第59話 準々決勝《婚約破棄された公爵令嬢 vs 不倫相手の子爵令嬢》

 ルイーズとガブリエルの勝負から、約1時間後。


 公爵令嬢レティシアは今、闘技場の闘技スペースにいる。

 これから準々決勝・第4試合が幕を開けようとしているのだ。


 目の前にいる因縁の相手と、レティシアは握手をする。


「本日はよろしくお願いします、マリー」

「ええ。こちらこそよろしくお願いいたしますわ、レティシア様……うふふ」


 そう……今回の対戦相手は、レティシアから婚約者リシャールを奪った子爵令嬢・マリーだ。

 別にリシャールのことなどどうでもいいが、彼女のせいでレティシアとローラン公爵家が損害を被ったのは事実だ。


 レティシアとマリーは満面の笑みで握手する。

 そしてお互い距離を取り、所定の位置につく。

 レティシアは本来の得物ではない槍を構え、マリーは棒立ちしている。


 それを確認した審判は、右手を高く掲げた。


「これより、王国武闘会決勝トーナメント準々決勝・第4試合を始める。勝利条件は、対戦相手の降参または気絶。体術・魔術の使用は全面的に許可する──始め!」

「《風よ、彼のものにまとわりつき、凝固せよ!》」


 審判の合図と同時に、《賢者》マリーの魔術が閃く。

 30メートル近い間合いも、魔術の前には無意味なのだ。


 レティシアの周囲の空気が凝固し、彼女は身体がまったく動かせなくなってしまった。

 このままでは反撃が難しい。


 しかも「空気が凝固した」といっても、呼吸は問題なくできるし歓声も聞こえてくる。

 どういう意図かは分からないが、マリーが魔術を調整したのだろう。


「うふふ……レティシア様。いかに魔術耐性に優れた《聖騎士》でも、空間そのものを固定されてしまっては動けないのではなくって?」


 マリーの言う通りだ。

 確かにレティシアには、何の魔術も作用していない。

 であれば、彼女自身の魔術耐性など無意味だ。


「それにしてもレティシア様、あなたバカですね」


 マリーは満面の笑みで、それでいて侮蔑のこもった声で語りかける。

 彼女の言葉を聞いて、レティシアは確信した。

 声が聞こえるようにマリーが魔術を調整したのは、レティシアに罵詈雑言を聞かせるためだということを。


「リシャール様が仰っていましたよ? あなたはお節介だったと。恩着せがましかったと。それでいて小賢しかったと……そんなことだからリシャール様に嫌われたのです──リシャール様との出会いは、3年前の夜会の時でした。私はリシャール様とぶつかってしまい、分不相応ながら啖呵を切ってしまったのです。今みたいにこうして蔑むように。そうしたらリシャール様に気に入られるようになり、求められるようになったのです……うふふ」


