返した。そう、萌奈美が悪いんじゃない。俺がふがいないだけなんだ。未来と出会ってそのことが良くわかるようになった。


 頑張ったって無理って拗ねていたのは、やり方が悪かっただけだ。未来の指導はかなりのチートではあるが、ちゃんと教われば俺だってできる。がむしゃらに突き進むだけじゃダメなんだと、ようやく理解した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る