第8話 天使様の従者

 キンー、コン、カンー、コン。キン、コン、カン、コン。


 幸田一馬(こうだ かずま)との会話は、突然、鳴り出した午後の授業開始の予鈴に遮られた。話しに興じで食事が進んでいなかった俺達は、話を切りあげて昼食を口に放り込んだ。午後の授業の準備を急ぐ。


 ふう。チャイムに救われた。あれ以上、突っ込まれても、何も知らないのだから答えようがない。放課後に神崎未来(かんざき みらい)と直接、話すしかない。先生のいいつけなのだから、無視して誰かに連れていかれると言う事もないだろう。とにかくその時を待つしかない。


 午後の授業が始まる。五限は英語だ。ひょろりとした若い男性教諭が教室に入ってくる。毎度のことだが、いきなりテンションが高い。この先生は一年の時から英語を受け持っている。そこそこイケメンなので、女子にはそれなりに人気が高いが、男子にはめっぽう嫌われている。人間が軽いと言うか、底が浅い。ナンパな大学生が、そのまま教師になったようなものだ。


「おっ。転校生か。これはまた美人さんだなー。よし。えっと、神崎未来ちゃんだっけ。教科書の十ページを読んでくれ」


 初対面なのに無茶苦茶馴れなれしい。こんな奴でも、顔さえ良ければそれなりに女子にチヤホヤされると思うと凹む。正直、ムッとなる。美少女相手にときめく自分だって大差ないと知りながらも、棚に上げて置き去りにする。


 みんなの視線を集めて神崎未来がスッと立ち上がる。彼女は男性教師をキッと睨みつけるような強いまなざしを投げてから、映画みたいな淀みのない滑らかな口調で教科書をスラスラと読み始めた。


 マジかよ。神崎未来は帰国子女なのか?先生なんかよりもずっとうまい。呆気にとられてマンガみたいに口をポカンと開ける男性教諭。ざまあみろ。正直、胸がスカッとした。てか、俺がアプリの彼女のパラメーターを全部マックスにしたせいじゃないよな。


 しかし、あれはどう見たって、現代の翻訳アプリのたどたどしさなんかじゃない。やっぱりアプリとは無関係だ。恐ろしいほどの偶然が、たまたま重なっただけに違いない。宝くじだって当たる確率は天文学的に低いが、当たっている奴は必ずいるもんな。


 だいたいにして、育成ゲームアプリの女神様が人間になって転校してくるなんておとぎ話みたいなことはありえない。現代の技術では不可能なこと極まりない。


「流石だな。都内の有名私立進学校から転校して来ただけのことはある。お父さんが転勤だったのは残念だな。県立山瀬南高校の俺の授業では物足りんかもしれないが、頑張ってくれ」


 ひょろりとしたイケメン教師。敗北宣言かよ!情けない。って『都内の有名私立進学校?』『お父さんが転勤?』だよな。ちゃんとした過去があるじゃん!俺がアプリで創った訳じゃない。朝から勝手な思い込みをしていた自分が恥ずかしい。放課後に彼女に聞くまでもない。


 神崎未来に向けられる賞賛と拍手の影で、俺はそっと胸を撫でおろした。勘違いであることが発覚して良かった。危うくとんでもないことを彼女に尋ねるところだった。安心したら一気に気が抜けた。


 六限の数学も神崎未来はその才能をいかんなく発揮した。ベテランの老教師もタジタジのスピードで黒板に答えを書き出していく。惚れぼれするようなカッコ良さ。幸田一馬も矢島萌奈美も俺には及ばない天才だと思っていたが、彼女の才能は群を抜いている。桁違いの能力だ。


 不意に後ろから背中を突かれる。振り向いた俺に萌奈美が告げる。


「凄いね!未来ちゃん。同じ人間とは思えない」


 満面の笑みを称える萌奈美。確かにすごい。こんな彼女を捕まえて、俺は自分が創ったアプリの女神様だなんて・・・。バカバカしい。神崎未来は神様が地上に遣わした天使に違いない。


「ああ。上にはうえがいるもんだ。一馬も萌奈美もうかうかしてられないな」


「無理!一馬はともかくとして、私は千年経っても追いつかない」


「だな」


「だよね。県立山瀬南高校だもん」


 さんざん比較されて辟易していた萌奈美が普通の女子に見えてくる。ほんと俺ってバカだよな。ありえないと思いながら、心の奥底で神崎未来にとって、俺が特別な存在であることを願っていた。妄想するにも程がある。恥ずかしい。穴があったら入りたい。


 クラス中の羨望の眼差しを集めて、神崎未来はクラスのスーパーヒロインとなった。完璧すぎて、ねたみややっかみの対象にすらならない。六限の授業が終わっても彼女に対する熱狂は冷め止まない。部活が始まる時間そっちのけで、彼女を囲む人の輪が途絶えない。


「なあ、一馬。アプリの話は忘れてくれ。俺、無茶苦茶妄想、入ってたわ」


「そうか。ただ、似てただけだろ」


「そうだけど。似てるなんて考えたこと事態が恥ずかしい」


「まあな。俺も大樹と彼女が知り合いじゃないかって勘ぐった自分が恥ずかしい」


「お互い様だな」


 放課後、俺の席に寄ってきた一馬と顔を見合わせてヒソヒソ話。神崎未来、神聖すぎて今後は冗談の対象にもならないだろう。


「あのー、大樹くん。校内を案内してもらえないかしら・・・」


 くっ。話題の主、神崎未来が俺の目の前に・・・。いつの間に。うわっ。クラスの男子と女子の視線が・・・。マジですか?俺ですか?誰か助けてください!


「あっ、悪い、大樹。俺、バスケ部の時間だわ」


「おっ、おい。一馬、逃げるのかよ!」


  一馬は俺を残してスタスタと教室を出ていく。こうして俺は、神崎未来と言う天使様の従者となって、校舎内を案内して回ることとなった。

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