 マリーは心底おかしそうに笑う。

 その目はただひたすら、レティシアを冷笑していた。


「さあ、そろそろ終わりにしましょうか──《水よ、氷塊となりて彼の者を押し潰せ!》」


 マリーの詠唱により、レティシアの頭上には大きな氷塊が生成される。

 このような物理攻撃には、《聖騎士》の持つ魔術耐性など無力だ。

 通常であれば、氷塊の重みに耐えきれず圧死するところだろう。


 もっとも武闘会中は特殊な回復魔術が施され、傷も後遺症も残らないはずだ。

 しかしそれでも精神力を根こそぎ奪われ、常人であれば失神してしまうに違いない。


 だが──


「──うふふ……《賢者》の魔術もこの程度ですか。全然痛くも痒くもありませんね」

「なっ──!? ど、どういうことです!? 確かに直撃したはず……どうしてそんなに平然と立っていられるのですか!」


 マリーによって放たれた氷塊は、確かにレティシアの頭蓋に直撃した。


 確かに、痛かった。

 確かに、冷たかった。

 確かに、押しつぶされそうになった。


 だが、精神力を代価とする自動回復魔術があれば、レティシアが負けることはない。

 闘技場にしかけられた魔術が、思わぬ形で彼女に味方したのだ。


 レティシアは幼少期からリシャールに対し、報われない献身を続けた。

 そして婚約破棄された直後、馬車をオーガに襲われて騎士を見殺しにしてしまった。


 レティシアの心は、そんな地獄の業火でドロドロに溶かされた。

 だがそれと同時に、クロードとエレーヌによって冷やし固められ、鍛え上げられ、そして研ぎ澄まされた。


 そんな鋼の精神が、並大抵のものであるはずがない。


 マリーが放った氷魔術により、空間固定の魔術も瓦解した。

 これでレティシアは、自由に動くことが可能だ。


 彼女は自由に動くようになった口で、マリーに反撃する。


「もう私への罵倒は終わりかしら? もっと聞かせてくださいな、マリー」

「冷静さを、失わないというの……!? あれだけ罵倒されたのに!」

「お生憎様。私、あなたに罵倒されたくらいでは挫けません。私の心を折りたければ、その10倍は持ってきなさい」


 レティシアは持っていた槍を、予備動作なしに勢いよく投げつける。


「ひいっ──!?」


 投擲された槍は、マリーの首をかすめた。

 彼女は驚愕の声を上げ、石畳にへたり込み、目を潤ませながらレティシアを見ている。


「あら、ごめんなさい。手が滑ってしまいました……ふふふ」

「こ、このっ……! 悪魔! 魔女! 悪女! 女狐! 性悪女! こ、来ないで!」


 マリーの罵声と懇願など、今のレティシアには通用しない。

 レティシアはマリーを威圧するために必死に笑顔を作り、歩きながら抜剣する。


「いやあ……やめてよ……怖い……!」

「──恨むのなら、自制できなかった自分を恨みなさい」


 レティシアはマリーの胸を、両手剣で刺し穿つ。


 心臓への一撃。

 レティシアの威圧。


 精神を代価とする自動回復魔術によって、精神が急激に摩耗したのか、マリーは白目をむいて気絶した。

 それを確認した審判は、右手を天高く掲げる。


「《賢者》マリー選手の気絶を確認。よって準々決勝・第4試合の勝者は、《聖騎士》レティシア選手とする!」

『──勝者、《聖騎士》レティシア選手!』

「うおおおおおおおおっ!」

「レティシアちゃん、マジで優勝しちまうんじゃねえかっ!?」

「かもな! あれだけの魔術を食らってもびくともしなかったし! しかも槍だけじゃなくて剣うまいんだぜ!」

「それにしても、女同士の戦いも大したものね……私もがんばらないと」


 アナウンスとともに、歓声が沸き上がる。

 どうやらレティシアは、優勝候補の一角として数えられているようだ。

 しかし彼女としては、正直クロードに勝てる気がしない。


 とはいえ、観客たちの声援に応えたい。

 次の準決勝で勝利し、決勝戦でクロードと相まみえ、死力を尽くして戦う。


 レティシアは誓いを胸に秘めた。

 そして気絶しているマリーを尻目に、観客たちに手を振り笑顔を振りまきながら退場した。



◇ ◇ ◇



「それにしても……レティシア、すごかったな」

「うん……びっくりしちゃった……」


 レティシア対マリーの戦いが終わった直後。

 俺とエレーヌは感想を呟いていた。


 客席と闘技フィールドには少し距離があったし歓声も響き渡っていたので、どのような会話がなされたかは分からない。

 だがレティシアたちの表情から察するに、煽り合いをしていたものと思われた。


 だがレティシアはマリーの煽りにも動じず、淡々と対戦相手を倒していった。

 俺はその心意気を尊敬した。


「クロードくん。次の準決勝、がんばってね」

「ああ、いよいよルイーズ王女との対戦だな。難敵ではあるが、最善を尽くす──」

「ただいま戻りました〜」

「──っ!?」


 噂をすれば影。

 レティシアが戻ってきたのだが、その時俺に勢いよく抱きついてきた。


 彼女からはとても甘い香りが漂っているし、とても温かい。

 お胸もそれなりにあるため、柔らかいものを感じる。


 だが俺はそれでも、理性を総動員させて落ち着かせる。

 レティシアは公爵令嬢、本来であれば会話することすら叶わぬ存在である。


「レティシア、流石にこんな人前で抱きつくのはどうかと思う」

「そ、そうだよっ! 早く離れたほうがいいよっ! みんなに見られたら恥ずかしいでしょっ!?」

「いいじゃありませんか〜。私、とても疲れたんですから〜」


 確かにレティシアは、先程大規模魔術を受けていた。

 だがそれでも気絶せずに戦い抜いたのだ。

 精神的に消耗していてもおかしくはない。


 だが、観客たちの視線がとても痛い。

 「羨ま──公共の場でイチャつくなよ……」「俺たちのレティシア選手が……」などと言われてしまっている。

 そして男の観客の大半は、俺を悪者にしたがっているようだった。


 まったく、とても心外だ──


「はあ……やはりこうしていると落ち着きます……」


 レティシアは溜息交じりに言った。

 まあ、俺も抱きつかれて悪い気はしないし、レティシアがそれで落ち着けるというのなら身体くらい貸してあげよう。


「準々決勝を勝ち進んだのですから、ご褒美が必要だと思いませんか?」

「確かにそうだな……でも俺やエレーヌの収入では、公爵令嬢である君を満足させられる品を用意できるとは思えないのだが──」

「頭、撫でてください……」


 レティシアが俺の耳元で囁く。


 抱き返すのは問題だが、頭を撫でるくらいなら大丈夫かもしれない。

 そもそもこれは、レティシアが言い出したことだ。

 彼女の言う通り、ご褒美は必要だと思う。


 俺は要望通り、レティシアの頭を撫でてあげる。

 プラチナブロンドの髪は綺麗で手触りがいい。

 それに、触れたときにわずかに髪の毛が動くので、甘い香りがふわりと漂ってくる。


「ありがとうございます……気持ちいいです……」

「あ、あわわ……クロードくん……!」

「エレーヌ、驚くのはお門違いだ。この前、君の頭を撫でてあげただろう?」

「そ、そうだけど……! でもっ……!」


 エレーヌが何故か、涙目になりながら訴えかける。


 確かに今の状況であれば、俺とレティシアが恋人であるかのように映るかもしれない。

 だが、そんなことはありえないということは、エレーヌはよく知っているはずだ。


 一方、観客たちは「なにっ……あのちびっ子までナデナデしたのかっ……!」「羨ましすぎるだろっ……」「すげえ!」などと口にしている。

 俺の居場所がどんどん減りそうな気がしてならない。


 だが、公爵令嬢たるレティシアのご命令とあらば、やめるわけにもいかない。

 俺はしばらくの間レティシアに抱かれ続け、頭を撫で続けた。

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