第29話 あっさり克服

 幸田一馬(こうだ かずま)は、イケメンらしくバタフライで泳ぎ、おばちゃん達の視線を独占している。両腕を羽根みたいに水中から出す姿は男の俺でも惚れぼれするわ。何をやらせてもそつなくこなす才能は天性のものだ。


 その横の一つ隣りのレーンで、矢島萌奈美(やじま もなみ)はカエルさながらのフォームを披露しながら、ちびっ子の先導を切って泳いでいる。こっちはこっちで野生を感じる。ってか、ピンクのカッパみたいだ。美少女なのに大股開いて平泳ぎだもんな・・・。


 市民プールの指導員は、こぞって二人の生まれ持った素質に目をみはりながら勧誘に躍起になっている。おかげで全く泳げない俺と超美少女である神崎未来(かんざき みらい)は、注目されることがない。同世代の男子がいないのもラッキーだった。


「大樹。じぁあ、ここまで泳いでみて!」


「わかった。やってみる」


 未来に言われるまま、俺はプールの水に顔を沈めて必死に脚と腕をふり回す。足がつくと理解しているので溺れる心配はないが、一向に前に進む気配もない。次第に息が苦しくなる。


 ゴボッ。


 俺は大きく息を吐き出しで、その場に足をついて立ち上がる。


「・・・?」


 水から飛び出した俺の上半身は最初の場所から一歩も前進していない。いやむしろ半歩ほど後ろに下がっていないか?そんな俺を見つめて未来は頼もしそうに言った。


「うん、大丈夫。これなら一時間でスイスイ泳げるよ」


「一時間でか?何度も隠れて練習しても無理だったんだぞ・・・」


 生まれて十六年間金づちの俺にとって、にわかには信じ難い発言である。が、既に『一回三分で体スッキリ体操』やら『常田大樹(ときだ だいき)天才化育成計画』を体験済みの今、未来にかけるしかない。


「で、俺は何をすればいいんだ?」


「前に進む感覚をつかむところからかな。私が手を引いてあげるから顔を水に浸けて水の抵抗を抑えるために体をサンマみたいにピンとして見て」


「サンマってあの魚のサンマか?」


「はい。銀色の細長い魚だよ」


 水泳の指導でサンマかよ!聞いたことないけどイメージはつかめる。未来は俺の手を引きながら後ろ向きに水の中を進む。成程、これが進む感覚か。って、未来の完璧すぎるボディラインをピッチリと包み込む競泳水着が目の前に。


 思わず息を飲む。・・・。ぐがっ!水飲んだ。足をついて立ち上がって水を吐く。塩素の香りが鼻を抜けてツンとする。顔を下げて咳き込む俺の背中を叩く未来の白い手。少し楽になって顔を上げた。


「・・・」


 心配そうな未来の瞳。俺との距離、約二十センチ。


「大樹。大丈夫」


 声を掛けてくれる小さな唇。俺との距離、約十五センチ。くっ。近づいて来ているだろが。どんなイベントねん。こんなアプリのイベントは聞いたことない。吸い込まれそうなところを何とか理性で堪える。


「おう、ちょっと感覚がつかめた気がする。もう一度頼む」


「体を楽に伸ばして水の中を飛んでいるみたいなイメージでね」


 俺は未来の指導に素直に従う。うん。何か分かった様な気がする。未来はステップアップの指導で少しずつ注文を加えてくる。


「息が苦しくなったら足をついてもいいからね。無理に泳いだまま水から顔を上げると水を飲んじゃうよ」


 俺は未来に引かれてプールの端まで連れていかれた。


「次はプールの壁をキックして自分で進んでみようね。手足はさっきみたいに真っすぐ伸ばしたままでね」


「はい、次はバタ足。水を叩くんじゃなくて捉えて押し出す」


「そうそう、次は手ね。大ぶりはダメだよ。水と仲良くね」


「うん。最後は息継ぎ。腕で水をかくときに凹んだ水面に顔を向けて」


「ほらね。クロール、完璧だよ」


 えっ、本当に一時間も経っていないわ。マジに嬉しい。すんげー、自信がついたかも!指導が違うとこうまで違うのか。未来が本物の神様に見えてくる。やったぜ!あっさり克服した。俺、常田大樹は未来がいれば何だってできる。


 あっ。気がついたら未来の腕を取って水の中で飛び跳ねていた。ヤバイ。誰も見ていないよね。プールを見まわす。一馬も萌奈美も泳ぎに夢中だ。よしよし。そっと胸を撫でおろしたら、目の前に水泳キャップをかぶった未来の頭が差し出された。『なでなで』要求だよな、これ。


 俺はそっと手を出して未来の頭を撫でてあげる。小さな声で未来が鳴いた。


「ふにゃー」


 可愛い。可愛すぎる。未来の無防備なとろけ顔を知っているのは俺だけだ。

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